・・・二本松泰子原作・神田陽司潤色・・・       

ザ・ストーカー

『執着するは我にあり』     







人間というのは、強いようで弱いものでご 

ざいます。心の底ではいつも自分が世界で一 

番でなければ気が済まない。しかしその思い 

もいつかは現実に打ちのめされます。そうす 

ると、今度は自分以外に一番のものを見つけ 

てそれをあがめ奉り、自分の身代わりとして 

満足する。その身代わりを、天の神サマに求 

めれば宗教になります。しかし天の神サマで 

は遠すぎると生き神サマにすれば新興宗教に 

なる。それでも遠いとTVで毎日見ているア 

イドルにすれば追っかけ・アイドリアンにな 

る、たとえば会社という存在にすればモーレ 

ツ社員になる…いいことの場合もあれば迷惑 

な場合もあります。そして一番メイワクなの 

が、すぐ隣のフツーの人を勝手にまつりあげ 

て身代わりにすること。された方はたまった 

ものではございません。これを昨今はストー 

カーと呼んでいるようでございます…。   




時は現在の日本、所は東京。ここに、田中 

道彦という一人の男がございました。年は三 

十。学生時代から小説家になりたいと考えて 

おりましたが、特別何の努力もせず、学校を 

出る時には書くのがムリなら本を作る側にと、

易きに流れる考えだけで出版社に絞って就職 

活動をいたしました。           

元来人づきあいが嫌いで好きなことにしか 

興味を示さない道彦のような男が、多くの人 

間を相手にする編集者に向いているハズもな 

いのですが、思い込みだけは人一倍、どうし 

ても編集者になりたいと発作的に一途になり 

まして、就職面接の時にイキナリ面接官の前 

で土下座をして頼みこんだのでございます。 

フツーならもちろん落っことされるところ 

ですが、時しもバブルの絶頂期、もののつい 

でにこんなのを取ってみるのも面白ろかろう、

百科事典の販売促進の突撃隊員にと、小さな 

出版社に採用されたのでございます。思えば 

その会社に取ってはその甘い見方が災難の始 

まりでした。               

<そういえば、かつて二十年の歴史を誇った 

情報誌の老舗であったシティロードという雑 

誌も、ある男が入ってからタッタ4年で潰れ 

たと聞いておりますが…。今は講釈師…>。 

さて、田中道彦、採用の時に「販売をやっ 

てもらうよ」と言われていたにもかかわらず、

出版社に入ったのだから、当然自分の好きな 

小説やマンガの編集の仕事につけると勝手に 

決め込んでおりました。会社というもの、入 

ってみれば自分の好きな仕事ばかりできるも 

のではない。毎日毎日、百科事典の販促のた 

めに書店を営業に回る日々でございます。面 

接の時の情熱はどこへやら、気配りはできな 

い、愛想は悪い、そのうえ自分の興味のある 

話になると一人で延々と喋り続ける。書店か 

らもイヤがられ、これでは仕事になるワケが 

ございません。              

もちろん何度も何度も移動願いを出します 

が、とにかく勤務態度の悪すぎる。そんな道 

彦に機会が与えられようハズもなく、いかに 

小さな会社といえ、タッタ一年で完全に窓際 

族となってしまったのでございます。同僚の 

社員にも置いていかれ、新しく入ってくる社 

員にも追い抜かれ、今や誰にも相手にされな 

い会社のやっかい者。           

「フン、どいつもこいつも、僕の才能を理解 

できないバカばっかりだ」と強がりでなく本 

気で思っております田中道彦。そんなバカば 

かりの会社ならサッサと辞めればいいものを、

いつかは編集の仕事ができるだろう。そうし 

たら大変な才能を発揮して、今までバカにし 

ていたヤツらを見返してやると、これまた勝 

手な思いこみで愚痴をタラタラこぼしながら 

ズルズルと会社に留まり、書類整理などの雑 

用係みたいな形で、七年も鬱々とした不満の 

日々を送っていたのでございます。     




しかし、先日、三十三回目の移動願いを出 

した時上司から              

「いいかげん読むのも飽きたからもうこうい 

うものは出さないでくれ」と突き返されて、 

何かがプツッと切れてしまいました。    

「この上司は自分の才能をツブそうとしてい 

るんだ。こいつがいる限り自分はダメになる。

そうだ、コイツがいかに無能かを社長に報告 

してやろう」なにしろ仕事ができないヒマ人 

ですから人のアラを探してメモまで取ってお 

ります。そんな不穏なアイデアを思いついた 

矢先の、ある日曜の事でございます。    

休みのうちに社長への直訴状をまとめよう 

と、誰もいないオフィスでパソコンを叩いて 

いると、突然、机の電話がけたたましい音を 

