「汗血千里駒」より


 汗血千里駒〜龍馬の夢坂崎紫瀾『汗血千里駒』より創作




本日のお話は、まず、龍馬がこの世を去ってのちの、明治16年から始まります。
 ここは土佐の高知、所は龍馬の生家から西へ一キロほどの玉水町(ちょう)玉水新地。 広栄座劇場の舞台におきまして、自由民権運動を展開する海南自由党の演説会が行われております。会場は満員。聴衆は男女取りまぜてなんと三千人を超え立錐の余地もございません。と申しますのも、本日、演壇に立ちますのは、あの、郷土の英雄・坂本龍馬の甥にあたります、坂本南海男その人だからでございます。この時、南海男31才。
「エヘンエヘン。本日はようこそのお集まりに厚く御礼申し上げます。私、坂本南海男が主幹を勤めております土陽新聞。その新聞に、我が叔父にあたる、かの坂本龍馬の生涯を記しました小説が連載をされております。坂崎紫瀾君は先日まで警察の手によって逮捕され連載が中断されておりました、このたび、やっとのことで放免され、連載を再開いたしました。それを記念いたしまして、わが叔父・坂本龍馬。幕末の動乱を収束させんがため、まさしく汗血馬が千里の道をゆくが如き生涯の一部を私から紹介するものでありま〜す。お話はいまより20と2年の昔。ところは、この広栄座劇場から歩いて五分の井口村でのこと。・・・・・・・・・


 時は文久元年三月四日の夕暮れ、雨がパラパラと降る中を二人の男が土佐・井口村の村はずれを歩いております。やがて永福寺の前あたりにまいりますと、寺の鐘がボーン、諸行無常と響きわたる。
「おう、またパラパラと雨が強くなったわい」 と、二人が足を早めた途端、ドンと誰かに突き当たった、と、乱暴ものの山田広衛が
「無礼ものめ!、理不尽にもわが往来を妨げるとは何の遺恨か!」
 見れば相手はまだ若い一人の武士。
「これは失礼いたしました。しかし、この暗い中、前も見ず歩いておられたのは、あなたの方ではありませぬか?」
 酔っぱらい相手なんですからただ謝っておけばいいものを、つい若さが理屈になった
「なんだと! 拙者を家中に隠れなき、武芸指南役・山田広衛と知っての言い草か。ちょこざいな小僧め、名を、名を名乗れ!」
「赤銅、鈴之助だ!」そんなハズはございませんが……。          さて、名前を聞かれて、答えに困りましたのは、土佐藩郷士、中平忠次郎でございました。


