『テロリスト 大石内蔵助』




元禄時代と申しますと、太平の世が百年も

続き、すでに今と変わらぬ経済中心の世の中

になっていったと申します。吉良上野介をは

じめとする、賄賂横行の現実をみてもそれは

実感できるところでございます。     

それでも元禄の頃の将軍・綱吉という方は

学問好きの真面目な方で、天下万民に儒学を

奨励いたしました。その徳目の中で特に重ん

じましたのが「忠と孝」で、日本橋のたもと

には常に「忠孝は国の基」「忠孝を励ますべ

きこと」という立て札がかかげられておりま

した。                 

武士たるものにとって「敵討ち」が果たさ

ねばならぬ義務であったのも実は「親の仇は

共に天を戴くべからず」という儒学の教えな

のでございます。江戸時代、親の仇討ちは数

知れずございましたが、主君、お殿様の仇討

ちなりますと元禄の赤穂義士の他にはひとつ

も見当たりません。それほどに、元禄の頃に

は「忠と孝」とが一体になっていたのだと申

せましょう。              

その中心となりましたのが、元・赤穂藩筆

頭家老・大石内蔵助。この方、古来講談では

「ご城代さま」などと呼ばれておりますが現

実にはタダの筆頭家老で、どうも普通知られ

ている姿とは異なるところが多くあるようで、

お家再興を第一に考えていたのか、ただ敵討

ちさえできればよいと思っていたのか、今に

至るまでその本心は明らかになっていない、

というのが実際のところでございます。  

それでも元禄十五年、ご舎弟大学君が広島

のご本家お預けと決まり、お家再興の目が消

え、いよいよ討ち入りしか道はなくなった、

さて・・・。              

ここは山科にございます大石の屋敷。京の

町中から遠く外れ、竹林に囲まれました静か

な佇まい。本心を心深くに隠し、大石はそれ

でも庭を作り牡丹を丹精し、表向き静かな日

々を送っておりました。妻・りくは幼子を連

れて実家に返り、二三人の中間の他は長男・

主税良金との二人暮らし。        

「ごめん下さりませ、池田さま、久衛門さま

はおいででございましょうか」と、玄関から

声をかけましたのは、大石が京に来てから最

も親しくまじわっております町人、二条にあ

る酒問屋の二文字屋次郎衛門。      

「はいはい、ちょっとお待ちを」と下男が奥

の座敷へ取り継ぐ、           

「旦那様、二文字屋さんがお見えでございま

す」                  

「うむ」と、書き物から目も上げず内蔵助 

「通せ」                

「はい……あの、なんだか知れませんが、娘

さんをお連れのようでございますよ」   

「娘? はて……」           

障子が開き、部屋へ入ってまいりました二

文字屋次郎衛門。横に連れておりますのは、

年頃十九か二十歳かといった町娘。    

「池田さま、ごぶさたでございます。おっと、

半月ほど前、撞木町でお会いしたばかりでし

たかな」                

次郎衛門が腰を下ろすと、娘も後ろに腰を

下ろす。人目を引くような器量はしておりま

すが、伏目がちの、見るからに無口そうな顔

で、まるでよくできたお人形のような娘でご

ざいます。               

「二文字屋殿もお人が悪い。池田久右衛門と

は遊びの時の源氏名、誠は元・赤穂藩の昼行

灯、大石内蔵助とご存じのはず」     

「あ、いやいや、そうですな。お家の中でま

で池田さまと呼んではどこの家だからわから

なくなりますな。めったに昼に合うことはな

いので、クセになっておりました」    

「時に二文字屋殿、その娘子は?」    

「これはま、うちの娘でしてな…まあまあ、

この娘のことは脇に置くとして。今日はチト

お尋ねしたいことがございまして」    

「ハテ? 尋ねたきこととは?」     

大石は、討ち入りに関しての事は一切漏れて

いないと自信がありましたので不審に思い

二文字屋の顔をじっと見据えました。   

「池田…いや、大石さまは……もうずっと、

こちらの方へ住み着かれますのでしょうな」

「…左様。山科へ移って一年……城勤めと違

