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初演 2008年3月 上野広小路亭



 日本万国博覧会




 みなさんは「日本万国博覧会」という言葉を聞くと、人生のどんな場面を思い起こされるでしょうか。

 明治十年、ここ上野のお山で「第一回内国勧業博覧会」が開かれて以来、世界規模の博覧会を開くことは日本の悲願でした。昭和十五年・紀元二千六百年には「東京万国博覧会のチケットまで売り出されましたが急遽中止。大きな戦争を経て、ふたたびその夢が開くまでには三十年を要した、というわけでございます。
 折しも戦後の苦しい生活から始まった「所得倍増計画」の総仕上げの年。日本が、頑張って、頑張って、歯を食いしばって、やっと十年前から比べて倍もお金持ちになった、そのご褒美の年の一大イベントだったのでございます。


   【一】
 こんにちわ〜、こんにちわ〜、西の〜、くにから〜、1970年のこんにちわ〜、こんにちわ〜、こんにちわ〜、握手をしよう〜♪
 昭和四十五年、大阪は千里の丘で、三月十四日から九月十三日までの183日間、入場者、実に6421万8770人という、史上空前のイベント、日本万国博覧会は開催されたのでございます。
「はい、押さないでください。押さないでください。はい、そこ、走らないでください」 警備員の声に迎えられ、人込みの中でこの夢の場所にやってまいりましたのは、「ある少年」と父親とおばあちゃん。母親は人込みが大嫌い、兄は高校の行事があるとかでどうしても都合がつかず、まずは家族のうち三人でやってきたのは開会から一月ほど過ぎた四月二十六日のことでございます。
「うわー、スゲー人だなー」
「おい、手を離すんじゃないぞ」と父親
「これ、一体どこに向かってるんだい?」とおばあちゃん。
「えーと、たぶん、アメリカ館じゃないかな」とパンフレットを片手に答えるのは、まだ小学生のヨウジでございました。
「じゃあ、ちょうどいいや、まずは月の石ってのを見てこまそうじゃねえか」
「見てこまそう、って言ってもさあ、月の石は一番人気で、見るのに何時間も待たなきゃならないって書いてあるよ、おとっつあん」「おとっつあん、はやめろよ。母さんが時代劇ばっかり見せるから、この野郎、なんべんパパって教えてもおとっつあんとしか言いやがらないじゃありませんか」
「あら、いいじゃないかね。近頃流行りのゲバゲバだのパヤパヤだの見せるより、水戸光圀や大岡越前の方が、よっぽど教育にいいよ。あたしのカンだけど、21世紀になっても水戸光圀のテレビは続いてると思うね」
「でた、ばあちゃんの予言だ」お婆ちゃんは信心深い人で時々予言めいたことを言いましたが、これが信じられないほどよく当たるのでございました。
「21世紀ってまだ30年もあるんですよ、水戸黄門なんかやってるワケないでしょ」
「そうかねえ、水戸光圀もサザエさんも永遠に続くような気がするんだけどねえ」

 とにかくひとの波に押されるまま、会場に七つありました広場のひとつ、火曜広場を通り抜けますと、
「わー、恐竜だ、恐竜がいるよ、おとっつあん」
「おとっつあんはヤメロ。お、ほんとだ」
 見えて参りましたのはネッシーが鎌首を持ち上げたような恰好のオーストラリア館、そしてその向こうに見えるのが、大阪万博の押しも押されぬ一番人気のアメリカ館でございました。
 まあ、東京ドームができるまでは説明のしようがない形で、メロンパンなんていってましたが、いまは簡単、東京ドームを少し横長にして地面に埋めたような形でございます。といっても、広さは半分ほど…こう申しますと「意外に小さいんだな」と思われるかも知れませんが…、そのアメリカ館からヘリコプターにのってドーンとカメラを引いてゆきますと、隣には恐竜の形のオーストラリア館、その向かいには巨大な白いブタの蚊とり線香のようなガス・パビリオン。それをとりまくまん丸のドイツ館、マシュマロのようなフランス館、総鏡張りのカナダ館、逆手には松下館、住友童話館、自動車工業館…。世界七十七カ国のパビリオンが所狭しと立ち並ぶ、総面積264万平方メートル、つまり東京ドームが60個も入ろうかという、東京駅から皇居を飲み込んで飯田橋まで広がろうかという超巨大、史上最高最大最新の万国博、それが日本万国博覧会だったのでございます。