立てて鳴りはじめました          

「なんだ。コードを抜いておけば良かった」 

と、しばらく無視をしておりましたが一分た 

っても、二分たってもベルは止みません。  

「うるさいな。仕方がない、ハイ、もしもし、

今日は誰もいないんですが…」       

と、受話器の向こうから聞こえてきたのは女 

のトゲトゲしい声でございました。     

「ちょっと、おたく、平文出版でしょ。この 

あいだ訪問販売でそっちの百科事典を買って 

今日届いたら、ひどい乱丁なのよ。ページが 

くっついてて、読めやしないんだから。高い 

もの売りつけておいて、ヒドイじゃない。す 

ぐ交換に来てよ!」            

「はあ、…じゃあ、郵便でお送りいただけれ 

ば郵送料はこちらで持ちますので…」と答え 

てはみるものの、相手はこんな重いもの、郵 

便局まで持っていけないとまくし立てる。水 

かけ論とはこのことで、そのうち道彦はめん 

どうになって、今から交換に行くと言ってし 

まいました。               

「じゃ、早くしてね」乱暴に電話が切れる。 

「冗談じゃないぞ。今日はそんなことをしに 

来たんじゃない。だいたい本の交換なんて販 

売係の仕事じゃないか。そりゃ自分も一応名 

目上販売係だけど…。ほっとこうか? でも 

もう一度かかって来たらイヤだしな」。   

道彦は重い腰を上げると、返品の手続き書 

類を引っ張り出し、倉庫から20冊組の百科 

事典を車に積み込んで言われた住所へ向かう 

こととなりました。            




休日の都心は車もガラガラで、私鉄沿線の 

相手のアパートまでは1時間もかかりません 

でした。2階の部屋の前までダンボールを運 

びあげ、『今村』と書かれた表札を確かめ、 

コトをできるだけ早く済ませてしまおうと、 

チャイムを押します。返事はありません。  

「ったく、どんなオバハンが出て来るんだ。 

エラソーに百科事典なんか買ってんじゃねえ 

よ」とても販促員のものとは思えない独り言 

を言いながら、再度チャイムを押します   

「ハイ?」と若い女の声、         

「あの、お電話いただきました平文出版のも 

のです。この度は誠にご迷惑をおかけいたし 

まして…」                

やがてカチャリ、とチェーンを外す音がし 

て、ノブが回り、ドアが開きました。すると 

そこに立っておりましたのは、道彦の予想に 

反した、二十歳そこそこの見目麗しい女性で 

ございました…。             

道彦の心に、高校時代にずっと片思いをし 

ていた女性の面影がよぎりました。いや、客 

観的に見て、その子よりもキレイだな、と反 

射的に考えながら、            

「あの、平文出版の…」          

「あ、あ。さっきはすいませんでした。ちょ 

っと腹の立つことがあって、その時丁度来た 

本が不良品だったんで…。ついキツイこと言 

っちゃって、ごめんなさい」        

ペコリ、と頭を下げた彼女の姿に、道彦は 

胸が高鳴るのを覚えました。        

道彦はゆっくり中に入り、        

「え、と、交換の場合は、書類を書いていた 

だくことになりますが…」カバンの中をガサ 

ガサと探りながら             

「アレ? アレ? あ、ダンボールの方かな 

あ?」                  

重い鉄のドアを開き、急いで閉めようとし 

たので、後ろから着いてこようとした彼女に 

気づかないで、上がったままのドアストッパ 

ーを、したたかに彼女の膝のあたりにぶつけ 

てしまいました。             

「あ、痛ッ!」              

「だ、大丈夫ですかっ」          

丈の短いスカートからはみ出した膝のあたり 

にうっすらと血が滲んでおります。     

「あ、す、す、すいませんっ」道彦はあわて 

ふためきながらも、その白い足と、血のうっ 

すらとした赤がなんてキレイなんだろう、心 

のどこかで考えておりました。       

「い、いえ大丈夫です。私の不注意ですか  

ら」かなりの痛みを感じているハズなのに、 

必死に笑顔を作ってこたえます。      

「す、すいません、あの、すぐ百科事典運ん 

できますから」彼女を残して外に出ながら、 

道彦はその思いやりのある言葉に感動すら覚 

えておりました。             

20冊組の百科事典を運び入れ、不良品と 

とりかえるのはけっこう時間がかかる作業で 

す。ゆっくりと事典を並べながら本棚にある 

他の本を念入りにチェックしてゆきます。自 

分の好きなロシア文学のシリーズや日本人の 