虚と見せては実と変わり、実と見せては虚と変わる、まこと変化の早業は水に映れる月影の波のうねうねうねるに似たり、二匹連れたる唐獅子が牡丹に狂う風情を表し衆参離合の手をくだき、おとらじ負け時と火花を散らし六十余合とたたかったり!
 相手は名だたる剣客なれど、勝負は時の運次第、受けては流し、切り結んでおりましたが、なにしろ相手は鬼山田と呼ばれる剣客者、エイッと切って払えば、血煙たてて、忠次郎その場にバッタリ。
 横手でブルブル震えておりました松井半斎がおそるおそる斬られた男の顔を確かめて
「ああ、この男、知ってます。中平とかいう郷士でございます」
「そうであろう。ふ、つまらぬ手間を取らせおって、ベッ」とまるで人間扱いではございません。
「ああ、提灯の火が消えてしまった。半斉、どこかで火を借りてこい」
「承知いたしました」
 と、後に残った山田広衛、刀の血糊をぬぐいまして、すぐ横に小川が流れておりましたので、返り血を洗おうと、土手から下りました。
 その時、弟のために、親戚でこしらえた桃の節句のごちそうを届けてやろうとずっと後からついてきておりました、忠次郎の兄虎之進。突然の騒ぎに走り寄れば、弟の無残に斬られた姿と、山田が手を洗う姿を見て、
「貴様、よくも弟を、尋常に勝負いたせ!」
 ごちそうの入った風呂敷包みを投げ出す。「なんだ、もう一人いたのか。いかにも貴様の弟は、上士たる拙者に無礼を働いた身の程知らず。よって手打ちにいたした。貴様もやるかッ」っと抜いたが、これは場所が悪かった。向こうは土手の上、こちらは土手の下。走り下りれば勢いが違う。
「ダーーッ」と切りつける。不意をつかれた山田は右大袈裟がけにきりつけられ、「アーーーーッ、ヤラレター」と、大袈裟がけだけに大袈裟に差遣で小川にザンブ落ちて果てました。
 弟の遺骸にすがって虎之進。
「忠次郎、まさか、こんなところで無駄に命を落とすとは…。まだ花も身もある年ごろであろうに。守ってやれなかった兄を許せよ」
 と、もの言わぬ弟を背負って、夜の道を帰りゆく。
 さて、これは酔っぱらいの言いがかりで切られた弟の仇を兄が討った、天晴れなる仇討ち、で済むのですが、そうはいかないのが土佐の事情。家に弟の亡骸を連れ帰り、弔う暇もあらばこそ、事情を知った山田広衛の方が一族郎党をあげて怒り心頭、大勢の仲間を募って、「虎之進を引き渡せ!」と騒ぎ始めた。 するとこちら側も「立派なる敵討ちに何をいうか!」と、望月亀弥太、池内蔵太、など郷士の仲間が数十名、虎之進の家に集結して
「虎之進を守れーッ」と気勢をあげる。二百「みなさま。覚悟はできております。上士に手を出せばこうなることは知っておりました。弟・忠次郎の遺骸を葬り次第、上士のところへ名乗って出ましょう」
「何を言う。虎之進、おんしは何も悪くないではないか。悪いのは、おれたち郷士を人とも思わぬ上士どもだ。おれたちはいつでも命を捨てる覚悟がある」
「……。お気持ち確かに賜りました。では皆様方、弟の弔いをよろしくお願い奉ります」
 言うが早いか虎之進は、その場で小刀を抜いて、腹に突きたてる。止める暇もあらばこそ、そのまま咽かき切って息絶える。一同がアッと息を呑む中、表の扉がダーーンと開いた。走り入って参りましたのが、そう、本編の主役、坂本龍馬その人でございます。この時はまだ、脱藩もせず、江戸での長い剣術修行を終えたばかりの二十七才。
「ああっ、間に合わなかったか。虎之進」
 龍馬は虎之進とは朋友親友の間柄、なんとか上士との間をとりもとうと奔走をしておりましたが、胸騒ぎがして戻ってみればこの有り様
「虎…虎よ…なんで早まった。なんでワシが戻るまでまてなんだ。虎よ…」 
 朋友の無残な姿にくず折れる。この時龍馬、何を思いましたか、腰の大刀に結んである白い組紐をサラサラっと解きまして、虎之助の体からいまだ流れる赤い血にとっぷり浸し、「これぞ天晴れ丈夫が最期の形見なり。我、汝が無念、未来永劫決して忘れず」と真っ赤に染まった組紐を刀に結び、涙を隠して虎が家より走り出る。


 慶応三年、十月、龍馬の姿は京の都、四条河原町の近江屋の二階の隠れ家にありました。「さて、困ったことになった。薩摩と長州の手を組ませたまではよかったが、薩長は武力で幕府を倒すことしか考えとらん。近頃では公家の岩倉具視を通じて、倒幕の密勅を得るため動き回っているらしい。そうなれば、日本を二つに分けた戦になる。それはまずい」
「ほじゃけどノウ、…かといってノウ、どうすればよいかノウ、龍馬」
 話を聞いておりますのは、土佐藩参政・つまり山内容堂の名代、後藤象二郎。
「龍馬、思えば不思議なものじゃノウ。あの井口村の、上士と郷士の戦になりかけた諍いからたった六年。いまは、上士の拙者と、脱藩郷士のおまんが、こうして仲良く土佐藩のために智恵を絞っとるがじゃ」
「ワシは土佐藩なんかのためではなく、日本のために智恵を絞っている。仲良くなんかないわ」
「とにかく、すでに薩長は明日にも倒幕の兵を上げる。そうしたら、幕府の側に立つ主君容堂公の立場は…。龍馬なんとか考えてくれ」
「だから、そのために夕顔丸の船の中で策をさずけたでしょう。幕府は、十五代将軍慶喜は、薩長に戦をしかけられる前に、自分から進んで朝廷に政治の一切をお返しする。先手を打つことで徳川自身も助かる。それが大政奉還です」

