史記演義〜司馬遷 



  

突然ですが、昨日初めてマージャンてもの

をやりまして、生まれて33年一度もやらな

かったのを、満を持して完璧にルールも覚え

て、先んずれば人を制すで一気に攻め込んだ

つもりだったですが、いきなり国士無双をや

られてしまいました。恨み骨髄で今度は背水

の陣をしいてやったんですが、傍若無人にや

ったのが悪かったんでしょうか、四面楚歌の

ボロ負けになりました。一儲けして酒池肉林

を目指したんですが、良薬口に苦しというヤ

ツで……。さて、ここに問題です、今の文章

の中に『史記』の言葉はいくつ含まれている

でしょうか。正解は一〇個です。     

今日はその『史記』の作者、司馬遷のお話

でございます。             


今を去ること二〇〇〇年の昔。秦の始皇帝

が長い戦乱の末に中国を統一いたしましてか

らさらに一〇〇年、時代は「漢」となりまし

て、七代目の皇帝・武帝劉徹の頃のお話でご

ざいます。               

中国は西の都・長安の天文記録係の役人・

司馬談の子に司馬遷という男がございました

幼い頃から人並み外れた記憶力を発揮いたし

まして、歳一〇歳にして論語を暗唱し、あま

り高くない身分であったにもかかわらず、父

親の熱心なすすめで、孔安国、董仲舒といっ

た優れた学者に師事をいたしまして、当時最

高の学問を修めました。         

今でいえば東大法学部を首席で卒業したよ

うなものなんですが、何故か二十の時、エリ

ートコースに乗るのを嫌いまして、中国全土

南は揚子江から汨羅を下り九疑山、西は越王

が恥辱を濯ぐ会稽山、北は孔子の故郷曲阜を

過ぎて霊峰泰山と、中国全土を放浪の旅をい

たしました。しかし、司馬遷の修めた学問は

「儒教」が中心でしたので、その教えに従え

ばいつまでも親不孝をするわけにはいかず、

都・長安に戻ってまいりますと、父親に言わ

れる通り宮中に入り、皇帝のお側に仕える 

「中郎」の職につき、俸祿三〇〇石をいただ

く身分となったのでございます。     

ところで漢の七代の皇帝・武帝という方は

内に国を整え、外に夷を討ち、名君の誉れも

高い方なのですが、その一方で大変迷信深い

方で、丁度日本で言えば五代将軍・綱吉のよ

うな方でございました。ちなみに、日本と違

いまして中国の皇帝は、戦に勝って位につき

ますから、いわば将軍様と同じと考えればよ

いかと思います。            

司馬遷が武帝のお側につかえておりました

ある一日のことでございます。      

武帝が可愛がっておりました側室のワンと

いう女性が病でなくなりました時に、家来の

一人で、いつも武帝にこびへつらっておりま

した武安公の某という方が、落ち込んだ皇帝

のご機嫌をとろうと、斉の国から流れてきた

李少というやさ男の方士を連れて参りました

この方士と申しますのは仏教の「法師」では

ございませんで、ハデな道服などを身にまと

いまして、仙人になる方法を説いたり、不老

長寿の薬を調合したりというあまり信用のお

けない連中で、この時代には朝市のじゃが芋

のようにごろごろいたようでございます。 

その李少が御前にひざまづきますと、武帝

劉徹が、                

○「李少とやら、苦しゅうない、表をあげ 

よ」李少は「ハハーッ。上様におかれまして

は、初のご尊顔を拝し奉り、恐悦至極に存じ

ます……」と、挨拶を始めましたが、突然、

「ウッ、ウッ、ウッ」と苦しみ出しました。

「李少、如何いたした」皇帝が声をかけます

とピタッと苦しむのをやめました李少が、女

の声色のような細い声で         

「上様、上様、私でございます。おわかりで

ございましょうか?」とうめきました。  

この時すかさず、李少を連れてきた武安公

が「上様、この李少という男は、神仙の術に

よりまして死んだ者の魂を呼び寄せることが

できるのでございます」         

「なに、しからば、今ここに下りておるのは

あの、わしの可愛いワンだと申すのか」  

