辛口(ヲタク)日記



050704 ミスターのこと

私はジャイアンツのV9を甲子園球場の一塁側で、肉眼で見た人類の一人です。また、BS日テレの『長嶋茂雄物語』で二年半、ミスターの人生を語らせていただきました。 
昔は「は? ミスタージャイアンツはわかるけど、ミスタープロ野球ってなんやねん」と思ってましたけど、もう、「ミスター」としか口に出て来ないですね。 
師匠・二代目山陽が脳梗塞で長嶋さんと同じ東京女子医大に入院していたこともあり、昨日の復帰映像は心にこみ上げるものがありました。私はミスターの番組で芸人人生をつなぎ真打ちになれたのですからこれはもう客観的に見れないのは仕方ないのですが・・・。 
ひとつだけ、あの、右手を絶対にポケットから出さないあのスタイル・・・。ミスターという人は、自分がどう見えるか、どう見せるのが一番喜ばれるか、それがだけに人生をかけてきた人です。もっとも称賛したいい方をすれば「人に夢を与えるためだけに」神経を使ってきた人です。もちろん、B型的にマイペースにそれを楽しんできたからこそ続けてこられたのでしょうが。 
長嶋さんは「寅さん」なのです。人に「愛さない理由を与えない」ことに人生を費やしてきたのだと言えるでしょう。もちろん嫌っている人も多いし、その気持ちもわかります。しかし、そういう人もミスターがいないことに寂しさを感じたことは間違いないでしょう。そして彼は戦後の経済成長期の日本の象徴であったことに異論を持つ人は少ないと思います。 

長嶋さんの師匠である元・立教大学の砂押監督にお会いした時、「長嶋ほど練習すればするだけ<返ってきた>選手はいなかった」という言葉が思い出されます。 

すいません、とりあえず感想だけです 



050624 徳川家全部入り

原稿執筆のさなかというに、クライアントの計らいもあって、岡崎まで取材。題材の上人の弟子の開山した寺院だけでなく(なんとなくイエスとペテロとローマ法王の関係みたいだな)徳川家、その出自の松平家の全位牌の祭られた寺院を訪れる。じつに徳川家22代がいっぺんに拝めるという超オトクコースであった。その位牌は身長と同じ高さになっているのだそうで、五代将軍・綱吉の位牌は記憶どおり124センチで作ったあった。松平健のイメージの吉宗もなんだか人並みであった。 
ああ、本当は自腹で一泊して、モリゾーとかキッコロとかピッコロとかポロリとかに会いたかった(違。あ、じじゃ丸も(違。 
腰がイカれそうになったので、新宿のマンガ喫茶でマッサージチェアを使う。手塚治虫の『ブッダ』の復習。巻末に仏教教典との違いの注釈があった助かった。それからこないだ読まなかった原秀則版の『電車男』の一巻を読んでまた泣いた。 



050620 コチ亀とミヒャエル・エンデ

今日は福本伸行の『黒沢』のことでも書こうかと思ったが、キオスクでこち亀の最新刊を見つけててしまった。いやあ、あいかわらず、さすがですな。 
しょっぱなから「地域通貨」の話ですかい。去年の今頃、かなり入れ込んで本を読んだ。『パン屋のお金とカジノのお金はどう違う?』(廣田裕之)「ネバー・エンディング・ストーリー」(と、言っては本当はいけない『はてしない物語』)の著者である)ミヒャエル・エンデ(あと『モモ』とか『ジム・ボタン』ね)は、けっきょく世の中を変えるためにはシステムを変えるしかない、と考えていて「地域通貨」にかなりの思いを託していたようだ。ひとことでいえば「莫大に蓄積できないお金」「利子だけで生活できるようにならないお金」「常に生きて流通するお金」(ちっともひとことにならない)。要するにグローバリズムの弊害を生まない、「地域を豊かにするためのお金」である。アメリカの投資家のある日の失敗で、フィリピン全体が貧乏になるようなバカげた巨大金融システムが支配できないように貨幣自身を違うシステムに移行させようというのである。夢みたいな話だが、評論家の柄谷行人が「Q通貨」として実験しようとしたくらいだから、理論的にはかなり有効な手段なのだろう。 
だが、所詮は「楽して儲けたい」という人間の欲には勝てない、今のところは(儲ける以外の魅力が見えてこない現代では)。実際、ホリエモン騒動から後、この手の実験が鎮静化してしまったように見えなくもない。いや、着実に続いていてくれればよいのだが。 
『こちら葛飾区亀有公演前派出所』ではこの実験の可能性と限界をタッタ19ページで見事に解きあかしてくれている。しかしかつての「空想的社会主義」ではなく、現にアルゼンチンの危機を救ったともいう地域通貨については、仏教の次の次くらいにまた調べてみたい。 