いはじめは戸惑ったが、慣れてみれば隠居暮

らしも悪くない。庭を作り牡丹を丹精し、竹

林に出ては鳥の声を聞き憂き世を忘れる…ど

うせ城勤めの折りには<昼行灯>などと呼ば

れたこの内蔵助、こういう暮らしの方が性あ

っておる」               

「それはそれは……しかも、時には撞木町や

祇園の方へも足をお運びになる……。けっこ

うなご身分で…そいうえば、私と知り合いま

したのも祇園の座敷でしたなあ。あの時の遊

びは面白うございました」        

「これ二文字屋殿、娘子の前でする話ではな

かろう」                

見ると、娘は二人の話を聞いているのかい

ないのか、ただ視線を落として畳を見つめて

おります。               

「いやいや、お気になさらずに。時に大石さ

ま、お内儀、いや奥方さま、何でもご実家へ

お返しになったとか」          

「そんなことまで耳に入っておるのか。流石、

二文字屋、色町でも名の通った地獄耳よな」

実は大石がわざとこの二文字屋に近づきに

なったのも、そういった世間の事情に通じて

いたからなのでございます。       

「いや、りくとは昔からいろいろあってな。

実家へ返したというのはこれ外聞で、その実

すっかり愛想ずかしをされたのじゃ」   

「はあ…マ、何にせよ、もうお戻りには?」

「左様、法に則って離縁した故、戻ることは

なかろう」               

「それは…それは…しめしめ」      

「しめしめ?」             

「いや、なんでもありません。さて、大石さ

ま、ここにおります…娘のお重。え〜、これ、

お重、大石さまにご挨拶を」       

「ハイ……」とにっこりと花の咲くように微

笑みました。花が咲いたようではありますが、

心あるものならば、それが作りものの化粧で

あることは見てとれるような笑顔でございま

す。                  

「どうです、器量よしでしょう。愛想は……

まあある方じゃないかも知れませんが、あ、

仕事はできますよ。台所のことでも、縫い物

でも、おまけに字まで読めると来てる、まあ

わが娘ながらよく出来た娘でございまして 

ね」                  

「どうも話がよく見えないのだが」    

「ハイ。簡単に言いますとね、あれです、縁

談でございます」            

「縁談……この娘さんを……。いやしかし、

主税はまだ十六になったばかり、嫁を取るの

は早すぎると存ずるが」         

「あ、いやいや、主税さまのなんてことは考

えておりません。や、縁談といっても、何も

お武家様の奥方に納まろうってんでもないん

で」ここで二文字屋、自らの座布団を外し、

「どうか、大石さま。お人柄と見込んでお願

い申しあげます。この娘を引き取ってやって

くださいませ」             

昼行灯のあだ名は伊達ではない。どんな事

が起こっても滅多に慌てない大石ですが、思

いもかけない話にさすがに驚き、     

「待たれよ、二文字屋殿。この内蔵助四捨五

入すれば五十にも届こうという…いや、切り

上げれば四十だが、ん、以外に若いかな、い

や、とにかく。二文字屋といえば立派な酒問

屋。そこの娘子を、引き取れとは…」   

頭を下げておりました二文字屋、    

「身代限りをいたしました。それどころでは

ない、相場にも手を出しまして、今日明日に

も姿を隠さなくてはならない身の上で」  

身代限り、とは即ち「破産」の事。   

「この元禄の御世には真砂の数ほどある話で。

ロクでもない連中からも金を借りております。

女房には死に別れ、家族は一人このお重のみ。

アタシ一人なら身も軽く、川に流れた木の葉

ずく、江戸大坂の人並みに、紛れ逃れて隠れ

もするが、娘がお重で身は重荷」     

「こらこら、さっき拍手をもらったからと言

って」                 

「すいません。とにかく、この子を連れてた

んじゃすぐに足がついてしまう。といって、

私も余所から京へ出て身代起こしたヨソもの

で、確かな身内もございません。誰かに預け