「はい、私でございます。上様に可愛がって

いただいたワンでございます。ワンですよ。

ワンです、ワン、ウーワンワン」なんてこれ

じゃ犬ですが。             

迷信深い武帝その迫真の演技にすっかり騙

されてしまいました。その時のことでござい

ます。居並ぶ群臣の中から        

「上様、お待ちください」と前に進み出た者

がございました。これが誰あろう、若き英才

・司馬遷でございます。         

「なんじゃ、司馬遷、苦しゅうない、申して

みよ」                 

「ハハッ。ゴホン。私の記憶が確かなら〜」

宮中一同の者は息を飲みました、司馬遷が

これをはじめると、いつもかならずその場の

意見がひっくり返ったからでございます。 

「上様は、今より一〇年前の元光2年3月の

4日、小君という方士に騙されて、鍋や釜に

神が宿ったと信じ、宮中の者すべてに鍋釜を

拝むようにお命じになられましたな」   

「う、そのようなこと、記憶にございません

が」                  

「いいえ、確かなことでございます。この李

少という男が鍋釜の神の類でないかどうか

問い正させていただきます。これ、李少とや

ら。お前に本当に死者の霊がついていると申

すなら、ワンの方が亡くなった日の朝の食事

の内容を申してみよ…」         

「は、ハイ…あの、お味噌汁とギョーザとオ

ムライス…」              

「嘘を申せ、我が記憶によれば、その朝はワ

ンの方は干し肉を一口、卵汁をふた口飲まれ

た後、口をおすずぎになり、そのまま箸を置

かれたはずじゃ。嘘だというなら記録を調べ

てもよいぞ」              

「いや、それは…その」李少が何か言おうと

した時に、後ろにいた武安公が      

○「おのれ、上様をたばかるとは不届き  

者!」とイキナリ剣を抜いて李少の首を撥ね

てしまったのでございます。       

「上様、申し訳ございません。このようなエ

セ方士を御前に…」           

「もうよい。武安公、下がれ。いや、司馬遷

いつもながらの物覚え、感服いたした、褒め

てとらす」               

「はは、有り難きしあわせ」。

      

また、ある時のことでございます。武帝一

行が封禅の儀式の為に東の方泰山を訪れた帰

りの旅で、今の河南省濮陽の南、黄河のほと

りの「瓠子」というところへやって来ました

この地は黄河の水が溢れて二十年、誰も堤防

を作り直すものがなく、土地は荒果てたまま

になっておりました。それを知った武帝は 

「大名たちに命じて堤防を築かせよう」と考

えました。ところがこの時、いつの間にやら

大臣にまでなっておりました武安公は   

「上様、河が溢れ堤が切れるのはすべてこれ

天の成せる技でございます。人の力でそれを

変えると、天の命に背くことになります。き

っと何かとんでもない災いが起こるでしょ 

う」と言上いたしました。        

「なるほど…天の命に背いてはいかんな。で

は堤防を築くことはやめよう」      

「上様、お待ちください」        

「なんじゃ? 司馬遷」         

「私の記録が確かなら〜…古き記録、書経の

夏の書によりますと、古代の名君・禹皇帝は

自分の城の扉の前を通っても決して城へ入ら

ず、民百姓のために黄河の水をせき止めるた

めの労苦にを積むこと実に13年に及んだと

あります。神農・虞・夏そして戦国の覇王た

ちと並び賞され君子の誉れ高い上様、どうか

堤防をお築きくださいませ」       

この時、武安公は顔を真っ赤にして、   

「司馬遷、いや字・子長、僣越であるぞ、控

えおれ」それを聞かぬふりをして司馬遷は、

「上様どうか、お願いいたします」    

武帝は迷いましたが、結局、人夫数万人を

やとって堤を築き、「瓠子の歌」を呼んでそ

の上に宣房宮というものを築いたのでござい

ます。

                 