「そないゆうけんどノウ…ことは簡単じゃない…なにしろに二百六十余大名の頂点に立つ徳川家が、これまた二百六十年続いた将軍の座をお返しするんじゃからな」
「なら、戦でもなんでもすりゃいい。それで幕府も、土佐も、ついでに薩長も、みなあぼーんじゃ」
「あぼーんか・・・」

 実際、事は急を要していたのでございます。アタマにチクワを乗せました岩倉具視、麻生さんのご先祖大久保利通、そして西郷隆盛、桂小五郎、これみなことごとく「幕府を武力で倒すべし」という意見でした。そりゃそうでしょう、これは、250年ぶりの政権交代なのでございます。タッタ50年でもこの混乱、しかも、当時は選挙という制度がない。
「慶喜の側近、永井雅楽頭どのには説得に行ってますか?」
「もちろんじゃ、毎日毎日、二条城にお訪ねして説得している。徳川家が残るためには大政奉還以外に方法がないことはわかってくれておるはず。そういえば、この間は、新撰組の近藤勇にも会わせてもらったぞ」
「あの大河ドラマはイマイチだったな。あんまり面白くなさすぎて一回も逃さずに見た。特に芹沢暗殺のシーンは神田陽司からパクッてるように見えたが。長州藩の仕業に見せるために、長州藩士の鞘を置いていくとか、完全に陽司のアイデアだが」
「妄想じゃ。さて・・・本題に入る。実は永井どのが、ぜひ一度、お前に二条城に来てほしいと申しておられる」         「ホウ? しかし永井殿が、今更何故?」
「それがどうも、様子がおかしい。ともかく明日はわしと同道いたせ」

 慶応三年十月某日、龍馬は後藤象二郎に伴われまして二条城へ。すでに脱藩を許された身ではございましたが、なにしろ幕府側にとっては敵方の重要人物でございますから、後藤の供のものということで、不似合いな陣笠をかぶり顔を隠しての登城でございます。
 永井雅楽頭からの指図で別間で待つように言われます。そこは一種の隠し部屋のようなところで、三方に廊下がございません。だいたい龍馬は下座でかしこまって待つというのに馴れていない。かつて勝海舟に面会した時ですら勝が高さで話してくれたことに好感を持って弟子入りしたくらいですから。平伏をして待っているうちに足がしびれてきたので膝を崩す
「これっ、龍馬、きちんとせんか」
「何をいまさら。将軍が来るわけでもないじゃろう」
 三方に廊下がないということは、入ってくる人間は後ろから来るしかない。その後ろの唐紙が開きまして誰かが入ってきた。つかつかと龍馬と後藤の横を通り越して上座につく、その男は年は龍馬と同じくらい。
「両名の者、大義である」
 後藤がその顔を見ると「アッ」と声を上げた。そして大慌てで龍馬の頭を押さえつける「これっ、平伏せんか」
 龍馬はキョトンとして、言われるままに頭を下げるが、上座についたものは平然として「その方が坂本か?」
「ハハーッ」と後藤
「誰じゃ?」と龍馬
「これっ、頭が高い。たたたた、大樹公じゃ。徳川慶喜さまじゃっ!」



 お話を戻しまして明治16年、坂本南海男がここまで話して参りますと、三千人を超える観衆が全員息を飲んで聞き入っている。さっきはヤジを投げかけていた警官も聞き入っている。警官隊のうち最も年長の、薩摩出身の巡査長が
「おいっ…坂本龍馬が慶喜公に会うなんち、そんな話ば聞いたことがなかっ」
とヤジを飛ばそうとすると、隣の警官が
「シッ、いいところなんだから」と口を抑える。「最後まで聞きましょう」。