ても借金のカタに連れていかれるのがオチで。

それだけはなんとか逃れたいのでございます。

その点大石さまならご身分もお確かだ。半年

ほどのおつきあいだが人柄も分かっている。

何よりお武家様だ、妙な連中だってお武家様

のお家さまだと言えば手出しもできまい。何、

ホントに家に置いてくださるだけでいいんで。

どうか、どうかお人柄と見込んで、どうか」

あまりの事に大石。お重の方を見る。オヤ

ッと思いましたのは、二文字屋が肩ふるわせ

て涙を流しているのに、お重の方は妙に落ち

着いて、ただ形だけ頭を下げているといった

風情でございました。          

「とにかく、これ、二文字屋殿、面をあげな

さい……借銭はいかほどだ」       

「いや、それは……それはもう。二十だの三

十だのってなら家屋敷売り払って、なんとか

いたしますが、もう、桁が一つ二つ違うんで」

エライ事を言いました。ケタ一つ違えば百

両、フタツ違えば千両。いかに大石といえ、

討ち入りを控えたこの時に、どうにかできる

金ではございません。          

「どうしてそのような事に」       

「大名貸しですよ」           

「大名貸し……」            

「元禄の御世の好景気で酒問屋の方はいい調

子だ。ここらでひとつ勝負に出ようと両替商

の監察手に入れて手広く始めた。そしたら芸

州の山内さまのご家中で急の物入りだ、利息

ははずむからと。で、余所で借りてまでドン

ドン貸した。その挙げ句がご公儀からの<相

対済まし令>。さすがの事情通のあたしも、

こればっかりは思いも寄らなかった。で、ア

ッケラカーのカーだ」。         

相対済まし、というのは武家の町家に対す

る借金についてお上は一切知らぬ、互いに相

談して済ませろ、実質踏み倒させろいうムチ

ャクチャなお触れ、今でいう債権放棄でござ

います。                

内蔵助は思いました。         

「芸州、山内家といえば…安芸のご本家とも、

赤穂藩とも関わりが深い。そうか、五万三千

石のお取り潰しの類がこんなところまで及ん

でおるのか…」             

「落ち着きなさい。ああ、これ、お重とやら。

その方も何とか言ったらどうだ」     

お重がゆっくり顔を上げる。この時内蔵助、

はじめて目をあわせました。その人形のよう

な面立ちには、涙ひとつ浮かべておりません。

「その方も、いかに追われる身の親といえ、

ともに暮らし、親孝行をしたいであろう」

親孝行、と聞いた刹那、フト息が詰まった

ように内蔵助を睨みましたが、      

「……おとっつあんの、言われる通りするの

が娘の勤めと存じます。どうか大石様の元に

置いてくださりませ」          

「さて…困ったな。とにかく、この大石、リ

クに未練があるわけではないが、さりとて再

び身を固めるつりはない」        

「いえ、もう、ホントに置いてくださるだけ

で、何でもお世話をさせますので……この子

はね、可哀相な子なんですよう。いや、あの、

アタシがだらしないからなんですが。どうか、

どうか、大石さま」           

「これ、主税、主税はおらぬか」     

「はっ、これに」            

「なんだお前、障子の陰で立ち聞きとは武士

らしくもない」             

「父上の日頃と違う慌てぶり、今見ておかな

いともう一生見れないかと思いジックリ観察

をしておりました」           

「イヤな息子だな…。その方、小野寺十内の

ところへ二人を連れて相談にのるよう頼んで

参れ。十内は京にも長い、何かよい手だてが

あるやも知れぬ」            

「いや、大石さま。ホントに、もう、借金取

りの連中がどこにいるかわからないんで」 

「この主税は若年といえお二人を守るくらい

のことはできる。小者も二三人つけるゆえ、

安心して参るがよい」          

なおもむずがる二文字屋を説き伏せ、とに

くか小野寺の屋敷で相談するようにと娘とも

ども主税とともに送り出しました。    

部屋に一人残りました内蔵助。さて、この