こんなふうで、いつも司馬遷の記憶力には

一同舌をまいて疑うこともなく、武帝も司馬

遷の言うことなら何でも信用するのでした。

司馬遷もやがて太史丞から太史公へと出世

をし、いずれは宰相の座にもつくかと思われ

ておりましたが、人の運命というのはどこに

落とし穴があるかわかりません。司馬遷がそ

の深き穴に落ちましたのは男ざかりの48歳

天漢二年・紀元前99年の事でございました

中国・漢の国はそれまでも何百年来、北方

の匈奴・モンゴル人と戦を続けておりました

かの「万里の長城」もその戦のために築かれ

たものでございます。武帝は匈奴の土地・大

宛に産するという、血のように真っ赤な汗を

流すという名馬「汗血馬」が欲しくて何度も

遠征を繰り返しました。そしてこの度は、武

帝の義理の弟・李広利将軍と、司馬遷の幼な

じみの李陵をモンゴルの奥深く攻め込ませま

した。                 

この時、李広利将軍は3万の大軍、李陵の

方はたったの5千の兵でございました。とこ

ろが北の砂漠・浚稽山におきまして敵の総勢

8万人の大軍と遭遇いたしましたのは、5千

人しかいない李陵の方でごさいました。李陵

という方は勇猛を持って知られた武将でした

が、八万と五千では戦うことあたわず、五〇

万本の矢をすべて撃ち尽くして、匈奴の捕虜

となってしまいました。         

李陵が討ち死にせず、捕虜となったという

知らせを聞いて武帝は激怒しました、そして

李陵の一族郎党ことごとく首を撥ねようとい

たしました、この時にまたもや司馬遷が  

「上様、お待ちください」        

「なんじゃ」              

「私の記憶が確かならば、李陵の祖父、広将

軍は五代皇帝・文帝さまの御世におきまして

匈奴の大軍が攻め寄せてまいりました時に、

弓の名手として敵の将軍どもを散々に射抜き

千石のご加増をたまわりました。また、牧狩

りの時虎に襲われました文帝さまを素手でお

救い申しあげたこともございました。さらに

先代景帝さまの御世にも匈奴に対する囮とな

って身をもって尽くされました。その子孫の

李陵もまた、五〇万本の矢を討ち尽くすまで

勇猛に戦ったとのこと、どうか、その武勇を

鑑み李陵の一族のお命をお助けくださいま 

せ」                  

司馬遷はいつものように、武帝が自分の言

うことを聞いてくれるだろうと自信満々で滔

々と弁舌をふるいました。ところが意外なこ

とに、武帝はみるみる怒りで顔を青ざめさせ

「おのれ、司馬遷、余の裁可に不服を申すか

僣上の沙汰限りなし。この無礼者に縄をかけ

て、牢に入れてしまえ」         

「上様、お待ちを、なんとしたこと、上様。

一体これはどうしたことだ。上様が私の言葉

に耳を貸さぬとは?」          

○武帝に仕えること25年、明日は宰相の座

にも登ろうかという一代の英才・司馬遷は、

その日のうちに暗い石牢につながれる身分と

なったのでございます。


         