 龍馬は権威に屈するような人物ではございませんが、まさか徳川幕府のど真ん中、自分が引っこ抜こうとしている250年の大木の根っこに出会うとは思わなかった。
 さても坂本龍馬この日の出で立ち如何にとみてあれば、黒五つ所の紋付きには「桔梗の花」を白く染めい出したるをあしらい、白小倉の馬乗り袴つけ、背筋を天に向けて伸ばし居住まいを正し、しびれた足を正座に座り直し深々と一礼なす。
「恐れながら殿下のご眼中には最早、朝幕公武の小差別なく、ただ此の日本国の安危のみをご覧ぜられ、心痛せられることと察し仕り候。この上は片時も早くその実効を立てられんこそしかるべしと存じ奉り候」
「りょ、龍馬、おまん、そんな言葉遣いができるがか。驚いた」
「坂本とやら。永井雅楽からその方は話が面白いと聞いておるぞ。いつも通りに話すがよい」
 とこちらもさすがに東照神君以来といわれた頭脳の持ち主。この時龍馬より二つ下の30才。堂々とした態度でございます。
「ハハ。では申しあげます。とにかく、一日も早く、将軍をおやめになってください」
「こらっ、くだけすぎじゃ」
「大事ない。なぜオシマイなのじゃ」
「恐れながら徳川家は長く政権の座にありすぎました。もともと戦の為の非常時の大権を与えられたのが征夷大将軍という役職にて、戦のなくなった平時において数百年の間に武士は戦を忘れ幕閣は使命を忘れ役人は庶民を忘れました。このまま徳川の世が続くなれば、諸大名との軋轢、諸外国との攻めぎあい、何もかも家柄だけに頼った役人どもがメチャラクチャラにしてしまうことでしょう」
「メチャラクチャラとな。だが、余の家臣には真面目に励んでおるものも多いぞ。今一度綱紀粛正をいたさば」
「無理でございます」龍馬はキッパリと言い放つ。
「わが土佐にては、上士と称して、身分だけで上に立つものが我等軽格・郷士のものを犬猫の如くに扱う風習が今も続いております。これで郷士に何の夢や希望が持てましょうか。それを保証してきたのが藩主・山内家、そしてその後ろ楯となっきたのが徳川家にて、こんなバカなことが250年も続けられてきた徳川幕府に、いまさら因習を正すことなど、ぜったいに無理でございます」
「だが、徳川が退いても、後には薩摩の島津、長州の毛利が将軍の座につくだけではないか。今までと同じであろう。ならば、経験のある徳川家が将軍であり続けることこそが」
「だ、か、ら、そんなことはさせません!」
龍馬は初めて慶喜の目を真っ正面から見据えて
「世の中の仕組みを根本から変えるがです!某の心底、永井雅楽頭どのから伝わっておるとは存じまするが、ここにて今一度申しあげ奉りまする。まずは、将軍職を帝に返上すべきこと、それが第一にして、
 ふたつ、上下議政局を設け、議員を置いて 万事を公に決めるべきこと
 みっつ、広く天下の人材を登用し、有名無実の役職をのぞくべき事。
 よっつ、外国の交際において、平等な立場で条約を結ぶこと。
 いつつ、新に「無窮の大典」すなわち憲法を定めること
 むっつ、海軍を創設し拡張すべきこと
 ななつ、首都を守る組織を作ること
 やっつ、金銀の交換比率を正し外国との貿易格差を是正すべきこと
 これだけ決めれば、二百五十年澱んでいたところに風が通ります。そうすれば、天下万民、みな夢が持てます。夢が持てれば必ずや世の中が動き出します。国が変わります」
「うむ。余もその通りであろうと思う。人が変わり続けるなら、世も変わり続けねばならないと思う。しかし、しかしな、二百六十年続いた、徳川の世を終わらせることは、その方が言うほど簡単なことではないぞ」
「ああ、ほうですか。そんなら、このまま意地を張って政権にしがみついてたらええがじゃ。薩長は武力で幕府を倒すことしか考えておりません。このままでは間違いなく日本を二つに分けた大戦(おおいくさ)になる。そんなことをすりゃ得をするのは誰じゃ? 薩摩でも長州でも幕府でもない、薩長の後ろについておるイギリスじゃ、幕府の後ろについておるフランスじゃ。戦が長引けば長引くほど、外国から戦費を借り入れることになる。やがて国中が疲れ切って、貴重な人材が死に果てて、どっちが勝てもその時は日本は借金まみれ。英仏は手も汚さずに日本を植民地にできるというわけじゃ」
しかし260年続いてきた幕府の幕を引くのは、やはり並の決意ではないのでございます。
「あとはあなた様のご決断次第です。よろしいですか、慶喜公。確かに、戦をして勝ちを収め天下に号令を発し人々をひれ伏させる人物は今もたくさんおりましょう。徳川十五代にもたくさんいたでしょう。しかし、日本のため、このくににすむひとびとのため、大政を奉還できる将軍家は、慶喜公、あなたおひとりしかいないのです」