作家、あろうことか自分の愛読するマンガの 

単行本まで見つけ、道彦は心の中で快哉を叫 

んでいました。              

「お名前、今村美香…さんでよろしいんです 

ね」書類を受取りながら、心の中で、みか、 

みか、みか、と繰り返します。       

「あ、ハイ。重いのにご苦労さまでした」と 

彼女が答える。その膝にはさっき自分がつけ 

た傷が痣になって残っている。恨み言のひと 

つもいわず、自分をねぎらってくれる。なん 

ていい子なんだろう。道彦は心に灯がともっ 

たような気分でございました。       

………と、ここまでだったら単なるサワヤ 

カな男女の出会い、で終わるかも知れないの 

ですが…。ストーカーの素質が爆発してしま 

うには、何かひとつ特別なキッカケがあれば 

十分なのです。偶然というのは時として余計 

なことをいたします。美香…というのは、ま 

さに、道彦が高校時代に片思いをした女の子 

と、同じ名前だったのでございます。もちろ 

ん、いま目の前にいる今村美香とは何の関係 

もありません。ここからが、道彦の個性が発 

揮されるところでございます。       




「今村美香…(ニヤリ)芸術的な名前ですよ 

ねえ…」                 

「は、あ?」変な言い方だとは思いましたが 

褒めてくれているのだろうと、       

「ありがとうございます…。ごめんどうかけ 

ちゃって、今お茶を入れますから…」    

彼女がキッチンに立つと、道彦は部屋の中 

を見回しました。机の引き出しを開け、名刺 

入れから会社の名刺を一枚抜き出します。も 

っと情報を得たいと思いましたが、すぐに彼 

女が戻ってきてしまいました。       

お茶を飲みながら、まるで今みつけたよう 

な演技をして本棚の一冊をさし、      

「『真実の愛』この小説、お好きなんです  

か?」                  

「ええ、実は私、今はOLですけど、この本 

を読んで小説家になりたいと思ったこともあ 

ったんですよ」              

こういう時、「実は自分もなんです」と口 

に出して叫ぶ人は、ヘンではありますがまだ 

安全かも知れません。田中道彦はこのセリフ 

を、口に出さず、心の中で、大声で叫んだの 

です。                  

「そう、自分もなんです。やっぱり。やっぱ 

りね。あなたは僕の運命の人だったんだ!」 

そして、この日から今村美香の災難も始ま 

ったのでございます。           

返品作業を終えて会社へ戻った道彦には、 

社長への直訴状などもうどうでもよくなって 

おりました。               

自分は今日、自分の運命の人を見つけたん 

だ。なに、仕事なんてどうだっていい、彼女 

をまず手に入れてからゆっくり考えよう。そ 

う思うとさっきまで重くのしかかっていた会 

社への不満が、まるでウソのようにはればれ 

と消え去りました。            

道彦はまず、彼女について分かっているこ 

とをパソコンにに入力し始めました。名前・ 

今村美香。年齢21才、自宅住所、電話番号。

ここまでは返品の書類に書いてあります。次 

に盗んできた名刺。もちろん、道彦には「盗 

んだ」などという感覚はありません。運命の 

人である彼女のことを少しでも知るのは自分 

の義務なのです。会社の住所、所属、電話番 

号…。                  

フツーの人なら、知った上で何か彼女に近 

づくキッカケを求めるでしょう。ところが、 

道彦にとっては「運命の人」と結ばれるのは 

必然ですから、焦ってキッカケなど作る必要 

はない。それよりも彼女について知りたいと 

いう欲望が先に立ちます。         

今度は彼女が住む町の区役所へ行って戸籍 

を調べます。すると実家の住所もわかります。

興信所など頼む必要はありません。いや、彼 

女について調べることは、間違いもなく、二 

人が近づいていく証拠だと思っておりますか 

ら、調べるのが楽しくて楽しくて仕方がない、

そんなことを人に頼むワケがありません。  

実家の住所や家族構成がわかると、コトは 

どんどん早く進みます。千葉の実家にはふた 

つ上の兄にみっつ下の妹がいる。会社に電話 

して、兄と名乗ればかなりの情報が手に入り 

ます。人づきあいがキライなくせに、彼女の 

会社まで出かけ、同僚の女の子のに声をかけ 

て今村美香の兄と名乗り、         

「最近妹が変なんだけど、何かあったのか  

な」などと演技して見せるくらいは朝飯前で 

す。またこういうドラマチックなフリに女の 

子は弱い。自分がドラマの登場人物にでもな 