頃、大石は討ち入りについて一つの計略を練

っておりました。世に言う「神文返し」すな

わち、神に誓って大石と行動を共にするとい

う誓約文を大高源五の手によって皆に返す、

しかも「大石さまは毎日色町で遊びほうけて

おられるから、もう討ち入りはできまい」と

説明までつける。素直に受け取ったものはそ

のまま仲間から外し、受け取りを拒否したも

のは討ち入りに参加させよう、いわば討ち入

り本気度テスト、でございます。     

二文字屋を早々に返したのも、実はこの日

江戸、大坂の同志の元を回った大高源五がそ

の報告に来るはずだったからでした。   

ボンー。遠く響くは暮れ六の鐘。東山三十

六峰に日もとっぷりと暮れて、竹林に風のざ

わつく頃になってやっと到着いたします。 

「おお、源吾まちかねたぞ、遅くなったな」

「はっ遅くなりまして申し訳もございませぬ。

日が暮れますと道が遠うございます。こうい

う時にインターネットで連絡できると便利で

すな」                 

「それでは<講談インターネット>になる。

神田陽司はあまりストーリーのバリエーショ

ンが多くないからな。だからアニメのシナリ

オライターになるのも諦めたそうだが」  

「太夫、大石さま。笑い事ではございません」

「なんだ、自分からふっておいて」    

軽口をきいていた源吾の顔が引き締まって

「太夫……すでに我等一同が山鹿素行先生に

教わった忠孝の道は廃れてしまったように思

います」                

「どうした」              

「殿が無念の切腹をなさってよりまだ一年余

り、某は軽輩の者なれど、代々恩顧の方々ま

でが……」               

「何人だ」               

「………」               

「十人か? 十人を超えておるのか?」  

「……」                

「では二十人か……いや、致し方ない。一年

も経てば君恩を忘れるものも出よう」   

「……」                

「……源吾、どうした。二十人くらいの脱盟

は予想のうちじゃ、気を落とすでない。何、

そのための、意気の失せたものを間引くため

の神文返しではないか」         

「……」                

「さ、三十……まさか、四十に届くというの

か、源吾、答えよ。これ、神文を受取りしも

のは、脱盟をした者は何名じゃ」     

「・・・な、なな」           

「何?」                

「・・・七十。七十二でございます。七十二

人が、仲間から離れました……太夫。……忠

孝は国の基。これが元禄の世なのでございま

しょうか。このままでは、討ち入り決起があ

ったとして、同志は……同志は五十人に届き

ませぬ」                

今でこそ四十七士として有名な赤穂義士で

すが、戦に確実に勝つには倍の兵力が要るの

は常識。吉良方は家来の武士だけでも五十は

超える、そこへ戦を仕掛けるのですから最低

限百人、しかも上杉家の援軍がありますから

この時点での同志百二十でギリギリという数

字のはずでした。それが……大石らの予想を

遥かに超えて、一気に七十二名の脱落でござ

います。                

「太夫。もう、待てませぬ。これ以上待てば

さらに抜けるものは増えます。すぐに江戸面

へ向かいましょう」           

「源吾、落ち着け。無論この大石一人なら、

殿への忠義のために命を捨てるにためらいは

ない。だが、同志の中にはさまざまな考えが

あろう。吉良を討ち取ってこそ本懐と思うも

の。あるいは、その本懐の手柄を土産に再士

官を望むものもあろう…。。討ち入りとは申

せこれは戦じゃ。勝てぬ戦、犬死の決まった

戦を仕掛けることが正しいかどうか」   

「太夫。皆、もう進退極まっておるのです。

三村次郎左衛門も、神崎与五郎も、収入は太

夫からの五両ずつの送金のみ。吉良の賂、何

百両というに、我等には、たった五両に頼っ

て命をつないでおるのです。矢頭右衛門七に

いたっては、父・矢頭長助の野辺の送りのた

めに先祖伝来の鎧を売る始末・・・どうか・