 そし十月十四日、二条城に、上洛中の書大名に対する総登城の下知が下されました。もちろん、土佐山内家名代・後藤象二郎も登城することになっております。そのフトコロには龍馬から来た手紙が入れられておりました。『大政奉還、万一行われざる時はもとより御覚悟とのこと。ご下城なき時には我等海援隊一同、大樹公の御帰り道にて待ち受け致し、不倶戴天の敵としてこれを討ち、冥府にて再会仕り候』
「わかったわかった。もしダメだった時は腹を切ってでも説得しろか。もしもの時にはあとを頼んだぜよ」
 その日、京都河原町、近江屋には、龍馬のいる二階といわず一階といわず、海援隊はもとより、京都中の顔見知りの勤皇志士が集まっております。中には龍馬と切り合った相手までおります。それでも龍馬は快く入れてやる。これを「キンノの敵は今日の友」いえ、何でもございません。
 その中には、あの日、井口村の事件で虎之進が理不尽に腹を斬らされた時の仲間も混じっていた。


 あれからどれだけの犠牲があっただろう。武市半平太も、岡田以蔵も、平井収次郎も、みな首を討たれ、腹を斬らされたか。土佐だけではない、世の中を変えようと、古い国を新しく生まれ変わらせようと、また、その国を守ろうとして何千人、何万人の志あるものたちが若い命を落としてきたことか。 その決着が、今日、着こうとしている。龍馬は後藤への手紙に「もし事ならぬ時には海援隊を率いて大樹公と刺し違える」と書いたが……それは決して本意ではなかった。本意ではなかったが、もし、大政奉還がならない時にはやるしかなかった。自分たちがやらなくては、薩長の大軍が京に火の手を上げる。そうすれば間違いなく日本は二つに割れる。今までの何十倍、何百倍の犠牲が出ることになる。そうなる前に、海援隊が挙兵し、慶喜を討とうが討てまいが、天下に大政奉還を説いたのはこの坂本龍馬であると宣言して、腹を切るしかない……。
 総登城の太鼓は昼過ぎには打ち鳴らされた。後藤は城の中にいる。龍馬たちは四条河原町にいる、その真ん中には神田陽司が通っていた駿大予備校京都校がある、そんなことはどうでもいい。歩けば小半時とかからない場所で、いま、日本の運命が決まろうとしている。
 日が西に傾いてきた。秋の日の京の町に暮六つの鐘が鳴った。後藤からの知らせはない。土佐藩邸にも何度か使いを出したが、後藤は戻っていないという。
龍馬の目には、後藤が切腹して慶喜の前で合い果てている姿が浮かんだが、それを手で振り払った。
 ふと、龍馬の佩刀・陸奥守吉行に結ばれた組紐に目がゆく。その真っ赤な色はいつしか黒くなって絡みついている。
「虎之進、今日じゃ。今日、お前の本当の仇が討てるかどうかが決まる。上士どもじゃない、慶喜公でもない。お前たちを、わしらを本当に苦しめてきたモンの、息の根を止められるかどうか、これ以上犠牲を出さずに済むかどうかが、今日、決まるんじゃ」
「坂本さん」
「坂本さん」
「これはもう…」
 いまで必死にこらえていた一同が、都大路が東の端からゆっくりと闇に包まれていくと耐えられなくなり、立ち上がった
「すぐにも二条城へ向い、挙兵しましょう」「ほたえな!」
 稲妻のような一言で、一同再び腰を下ろす。夜も更けてきて早くも五つの鐘が鳴り響く。龍馬はピクリとも動かず目を閉じて
「忠次郎、虎之進、武市さん、以蔵さん…、亀弥太、佶磨…長次郎、内蔵太、みな聞いとるか、聞いちょったら、わしに力貸してくれ、頼む、頼む、頼む・・・」すでに世を去った仲間達を神仏の代わりとしてただ祈るだけの龍馬であった、その時。ダダダダダッと、近江屋の階段を登ってくる音。
「どけ、どけどけどこ、坂本さん!」
 後藤からの使者が近江屋に到着し、それを門前で受け取った志士が中身も見ずに、足の踏み場もなく志士で埋まった中を踏みつけ踏みつけ・・・
「てててて、手紙」
「おおおお、おちつけ、もちつけ」
 龍馬、手紙を受け取ると、一同が固唾を呑むなか、むさぼるようにそれを読みはじめる中身は、開いた途端の一文字でわかりました「・・・・。・・・・。」
「坂本さん?」
「よくこそ、よくこそ」
 一同はまだ中身がわからないが、龍馬の肩の震えからそれを察した
「君には、よくこそ断じ給えるかな、よくこそ断じ給えるかな。よくこそ・・・徳川三百年十五代の幕引き、心中さこそとばかり察し奉る。われ、誓って君のためにはこの一命を惜しまず」
「坂本さん」
「坂本さん」
「やった、やった、やった・・・」
・・・・・・・・・・・・・
「・・・・・・・・・とまあ、こうして、わが叔父、坂本龍馬は、古き大木である徳川幕府に引導を渡した、いや、天寿を全うさせたのでありました」 