った気になって(飯島・松本)、今村美香の 

ことをペラペラと喋ってくれます。     

こうして、彼女が最近、もと同級生でフリ 

ーターの恋人とケンカ別れをしたことなどを 

聞き出しました。             

こうして、一方的に彼女のことを調べれば 

調べるほど、道彦にとっては彼女が魅力的に 

輝くのでした。フリーターと別れただって。 

当然だ、男は仕事ができなきゃ。その点、自 

分にはまだ認められていない才能がたくさん 

あるからな…。彼女のことを調べるために会 

社にもほとんど行かなくなった道彦はこう思 

ってほくそえみました。          

さらに道彦は、彼女が使っている化粧品、 

シャンプーもリンスも、ティッシュの種類、 

下着のメーカー、好きな食べ物、ミソ醤油の 

銘柄に至るまで、何もかも調べ上げました。 

どうやって調べたかと言えば簡単なことで、 

アパートまで行って朝出してゆくゴミ袋をそ 

っと持って帰ってくる。これはゴミですから 

法律にも触れないことなのでございます。  

もちろん、彼女の写真も手に入れました。 

これだけはハッキリ写っているものが欲しか 

ったのでプロの興信所に頼みました。ピント 

もバッチリのものを、会社の制服と帰宅時の 

私服のものを手に入れました。       

お分かりでしょうか? 道彦の心の動きを。

何故彼女に直接会いに行かないのか? 会っ 

て傷つけられるのが怖いから、そして自分の 

イメージが壊れるのが怖いからです。それよ 

り、彼女のことを調べつくすことで、いわば 

彼女についてのテストで100点が取れるよ 

うになれば、彼女を支配し、自由にするとこ 

ができると信じこんでいるのです。勝手な思 

い込みです。そして、一人で頭の中で考えて 

いる限り、なにもかもがうまく行っていると 

思えるからです。             

道彦はこの後どうするつもりなのか? こ 

れが情けない所で、自分からは動きたくない 

のです。このまま彼女のことを調べ続ければ 

そのうち彼女にバレる。そうすれば、ここま 

での情熱を費やした自分を好きにならないハ 

ズがない…。繰り返しますが、このテの男は、

本気でこう信じているからタチが悪いのでご 

ざいます。                

ところが、そんな悠長なことを言ってられ 

ない事態が起こりました。         

今や道彦は、会社もクビ同然になり、彼女 

のアパートの近くに車を停めて、窓の外から 

仕掛けた高感度の盗聴器から聞こえてくる彼 

女の部屋の音を、彼女の写真を見ながら聞く 

のが楽しみになっていました。それである日、

彼女がケンカしたはずのフリーターの恋人と 

ヨリを戻したらしいことに気づいたのです。 

道彦は、初めて焦りました。しかし、すぐ 

に落ちつきを取戻し、           

「よし、ではそろそろ正体を明かすか」など 

と考え、やっと一通めの手紙を書きました。 




そこには何が書かれていたか? あの百科事 

典を持っていった日のことがいかに印象的だ 

ったか、自分がいかに彼女と共通の趣味を持 

っているか(本棚を見ただけなのに)、そし 

て高校時代の片思いの相手が「美香」だった 

ことがいかに運命的か…。といったことが延 

々と書き綴られておりました。さらにそこに 

自分の写真と履歴書を添え、あろうことか今 

までの調べた彼女のデータをレポートにして 

同封し、貯金を下ろして買った百本のバラの 

花を添えて彼女に送りました。       

「これで完璧だ」何度も言いますが、道彦は 

本気でそう信じております。        

さて、受け取った今村美香は、まさかこの 

世にこんな不気味なラブレターがあるはずな 

いとアッケに取られましたが、それはきっと 

純粋な情熱のなせる技と、実に実に好意的に 

善意に解釈をいたしました。そして、丁寧な 

返事を書いたのです。(まあ、フツー、ゴミ 

箱まで漁られてたんですから、警察に通報く 

らいはしたらいいのに、優しい人ほど巻き込 

まれてしまう、という不条理なことですが)。

「お手紙読みましたが、私はあなたの事はよ 

く知らないんです。それに、今の彼とは一時 

喧嘩をしていただけですし。実はあの日も、 

彼との喧嘩で不機嫌になっていたんです。百 

科事典も彼からすすめられたものだったので。

お花をありがとう。その情熱があれば、きっ 

といい人が見つかると思います」      

さあ、これを読んで道彦はどう考えたか。 

「? 彼女は何か誤解をしているんだな。僕 

の情熱が伝わらないはずがない。いや、もし 

かすると、ちゃんと手紙が着かなかったのか 

も知れない。そうでなければ、きっとフリー 

ターの男に脅かされているんだ。可哀相に、 