ちなみにエンデは晩年、ひながテレビゲームをして過ごしていたという。彼は「灰色の男たち」との戦いには勝てたのだろうか・・・。 




050615 ジョージ秋山

なんか、「オタク」といいつつ「レトロ系」だな。 
今日の衝撃はなんと言ってもこれである。「蒲郡風太郎は生きていた!」ギャグでもパロでもない、ジョージ秋山が新作として「銭ゲバの娘、プーコ」というマンガ連載を始めたからである。 
ジョージ秋山という人がいなかったら、私の人生はずいぶん違う風景を持っていたであろう。『パットマンエックス』から『ザ・ムーン』から『ほらふきドンドン』から『ばらの坂道』から『デロリンマン』から、そして『銭ゲバ』から、どれほど多くの影響を受けてきたことか。手塚治虫がモーツアルトなら私にとってのベートーベンはジョージ氏である。楽しんで読むマンガではない、小学生のころ人生観をゆさぶられながら読んだ。そうそう『浮浪雲』もだ。彼のマンガは常に多くの思想書や宗教書のエッセンスで、講釈師になってからこれほど多くの源流が講談にあったことも知った。 
さて『銭ゲバ』だが、あれ以上の「衝撃的なマンガ」はなかっただろう。ただ、それは社会の裏面を暴く、という種類のものではなく、人間の原罪に迫る宗教色の強いマンガであった。ラスト近くにエンエンと書かれた文章が「ヨブ記」の一説であったことは後に知ったが、とにかく、銭ゲバの主人公は自らを裁いたはずだった・・・。30年ぶりに生き返られても・・・。 
(正直、新作の印象はまだアレだし)もしかすると氏も作家として転機を迎えているのかもしれない。



050614

アタマの中からなんかわいてきそうだったので、近くの個室のある漫画喫茶に逃避。そこで『電車男』の「少女マンガバージョン」を見つけた(作画・御茶まちこ、写真左)。上の原秀則版が二巻まできていまだに「海外旅行のお土産編」なのに、こっちは一冊で完結している。しかもサイドストーリーとして電車の職場での生活が付け足されている(原版は相当原作に忠実)。なんていうか、これは少女マンガにした方が納まる話だったのか? と納得したような・・・。ただ、巻末の「2ちゃんねる紹介コーナー」はいけませんな。飛び込んだ途端に一生消えないトラウマを負いかねない危険地帯であることを著者自身がわかってないカンジ。編集者ももう少し慎重にして欲しいものだ。 

しかし、おれも好きだな『電車男』というか、少し読むと必ず泣く。それは「恋愛もの」としての評価ではなく、「人類の新しいコミュニケーションの形」という、「ファーストガンダムのラストシーン」みたいな拡大した感動を覚えるからだろう。思えば画面が9行しか表示されないワープロ通信に始まり、ニフティのアニメ会議室から朝日サイエンスネットを経て、今、ミクシィにまでたどり着いたネット人生はすでに20年に近づこうとしている。サイエンスネットの泥沼のようなケンカの中で「われわれは今、麦を蒔き、年ごとの収穫を得ようと試みる最初の人類である」なんて大演説をぶったのを思い出す。その感動は今もあるのだろうか。 
それにしても、「個室のマンガ喫茶」というのは人類の叡知の生み出した最高の作品のひとつだなあ・・・。 