・・」                 

「しかしな……」と、この時、内蔵助気配を

感じて、                

「何奴!」と、脇を乗せていた脇息を障子に

向かって投げつける。桟が割れて穴があいた

向こうに怪しの人影、          

「源吾」                

「ハッ」と答えて大高源吾、はしり出して曲

者の腕をひねり上げ、連れてまいりましたの

は町人の娘。大石ハッといたしましたのは、

なんと先程のお重でございます。     

「おのれ、吉良の間者か?」       

引き据えて、座らせようとした途端に、源

吾の脇を抜けてバラバラバラっと廊下の先へ。

クセ者をお重と見てとった大石は今度は先

に立って追いかけてゆく。        

台所へ逃げ込んだと見えて、鍋鎌のひっく

り返る音がする。大石が覗くとまな板が飛ん

で来た、サッとよける、今度はしゃもじ、急

須、〓油差し、味の素、マヨネーズ    

「もったいない。いや、危ない!」    

大石が台所に飛び込むと、お重は木戸を開

けて裏口へ……             

ヒューッと夜の冷たい風が吹き込んで来る、

屋敷の裏へ出れば、東山三十六峰、背の低い

山々を遥かに見下ろすように天に皓々として

明かり。照らされてなお影をなす竹林。お重

はそこに分け入って、笹踏み分けて逃げてゆ

く、足を取られてころべば、すぐに追いつく

内蔵助。                

「お重、なぜ戻ってきた」        

「お父っつあんが夜になったらしのび込め、

もう一度置いてくれるよう頼めと言われまし

た」逃げるくらいから怖がっているかと思え

ば、最前とおなじく落ち着いたものです。 

「二文字屋は、主税はどうした」     

「小野寺さまのところでまだ何か相談してお

ります」                

「いかがしました」と後ろから追いつく源吾。

「あ、いや、知り合いの娘だ。源吾、今日の

所は宿へ戻ってくれ」          

「しかし太夫、その娘、我等の話を…」  

「ああ、わかっておる。わかっておる。また、

明日な」                

「ハッ」と答えて源吾は素直に引き上げる。

よも吉良の間者ではあるまいと大石は思い

ましたが……              

「お重・・・さっきの話を聞いたか? いや、

聞くまいな」              

「聞きました」             

「これ、聞かぬと言え。さもなくば、同志の

秘密じゃ、どうでも切らねばならなくなる」

「覚悟しております」          

「何を言う。わしがそなたを切ったら、父親

が、二文字屋殿が悲しむであろう」    

「あの人はお父っつではございません」  

「なんと?」              

「どうぞ。切るならお切りくださりませ。も

うどうせ行くところはなし。お父っあんの言

う通りにして切られたんなら、それでよろし

ゅうございます」            

「父ではないと言ったではないか」    

お重はそれきり口を貝のようにして黙って

しまう。                

「娘、本当のことを申せ。申さぬか。話を聞

いたとあれば、脅しではすまぬぞ」    

刀の柄に手がかかる。         

お重の方はツト眉根を上げましたが、うつ

むいたまま。もう逃げようともいたしません。

「何故じゃ。何故、お前のように若い娘が切

られることを恐れぬ。誠に吉良の間者なる 

か? なれば、二文字屋にも問いたださねば

ならぬぞ」

お重は笹の影がせわしく揺れる土の上にピ

タッと着座なし。            

「されば、すべて正直にお答えいたします。

その代わり、二文字屋次郎兵衛にはお咎めな

きよう願います」            

「心得た」               

ザーーッ、ザーーッと竹林を吹き渡る風が

ふたりを包みます。           

「私の生国は相模国、上九沢村の百姓甚兵衛

の娘しげと申します。甚兵衛が、飢饉で年貢

が払えず、宿場の飯盛宿に売られました。い

え、自分から奉公に出ました。年季は十年、