  三度、明治16年の高知・玉水新地の広栄座。満場の観客は水を打ったように聞き入っている。会場の後ろに立っている警官たちもそれぞれの戊辰の戦のことを思い出し、感慨にひたっております。まるで陽司の講談を聞いた後のように。
 しかし、ここで坂本南海男は口調を一転させ
「しかるにい。坂本龍馬がかくまでの労苦を払い、同士を失い、この一月後自らの命を落としてまで招来した、明治という時代は、日本の夜明けとは、一体なんだったのでありましょうや!
 確かに大政は奉還されました。しかし、龍馬がその次にあげた、議員をおいて万事を公に決すべきこと。議会は何も機能しておりません。なぜならその元となるハズの<あらたな無窮の大典>すなわち憲法さえいまだ作られてはいないのであります。それどころか、新政府は成立わずかなる幼児、ヨウジではない、幼子にして、すでに腐敗し、官有物は役人のワイロによって安価に民間に払い下げられ、人々の生活は日々ご一新以前よりもどんどん苦しくなり、貧富の差は広がり続け、民衆の権利は圧迫され、奪われ続けているのであります」
 感慨にひたっていた警官隊はこの言葉にハッと我に返ります
「現政府は、薩長の占有物であります。その支配下の官権は横暴を究めております。法の整備もおざなりにされ、唯一薩長の外にあって三権分立を唱え、警察力を国民のために用いんとした、江藤司法卿は政府の陰謀により処刑されたのであります」
「ピーッ。政府批判の暴言だ。民衆を弄する言説。弁士中止、拘束せよ!」
 ダーーーッと、警官隊が壇上にあがろうとする、自由党員が阻止しようとするが、多勢に無勢、次々に打ち据えられてゆく。坂本南海男は警棒に撃たれ引きずられながらも、
「え、江藤司法卿は、自ら整備した警察組織によって全国手配され逮捕された、それはいい、だが、その後、なんの弁明も許されず、打ち首にされ、晒し首にされた。近代法典のどこにそんなことが許されているのでありましょうか。これが文明国のやることかーっ。ええい離せ!」
「黙らせろ!」
「みなさん、日本はまだ成熟の途上にあります、成長の過程にあります。叔父上が抱いた理想も、自由も、何ひとつ実現を見ていないのであります。それを、それを実現してゆくのは、間違いなく、みなさんひとりひとりなのであります、いてッ……、希望であります、理想であります、自由です、そして未来なのです。青年は龍馬をめざせ、壮年は龍馬となれ、それ以上は龍馬の続きを生きよ。龍馬の肉体は滅ぶとも、その夢の滅びるところを知らず」


 汗血千里駒より、龍馬伝説の一席。