050613

もう、仏教づけの一週間でした。和歌山から京都まで股にか 
けて三日間、有名無名のお寺ばかり回ってきました。 
本当にこういう取材旅行は楽しいです。特にテーマがはっきり 
している時は自腹も辞さないし、体力も限界まで使い切ります。 
今回の難所は「塩津」という漁村でした。たぶん、仕事に関係しなければ一生訪れることもなかった町で、そこで生活していた人の足跡を求める・・・司馬(遼太郎)先生がノモンハン事件を書くのを固辞して奥さまと「街道をゆく」の取材旅行を続けたことは作家としてはアレかと思いますが、限りなく羨ましいです。一人でもこれだけ楽しいんだから。 
和歌山の徳本行者のゆかりの寺、京都に入っては哲学の道から法然院、知恩院まで回りました。特に法然院はすぐ近くに修学旅行生がゴヘイモチのようにわらわらしているとは思えないほどひっそりしていておすすめです。濁った池で鯉と一緒にカロリーメイトを食べているとそのまま涅槃にいるような境地でした。 



050605

長野県飯田で『ふるさと講談』会から帰ってきた。と、いっても私のふるさとではなく、郷土の有名人や民話を講談にしようという企画で、実はこういう仕事が一番好き。別にテレビとか出れなくても、こういう「喜ばれる仕事」をやっていければ大して不満はないと思う。問題は年に数回しかないということだが・・・。飯田というのは実は凄い土地で、文化的レベルも高く、今回は師匠が日夏耿之介の原作の話をやる関係で、私まで耿之介の真筆の色紙を頂いてしまった。どうしよう・・・鑑定団に出したい気分・・・。 
そういえば、前回書いた「ケロロ」の最新回のビデオを見返していたせいであやうく電車に遅れるところだった。朝五時起きの仕事で、しかも出発前に前日3回は見たアニメを観るあたり、ミクシィでの肩書に恥じない人物になれた気がする(笑。 
で、帰りに吉祥寺のまんがの森で(なんだか異様に人が少なかったが・・・もしかして今日何かイベントあったのかな?)前から聞いていた『失踪日記』(吾妻ひでお/イースト・プレス刊)を買って読む。「ビッグ・マイナー」こと吾妻氏(ななこSOSの原作者、といってわからない人にも絵を見てもらえればすぐわかるハズだが・・・)の本気の失踪。さらにいつの間にか配管工事の会社に就職してのガテン生活、そしてアル中で強制入院・・・悲惨な話があの丸っこい三等身のキャラでエンエンと続けられていく。これは「お気に入り」の第一回紹介作品にしてもいいなあ・・・。 
『刑務所の中』の花輪和一と双璧の名私小説マンガといってもいい。(ここで大島先生の『グーグーだって猫である』を並べるのはなんていうかアレだが)。実はすでに、フィクションがフィクションとして成立しにくい時代になっているのではないか? とフト思ったのだが、考えれば吾妻ひでおといえばいわゆる作者が作中に登場する「楽屋落ち」の創始者的存在なので、本当はこういう話こそ本質なのかも知れない。 
ああ・・・ホームレスに憧れる時もあるけど・・・きっと保護されても吾妻氏みたいに警察で「ファンです」なんて言われることもないだろうしなあ・・・。それって「失踪」じゃなくてフツーに「転落日記」になるか・・・



050603 今日のケロロ軍曹

泣いた。いや、泣くような話か? と言われても・・・。 
見た人にしか伝えられんが、泣いたよ。まるで「羽衣伝説」だ。掲示板とかでは「深読み」と言われたけど、「名作」というものは常に普遍性を撃っているものだということがよくわかった。 
すいません、明日は5時起きなんですが、この興奮を書かないと眠れそうにないもので。 
あと、ミクシィのすごさというか・・・ガンダムについて書いたら、かなりガンダムに近い(監督のお知り合い)までが読みにきていることを、また自分がつきとめてしまうという・・・。ある意味コワイなあ。「講談ガンダム」は正式ルートで許可取りたいとか思ってるのに・・・。 
雑文で今日はお許しを。 