給金は五両でございます」        

「なんと、年季十年で五両なのか」    

「はい、たったの五両でございます。売られ

て三年目、十五の頃でした。店に出されるよ

うになり、夜は客をとらされ、昼は疲れた体

で薪取りにいかされる。病気になっても、熱

が出ても休めば折檻される、そうして、その

病の中で店に出ていたとき、お父っあん…江

戸へ行く途中の二文字屋さんがお客としてま

いりました」              

「それで」               

「病気だと聞いて薬をくれました。私は呑み

ませんでした。どうして飲まないかと聞くの

で、それは証文のせいなのですと答えました。

このまま病で死ねば借銭は五両のままで済む。

けれど、仕事の辛さに首を括れば倍の十両を

返さなくてはならない、と証文に書いてある

のございます。たださえお金に困って娘を売

りに出したお父っあん、甚兵衛に払えるはず

もございません。それで、どうかこのまま死

なせてくれと申しました」        

「世の中には、そんなヒドイ話もあるものか

な」                  

「本当に、お侍さまというのは何も知らない

のでございますね……その話をしたら、二文

字屋さんは、可哀相にと身受けをしてくれま

した。それから江戸へついて行き、返りに上

九沢村のお父っつあんの所へ寄らせてもらっ

た・・・お父っあんはもう亡くなっておりま

した。おっ母さんも」          

えんえん語る身の上話。内蔵助は二十歳に

もならない娘がこんな辛いことを淡々と語る

のが不思議に思えました。結局お重は二文字

屋に連れられて京へのぼり、養女ということ

で引き取られたのでございます。     

「とは申しましても実際はただの囲い者。読

み書きを習わせ、実の娘と偽って仲間うちを

油断させ、商売の裏を探る役目をもたされて

おりました」              

「なるほど、立ち聞きは手のうちか。どうり

でさっき気配に気づかぬはず」      

「……それで商売もうまくいっておりました

が、最前の通り、欲をかいての身代限り……

それでも私を売りに出したりしないのは最後

の哀れみというものなのでございましょう」

「そうか……ところで、さっきの話、どこか

ら聞いておった」            

「はじめから、ずっと。講談インターネット

のところから、ずっとでございます」   

「致し方ない。同志の秘密、残らず聞いたと

なれば、やはり切るしかなかろうな」   

「ですからどうぞと申しております。昔なれ

ば百姓は飢饉で飢えて死ぬだけだったもの。

お金が出回り年貢もお金でお納めすることに

なり、借銭ができる世の中ゆえに永らえまし

た命、何も惜しくはございません」    

「よう言うた。覚悟いたせ」ギラリッと腰の

ものを抜き、八艘に構える。内蔵助、秘密を

守りたいのではない、なんとかこの娘から命

ごいの言葉が聞きたいくて、必死に脅しをか

けているのでございます。        

「切るぞ。今、その細首を切られるのだぞ。

最後に何か望みはないか。何か申せ」   

「では申し上げます。大石さま。仇討ちは如

何するおつもりです」          

「何?」                

「必ず仇討ちをなさってくださいませ」  

「それが最後の望みというのか」     

「はい。他には何も望みはありません。ただ

ひとつ。・・・公方さまも<忠孝に励め>と

おっしゃっておられます。どうか、大石さま

も忠孝におはげみ下さいませ。      

街道の飯盛宿にいた時、店で「ぬい」とい

う娘と一緒でした。ぬいも私と同じ、年貢の

カタとして売られて参りました。けれど二年

めに、源兵衛という若者と心中をいたしまし

た。その日……その日、ぬいは……ぬいちゃ

んは、なけなしのお金で、年季は八年分も残

っている、食を絶ってまで必死にためたなけ

なしの一両で・・・真新しい着物を来て死ん

でおりました。源兵衛さんと刺し違えており

ました。店にいる時には一度も見たことのな

い着物でした。             

大石さま・・・忠公は国の基なのでござい