「牢番、牢番、どうか上様にとりついでくれ

上様が私をこのような扱いをするはずがない

何か間違いがあるはず。牢番」      

「うるせい奴じゃな。静かにしねいと、鞭で

ぶっ叩くぞ」              

「無礼者め、私を誰と心得る、周王室の時代

より代々宮中にお仕えする司馬家の末裔、太

史公・司馬遷であるぞ。控えおれ」    

「司馬遷だかテラ銭だか知らねえが、この石

牢に入れられたら、ただの罪人だ。しかもオ

メエ様は、なんでも皇帝陛下のご下命での牢

屋入りだちゅうでねえか。ま、悪くて死刑、

良くても打ち首だ」           

「なんだ、どっちも同じではないか。ええい

誰か、誰か上様に取り次いでくれい」   

「騒ぐでねえ。騒ぐと俺が怒られるだ」  

牢番は容赦なく、半裸の司馬遷の体に鋭い

ムチを飛ばしました。たちまち肉は裂け、背

中に真っ赤な蛇のような傷痕が走りました。

「お前ら役人は、いつもは俺たち下っぱの事

は何も考えてねえ。ところが牢屋に入ると、

少しでも責めをゆるくしてもらおうと思って

牢番にも地べたに頭をすりつけて、おべんち

ゃらを言う。ところが牢から出たとたん、ま

た知らん顔だ…。とにかくここにいる間は、

俺の言うことを聞かないと、ひどい目に合わ

すからそう思え〜っ」          

さらに一打ち、また一打ち。あまりの痛み

に流石の司馬遷も気を失ってしまったのでご

ざいます。               

冷たい牢の中で皇帝にも取り次いでもらえ

ず、取り調べとは名ばかりで、来る日も来る

日もムチ打たれ、傷めつけられました。  

そしてすっかり反抗する気力も失せたある

一日。                 

「お前、運がいいなあ。どうにか、打ち首は

免れただぞ。お前の罪は、皇帝陛下への反抗

により、腐れ刑と決まっただ」      

『腐れ刑』というのは、豆腐の腐と書いて腐

刑。または宮刑といいまして、男性のシンボ

ル、シンボルでありいろいろと役に立つ例の

ものを切り取ってしまう刑でございます。あ

まり詳しく言うのも気持ち悪いんですが、も

ちろん麻酔なんてものはいたしません。トウ

ガラシの熱湯で消毒をした後、小さな鎌でい

っきにチョン切り、その後白鑞の針でセンを

いたしまして、傷口に水にひたした紙をあて

る、これでオシマイでございます。まあ想像

しても、その苦痛たるや死んだ方がマシとい

ったものでございましょう。腐れ刑、という

名前は、切った後が肉の腐ったようなひどい

○匂いがするのでついた名前のようでござい

ます。                 

いよいよ刑の執行の日、台の上に縛りつけ

られ身動きできなくなった司馬遷は、自分の

記憶をさぐって、何故こんなことになってし

まったのか、考え続けていました。しかしど

うしても答えが見つかりません。     

「なぜだ、なぜこんな目に合わされるんだ」

「ジタバタするでねえ。上の者にさからった

からに決まってるでねえか」足を押さえてい

た牢番がいいました。          

「私はこの25年、武帝陛下につかえて、忠

義を尽くしてきた。それがどうして」   

その時、刑場の扉が開いて入ってきたのは、

あの、武安公でした           

「その牢番の言う通りだぞ、司馬遷。いいか

っこうだな。何故こんな目に合うのか教えて

やろう。忠義ってものは、上様にだけ尽くせ

ばいいという物ではないぞ。いつぞや、濮陽

に行った時、黄河のほとり瓠子の村に堤防を

築かせたことがあったな。あの瓠子の上流に

はわが領地である河北のユウの国があったの

だ。瓠子が水びたしになるおかげで我が河北

は毎年洪水をのがれてきたのに、よけいなこ

とをしおって。随分と損をしたわい。だいた

い昔からお前のことは目障りだったのだ。だ

から貴様が李陵の弁護をした時、上様に申し

あげたのだ。『司馬遷めは上様の弟君・李広

利将軍が援軍を出さなかったことを責め失脚

を狙っておるのです』とな。司馬遷よ、物覚

えがいいというのと、頭がいいというのはチ

ト違うようだな」            

「おのれ、武安、よくもあらぬ罵詈讒謗にて

我を罪に落とし入れたなッ。上様にことの次

第を言上申し上げて…」         

「ムダなことだ、貴様はもう一生この牢から

出られぬ身、いくらわめいても上様に声の届

こうはずもないわ。ま、この腐れ刑の後まで

生きていられれば…だがな」       

やがて、刑の執行官が、するどく研ぎ上げ

られてピカピカになった、弓なりの鎌をもっ

てゆっくりと近づいてまいりました。   

「よし、やれ」             

鎌はキラッと光を見せたかに見えましたが

次の瞬間、司馬遷の下腹めがけて、振り下ろ

されたのでございます。


         