050602 中野まんだらけ本店にて・・・

また大量に持ち込んだが、結局3000円ほどにしかならなかった。かつて、あの、黒目メガネの店長査定に立ち会えたのは 
『未来少年コナン』のラナのセルのみ。最後の大物を残してはいるものの、ずいぶん嫁に出したよなあ。 
戻ってきた本(痛んでひきとられない本)の中に岩明均の『ヘウレーカ』があった。ああ、そういえば『七夕の国』も売っちゃったけど大丈夫かな? 基本的に売る本は「その気になれば買い戻せる、どこかで読める」本なので・・・。『寄生獣』が絶版される時は「鉄腕アトム」も絶版される時と思うけど、『風子のいる店』より危ないかもな。この人はどんどんマンガが○○になる(ファンとしてはハッキリ書けない)。『寄生獣』という代表作を早々に書いてしまった後、『雪の峠』で新境地を開拓したのだが・・・。いや、最新作をちゃんと読んでないからよけいなことを言わないでおこう。あと『骨の音』も売らない本のひとつ。 
と、訳で今日は岩明均特集でした。 
今、中野まんだらけでは、「宮崎駿直筆買い取り強化月間」出そうです。おお、そういえば、家にある『未来少年コナン』の絵コンテは(第八話「逃亡」)いったい市場価格でいくらになるのだろう。それを知る日が来ませんように・・・。 
 



050525

今日も仏教のお勉強。なんか、初手から抹香臭い感じになってきたな・・・。 
「色即是空」と「空即是色」の意味はなんとなく知っていたが、てっきり強調のための反復だと思っていた。「海は青く、青いのは海だ」みたいな。色の本質が空である、というのはわかる、しかし後半の「空だからこそ色が大切」なんて解説は初めて読んだ気がする(『面白いほどよくわかる仏教のすべて』日本文芸社)。残念ながらここで「講釈」できるほどには消化できてないのだが、とりあえず「本質なんてないから実存が大切」みたいなことだよな。ううむ「よくわかる」入門書、侮りがたし。 
正直、書く仕事に入ると一日に一時間も外へ出なかったりする。むかし「寝たきり芸人」とか自分で言ってたが今は見事に「ヒッキー芸人」だな。最先端!!(アホか・・・)。 

やまさんすいません。「・・・」は「…」とは違う表現だと思ってください。オタクな話題がないな。今日は「ケロロ軍曹」のレンタルDVDをダビ(略 



050524

「講談」というものはNHKの「プロジェクトX」を目指す、いや違うな。「プロジェクトX」の方が「講談」をマネした構成になっている。これは周知の事と思うが・・・人ごとじゃないね。先日の、大阪の工業高校のコーラス部、「文化部版スクールウォーズ」に「演出の行き過ぎがあった」とクレームがついた。「事実よりも面白さ」を優先したというのは作り手としては当然なのだが・・・あの番組は「一から十まで事実」というのを売り物にしているのでそういう反響もあるのだろう。たぶんクレームをつけた側はこの放送がお蔵入りになれば残念に思うだろう・・・というのは作り手の傲慢だろう。とにかく「実話」を売り物にし、かつ現代の話を扱う自分にとって他人事ではない。 
こっそりうちあけると「ノムラカツヤ物語」は申し訳程度にタイトルをカタカナにしているが、野村監督の「実話」を語っている態になっている。もちろん綿密きわまる取材をしてはいるのだが、実は最も大事な部分で「タッチ」の・・・じゃない、たぶん「H2」のコンセプトを・・・まあ、盗作と言われるほど特別なコンセプトではないのだが・・・新作の本を出す時には除外せざるを得ないかも知れない程度に引用している・・・。 
ああ、告白しちまった。大丈夫かな? 
 



050523

昨日、日記を書いたあと、NHKのBSで『アニメ主題歌大全集』を見た。仕事のBGMにするつもりだったが、ついつい2ちゃんねるで実況しながら聞いてしまった(これが最もディープな見方だろう)。斎藤由貴といえばシティロード時代にインタビュー申し込んだ時も「シティロード大好き」と返事があったのだが(スケジュールの都合で実現しなかったが)、学生時代に同人誌を出しているほどの・・・とは知らなかった。森口博子もでていたのに、二人とも自分のアニメソングを歌う機会がなかったのには実況仲間も皆不平を漏らしていた(『悲しみよこんにちは』と『水の星より愛をこめて』)。 
おお、今、ニュースステーションに『少女革命ウテナ』のBGMが使われているな。 
それは置いといて、アニメは誰もが「思い出せば幸福だった時代」の象徴のようだ。「新しい時代の童謡」と言った人もいたが、その通りだな。ただ、童謡は童謡として残らないとしたら少し寂しいが。 





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