ましょう。ぬいちゃんも、私も、ほかの数知

れぬ娘たちも、ただ親に孝を尽くすとの思い

だけで、生きるも死ぬるも勝手ならぬまま辛

い勤めに今も耐えております。      

お侍さまには、少なくとも死ぬる勝手はあ

るのでございましょう。ならば、ならば、ぬ

いのためにも、私のためにも、忠孝の、忠孝

の「手本」を見せてくださりませ。私の最後

の願いはそれだけでございます」     

そこまで言い切るとお重は、深く目を閉じ

て再び手を合わせました。        

「覚悟いたせ。エイッ」         

瞬間、お重の後ろの竹が、サックリと斜め

に切れる、ザザーッと笹と共に落ちる。お重

はピクりともいたしません。       

パチリ。刀の収まる音がする。      

「今、お重なる娘は死んだ。今日からは、重

ではなく、反対に軽と名乗るがよい。二文字

屋の片がつきほとぼりが冷めるまで我が家に

おるがよかろう。無論、立ち去るも残るも、

その方の随意じゃ」           

この日からお重あらためお軽は大石の身の

回りの世話をすることとなった。そして大石

は改めて、五十人足らずでも必ず仇を討てる

方策を、まさしく命がけで練り直すこととな

ったのでございます。          

そして元禄十五年十二月十四日。    

<討ち入り挿入>            

やがて討ち入りは終わり、四十七士は四家

別々にお預けとなりました。細川家では大石

を初め、吉田忠左衛門、片岡源五右衛門ら十

七名が日当たりのよい部屋を与えられ、客人

扱いで穏やかな日々を過ごしております。 

「いやいや、討ち入り、当夜は雪がやんで月

明かりがまぶしゅうございましたな」   

「左様左様、それにしてもあの、吉良の最期

の無様なことと言うたら。<イヤイヤ、私は

吉良じゃありませんよ>」        

「そうそう。のう、大石殿」       

息子、主税とは別々に細川家預けとなった

大石は、一人日の当たる場所で目を閉じてい

る時が多かったのですが、今日は珍しく手紙

を認めておりました。          

「しかしな、片岡。わしは。討ってから、妙

に吉良が哀れに思え仕方がないがな」   

「太夫、なんたる事を」         

「あ、いやいや、冗談、冗談じゃ。さ、書け

た」                  

「誰当てでござるかな」と吉田忠衛門。  

「京の大西坊の住職殿にな。なんでも妾にや

やこが生まれたと聞いたのでな」     

「妾? ああ、山科の屋敷におったお軽でご

ざいますかな。そりゃめでたい。や、しかし、

ややこといっても、日にちが合わぬのでは?

軽が来たのは確か、ヒイ、フウ、ミイ」  

「早生まれだけに、よけい心配でな。住職殿

にくれぐれもよろしくと頼む手紙じゃ」  

穏やかに日々を過ごす内蔵助たちでしたが、

幕府の方では、討ち入り以来人気絶頂の義士

たち、寺坂吉衛門は抜けて都合四十六人の処

分をどうしたものかで、上を下への大騒動と

なっておりました。           

ここは、大高源吾とも親しかった宝井其角

の茅場町の家の近くに住んでおります、幕府

高官おかかえの、惣右衛門という学者の屋敷。

奥の書斎で天井まで届くほどの書物に囲ま

れ、井戸の底みたいになった真ん中で、二、

三冊の本を同時に呼んでおります総髪の学者

が一人。そこへ弟子が          

「先生、先生」             

「うるさい、今、大事なところじゃ」   

「あの、また柳沢さまからお届けもので」 

「何? 何が届いた」          

「お豆腐でございます」         

「またか・・・柳沢のヤツ。なんべい言った

らわかるんだ。ワシは豆腐は嫌いじゃ。若い

頃、貧乏してて毎日オカラと豆腐ばっかり食

っておったから、もう二度と見たくないとい

うに。吉保、十分すぎるほど出世をした癖に、

ケチンボめ」              

「先生、今度は柳沢さまご本人がおいででご

ざいます。今、そちらに」        

「何? あ、これはこれは、柳沢さま。よう

こそのお越しで、どうぞこちらへ」    

「うむ。先に届けておいた豆腐は届いたか?