死んだ方がましという苦痛と武安公への怨

嗟の中で、100日の長きに渡り司馬遷は生

死の間を彷徨い続けました。下腹から体が腐

ってゆくような疼きと、またある時は火の出

るような痛みに襲われ、足腰は絶たず、ただ

冷たい牢の中を虫のようにはい回り、何より

も身に受けた恥辱の思いによって苦しみ続け

ました。命永らえても宮中に戻れる見込みは

ない、よしや牢から出られても生きて生き恥

を晒すだけ…、そしてある寒い夜のこと。下

腹にウジが湧いているのを見つけた司馬遷は

もう自分は人間ではなく腐った肉なのだから

これ以上生きていても仕方がない、牢内が寝

静まった真夜中、器のカケラで喉を掻き切っ

て死のう、と決意をいたしました。人を恨み

世を恨み、天を恨んで司馬遷の、喉元に今ま

さに手がのびたその時でございます。頑丈に

鍵がかかっている筈の牢の扉が音もなく開く

と、浮かぶがごとく静かに一人の老人が入っ

てまいりました。            

「父上、父上ではございませんか」    

「遷よ、ひさしぶりだな。十年になるかな」

「お懐かしゅうございます。しかし、何も会

いに来ていただくまでもございませんでした

今私は父上の所へゆこうとしていたところに

ございます」              

「どうした、何故に、わが黄泉の国に参る」

「父上。私はこの25年、上様に仕えてまい

りました。その間、何ひとつしくじりもせず

役目のために身を尽くしてきたつもりです。

それだと言うに、希代の佞臣・武安の一言で

牢に入れられ、あろうことか腐れ刑にまで処

せられました。真面目に勤めたものがこのよ

うな目に会い、上に媚びへつらったものが栄

えるとしたら、一体天道はどこにあるのでし

ょうか。このような世の中に生きる望みはご

ざいません。どうか父上の元へお連れいただ

きとうございます」           

「……遷よ、そちは十年前わしが死の床にあ

って残した言葉を忘れしか。孔子が『春秋』

を残して後はや数百年、その間全たき歴史を

書き留めた者は誰もない。わが司馬の家は古

くは周の時代より代々宮中に仕え歴史を司る

家柄。わしが再び書き始めた史書を、お前が

受け継いでくれると思ったればこそ、後ろ髪

をひかれながらも黄泉の国へ詣でたのじゃ」

「父上、お言葉ですが、父上が身罷られてよ

り一〇年、私は勤めが終わった後、一日も休

まず、古の、心ある人々の記録を調べてまい

りましたが、たとえば礼の道を守った伯夷・

叔斉はどうです、国を去り首陽山で飢え死に

したではありませんか。呉王夫差に忠義を尽

くした伍子胥はどうです、讒言により死を賜

ったではありませんか。たった五千の兵で8

万の大軍と高かったわが友・李陵はどうです

命令により戦場に赴いて一族郎党皆殺しです

そして故なく腐れ刑に処せられたこの私です

志が報いられた者など一人もいないではあり

ませんか。そんな話を後世に残したところで

何になるというのでございましょうか」  

「遷よ、遷よ。さればこそ、彼らのことをお

前が書き留めねばならぬ。恥辱を受けし今な

ればこそ、真の歴史を残すことができるはず

彼らが何故に生まれ、苦しみ、そして去って

行ったのか、今お前がそれを書かねば、志あ

る者たちの死を無駄にするに等しいではない

か。運命に負けてはならぬ、運命などとは他

人の書いた歴史に過ぎぬ。お前はお前自身の

全き歴史を綴るのだ」          

「おい、牢の中の腐れ刑のヤツ、さっきから

一人でブツブツ言ってるぞ」       

「なんだ? 一人で二人分喋っているぞ、気

持ち悪いなあ」             

「父上、しかしこのように牢にあって、史書

を書きつづけることなどできましょうか?」