僕が助けてやらなくては」         

その日から、道彦は、彼女の自宅といわず 

会社と言わず、電話をかけ続けました。とこ 

ろが、いつも彼女はとにかく電話を切ろうと 

します(当たり前ですが)。        

これはきっとその男が近くにいて監視して 

いるに違いない。働きもせずなんてヒマなや 

つだ、そうだ、一時間ごとにかけてみよう。 

いくらヒマでもこの僕の情熱には勝てるまい。

そしてヤツが監視していない時に、彼女は本 

心を告げてくれるに違いない。       

道彦は一時間ごとに、それも秒針を見なが 

らぴったり0分0秒に電話し続けました。夜 

の12時から朝の6時まではお互いの睡眠の 

ため休みますが、5時半には目を覚まし、6 

時ピッタリにまた電話します。       

「おかしいなあ。電話は出ると同時に切れて 

しまう…。ヤツがずっと側についているの  

か? じゃあ仕方がない」         

とうとう道彦は直接行動に出ることにしま 

した。                  

「男は愛する者のためには命だってかけるん 

だぞ」と相手の男と戦うつもりで彼女をつけ 

回しました。会社も、自宅も、英会話教室も、

どうしたワケか最近通いはじめた神経科の病 

院にまで。しかし、すぐに彼女は自宅から出 

てこなくなりました。           

「よし、成功だ。これでヤツが彼女を付け回 

すコトはできなくなったぞ」        

意気揚々と、両手一杯の黄色いバラの花束 

かかえて、彼女のアパートを訪ねました。  

「美香さん。美香、もう大丈夫だよ」    

ドアが開かれ、中に入ると、呆然とした彼 

女が立っておりました。          

「待たせたね。やっと僕らの新しい人生が始 

まるんだよ!」叫んだ瞬間、両側から腕を捩 

じり上げました。バラは床に散らばり、道彦 

はその上に押さえつけられました。     

「な、何をするんだ」           

「田中道彦だな。軽犯罪法28条・追随等の 

罪の及び脅迫の嫌疑で身柄を拘束する」   

二人の刑事が道彦に伸しかかって押さえつ 

けました。                

奥からは彼氏らしき男が出てきて     

「刑事さん、こいつに間違いありません」  

「? 美香? 美香さん?」        

彼女はただ黙ってうつむき、肩をふるわせ 

ております。               

「お前のせいで美香の神経はズタズタになっ 

てるんだぞ。このストーカーめっ!」と男が 

詰め寄ります。              

道彦はす、べ、て、を、ハ、ッ、キ、リ、 

と、悟りました。             

「あ、離してください。すいません。暴れま 

せんから…お願いします。ね、刑事さん、一 

言、手をついてあやまりたいんです。お願い 

します」                 

刑事が顔を見合わせ、腕の力を抜いた瞬間 

でした。土下座の姿勢を取った道彦は、内ポ 

ケットに入れておいたナイフを抜くが早いか、

正面に立っている美香の膝めがけて切りつけ 

ました                  

「キャアアア」              

床に散ったた黄色いバラに血が飛びました。

かなり深く肉をえぐり取った様子でした。  

「私が一体何したっていうのよっ!」    

「美香、もういいんだよ。演技しなくても。 

その傷でそいつもあきらめがつくさ。ね、痛 

いかも知れないけど、その傷痕がぼくらの愛 

の証しになるんだ、ちょっとだけ辛抱してお 

くれ…」                 




道彦は医療刑務所で「ボーダーライン人格 

障害」との診断を受けました。これははノイ 

ローゼと分裂病の境い目。つまりキチガイす 

れすれということになるでしょう。小説家志 

望だった男の犯罪ということで、新聞などは 

「執着するは我にあり」といった見出しをつ 

けて事件を取り上げました。しかし、道彦は 

その噂を病院で聞いてもせせら笑っておりま 

した。                  

「執着? わかってないなあ。これは愛の物 

語なんだよ。それも真実の愛の。そうとも、 

この世に真実の愛と呼べるものは、僕のこの 

気持ちしかないんだから。いつかここを出た 

ら、たとえ何十年たっていても、今度こそ彼 

女を救い出してみせるぞ。それまで、それま 

で辛抱して待っていておくれ…」      

道彦の思いは、水底に石が沈むように、深 

まるばかりでございました…。       

執着するは我にあり。これをもって…。  








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