わざわざ京より豆を取り寄せて作らせた高級

品じゃぞ」               

「いやーもう。私、お豆腐には目がなくて。

流石柳沢さま、よいお見立てです」    

「それはよかった。ところで、今日はチト相

談があって参った」           

「はいもう。柳沢さまのご相談なら何なりと」

「只今世情を騒がしておると言えば、わかる

な」                  

「はいもう。当然、鈴木ムネオの承認喚問」

「ではない。赤穂浪士じゃ。連中の処分をど

うしたらいいか、いつまで経っても結論が出

ぬ。困ったことに上様、綱吉さまが助命派な

のじゃ。とうとう輪王寺宮までかつぎ出して

浪士どもを許して士官さたいと言い出した。

だいたい、事の起こりはご自分の・・・おっ

と壁に耳あり障子に目あり。最近は犬にまで

耳があるのではと心配になる」      

「はあはあ、されば、お答えいたしまする。

が、これは学問の領分。上下を違えていただ

けまするか」              

「あい分かった」と、柳沢が下座へ移る。 

「そもそも、義は己を潔くするの道にして、

法は天下の規矩なり。礼を以て心を制し、義

を以て事を制す。今、四十六士その党に限る

事なれば畢竟私の論なり。若し私の論を以て

公論を害せば此れ以後天下の法は立つべから

ず……こんなんでどうでしょう」     

「ふーむ、意味はわからんが、なんだか正し

いことを言っておるように響くな」

「そうでしょう? ではこれをお持ちになっ

て、上様に<赤穂の浪士には礼を以て切腹を

>とお言いなさい。それで大丈夫でしょう」

「あ? そういう意味であるか? それは上

々。世話になる」            

「いーえ、いーえ、また御用のある時はいつ

でもお越しを」             

「これからも学問に励んでくれよ」    

「はいー。もう、はいもう。私の様な者をお

使いいただけましたら、いつでも、どこでも

参ります、これからも一生懸命に勉強にはげ

みますーーーーというのはお前の方じゃ」 

「先生」                

「なんだ」               

「先生は、よくそこまで、上の者に媚びへつ

らいができますな」           

「だまらっしゃい。お前は学問を何と心得え

る。<人の道をなして人に遠くんば、豈に道

たるに足らんや。道の道にして民を利せずん

ば、豈に道たるに足らんや>わかるな?」 

「あ、はい」              

「学問が世の中の役に立たぬなら、学問なん

ぞしなくてよい。上のものに媚びへつらおう

がなんだろうが、ワシは自分の学問を世のた

めに使わねばならんのだ。武士をみろ、今や

剣術が強くても何の役に立つ? せいぜい仇

討ちが関の山ではないか。その事は赤穂の浪

士どももよく知っとるだろうよ。少なくとも、

頭目の大石くらいはな…。さ、忙しい忙しい。

えーと」                

そして元禄十六年、二月四日。細川水野、

隠岐松平、甲斐毛利の四家で、四十六士の切

腹が行われることとなりました。細川家では

前日三日の夜、一同が部屋でわいわいと喋っ

ておりますと、浪士接待係の堀内伝右衛門か

ら                   

「明朝、主君細川越中の守が、みなさま方の

お部屋にお花をお持ちになるとの……知らせ

でござる」               

水をうったようにシーンとなる。    

「はは、御殿自らのお花とはかたじけない。

さぞや、キレイに咲いた花でござろうな、な、

ご一同」と年嵩の堀部弥兵衛。      

「左様、左様。楽しみでござる」と皆が口々

に答えます。              

そして、元禄十六年、二月四日、中の刻に

ご検視役到着、各家ではご斜面の使者、追っ

て参上あるとの噂ながれ、遅々として引き延

ばせども使者はきたらず、…やがて猿の刻。

白装束、御畳みの上にて待ちたる大石の前

に、三方の上に乗せ足る九寸五分が運ばれて

まいりますと、介錯の安場一平      

「お気持ちの整いますれば、手をお伸べくだ

され。その刹那に介錯仕る」       

「ご苦労」               

昨夜来の雨上がりて、転機晴朗にして鳥の

声高く空さらに高し。          

「……やはり、空は雨上がりが一番美しゅう

ござるな」               

「? ま、まことに」          

「フンー」               

「お、大石殿? お、大石殿。さ、されば介

錯を」                 

「まだでござる……。こちらが声をかけるま

で、介錯は、無用」           

ある記録には細川家では

その日「四人めより刃を擬して」

切腹をおこなったと書かれている

なぜ、大石が当時の習慣に反し

実際に刃をたてて切腹したのか

その理由はどこにも残っていない

「お軽」はその後男子を出産、共に大坂、そして長崎へと移り住んだ

町人として静かに暮らしたという

荻生徂徠はその後四代に渡る将軍

に影響を与え、八代・吉宗の時には

政治顧問として「政談」を著した

大石の残した「金銀請払帳」には

討ち入りのために使った金銭が

一分一朱まで詳細に記録されている

赤穂藩で教えた山鹿素行の武士道は

その後幕末の志士にまで伝えられ

武士の世の中を壊す原動力になった    

討ち入りから四十七年後、上方で     上演された「仮名手本忠臣蔵」は

武士より町人に熱狂的に支持された    

その人気は他のどんな物語よりも

長く命を保ち、300年後の現在も

なお衰えることなく続いている      

日本の戦後の経済成長が成ったのも    「忠臣蔵の精神」があったからこそ

と言う学者もいる 多分それは正しい

切腹の処分は町人たちの反感をかい  「忠孝に励め」の日本橋の立て札は

何度書いても墨で消されたという

大石内蔵助という一人の男の本心

打ち破ろうとしたのは何であったか

知る必要もなく時は進んで行く

「テロリスト 大石内蔵助」

(了)