「お前が望みさえ失わずば、必ず道は開くで

あろう」                

言い終わりますと、司馬談の体はスーッと

闇に溶け、後には深い闇と夜の静けさと、

汗びっしょりになった司馬遷が倒れているば

かり。やがて夜は更けて、朝となりますと、

牢屋の入口が騒がしくなりはじめました。


 

「皇帝陛下のおなりにございます」    

「遷、司馬遷はおるか?」        

牢の扉が開いて武帝が息をはずませて入って

まいりました。ハッと気がついた司馬遷が、

「おお…上様」             

「司馬遷、許せ。武安公は讒言の罪により罷

免いたした。長く余の力となってきたお前に

このような仕打ち……許しくれ」     

と、涙ながらに倒れた司馬遷の手をとります

「上様、一体どうしたことで」      

「何も言うな。この、牢番の口からすべて聞

いた」。                

武帝の後ろには、あの腐刑執行の時の牢番が

立っておりました。           

「太史公さま。実は私は黄河のほとり濮陽の

瓠子の出のものでございます。知らぬことと

は言え、とんだご無礼をいたしました。あの

時の堤防のおかげで、荒れ果てた村がどんな

に豊かになったことか。太史公さまは村の大

恩人でございます」           

「遷よ、このような目に会わせたつぐないは

させてもらうぞ。何が望みじゃ申してみよ武

安公の首を撥ねるか? 大臣になりたいか」

あまりの事にただ呆然とするばかりの司馬

遷でございましたが、さっそく牢から釈放さ

れ、明るい陽ざしの中で体も日に日に回復を

していったのでございます。       

結局司馬遷は大臣にはならず、武帝によっ

て新たに設けられた録・2000石『中書謁

者令』という役につきました。そのおかげで

司馬遷は宮中のすべての記録を自由に読むこ

とができるようになりました。また、自らの

身をもって、役人の横暴、権力の矛盾を知っ

たことにより、歴史上の人物一人一人に熱い

人間の血を通わせることができました。こう

して親子二代五〇年の月日をかけた、12本

紀、10表、8書、30世家、70列伝、総

文字数52万6500字からなる、後世のす

べての歴史書の手本となった司馬遷の『史 

記』が完成したのでございます。     

司馬遷は史記の完成後、武帝に遅れること

1年、紀元前86年ごろ、60を過ぎて死ん

だと言われております。その、司馬遷の、今

に残る最後の記録は、武帝のお家騒動に巻き

込まれて牢に入れられた友人に対する長い手

紙であると伝えられております。     

最後にわが友任安よ、今君は無実の罪で牢

にあり、世の不都合に人を恨み天を恨んでい

ることだろう。それでも、どうか希望をなく

さないでもらいたい。喜びにも苦しみにも、

人生にはすべて意味がある。どんな逆境に落

ち込んでも、必ずそれを活かすの道はあるは

ずだ。                 

かつて周の文公は囚われて『周易』を述べ

孔子は野に下って『春秋』を書きあらわした

左丘は両目を失って『国語』を世に知らしめ

孫子は両足を切られて尚その兵法を全うした

呂不韋は蜀に流されて『呂氏春秋』を広め韓

非子は始皇帝に屈してこそ『税難』『孤憤』

を後世に残すことができた。    

我も今、恥辱をすずぎて史書を後世に問う

万、命尽きると雖も豈悔ゆることあらんや

と。                

史記演義〜司馬遷、これをもって読み終わり

といたします。             






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