   【二】
 さて、親子孫三人、はるばる出来たばかりの新幹線に乗って、それから地下鉄に乗って会場入りしたのがもう昼前でございますからすでにアメリカ館の前には長蛇の列。
「おとっつあん、あそこに二時間待ちって書いてあるよ。ホントに並ぶの」
「馬鹿野郎、おめえ。バンパクに来て月の石を見ないで何見るんだよ。二時間待ち上等、江戸っ子でも気が長いってところを見せてやらなきゃ。おまえ、このバンパクのテーマを知らないのか。<人類の辛抱と長蛇>ってんだ、並んでやろうじゃねえか」
「おまえ、それは<進歩と調和>だよ」
「なんでもいいから、とにかく並べ並べ」
 他に何にも見ないまま、列の最後尾につきました。回りもみな、同じように一番人気を目当てに並んだ人、人、人。あるいはチューリップハットをかぶり、あるいは紙製の帽子をかぶり、春とはいえまぶしい陽差しの中でただただ順番を待ち続ける姿。この辛抱あったればこそのGNP世界第二位の地位だったのでございましょう。
 しかし、待てど暮らせど列は進まず
「おとっつあん、腹へってきたよう」
「しょうがねえな、何か買ってくるから、ここで待ってな」
「ここで待ってなったって、列は進むよ、おとっつあん…行っちゃった」
「ほんとに、子供の頃から落ち着きのない子だよ。普通<何買ってくる?>くらいは聞きそうなもんだけどねえ」
「ばあちゃんは、疲れてない」
「あたしは足も達者だし、このくらい平気だよ。戦後の買い出しの時にはもっともっと大変だったもんさ」
「買い出しって何?」
「食べ物を買いに行くことさ」
「じゃ、いまおとっつあんも買い出しに行ったんだね」
「そうだね…。それにしても、アメリカ館ってのは白くて大きいねえ。まるで大きな敷布が干してあるみたいだ。ホントに、この中がアメリカなのかねえ」
「ばあちゃんはアメリカ行ったことあるの?」
「ありゃしないよ。…ていうより、あたしゃアメリカって聞くとどっちかっていうと、嫌な気持ちになるんだけどねえ」
「どうして?」
「あんた知らないだろうけどねえ、ついこの間まで、日本はアメリカと戦争してたんだよ」
「ついこの間って、どのくらい」
「そうねえ、お父さんがおまえのお兄ちゃん、カズキくらいの頃だったかねえ」
「じゃ、ずっーと昔じゃん」
「そうだねえ、あんたにとっちゃもうずっーと昔だねえ。あたしには、まだほんの昨日のことのようなんだけど…。上野のお山から見下ろしたら、あたり一面真っ黒焦げで…。でもね、アメリカのおかげで日本がこんなに立派に復興したんだからいつまでも嫌っているのもいけない気がしてね。知ってるかい?
日本はソ連と中国とアメリカとイギリスにバラバラに分けてしまおうって話があったんだよ」
「えー? じゃ、オイラの住んでるところはどこの国になるはずだったの?」
「さあ…どこだったかねえ。だけどとにかくみんなバラバラにならずに済んだのはアメリカさんのおかげってことだから、ちょっとくらいデカイ顔されるのは仕方ないかも知れないねえ…」

 しばらくいたしますと、親父が手に紙包みを抱えてもどってまいりました。
「おう、日本新発売のシロモノ買ってきたぞ」「なんだいこりゃ、なんだ、カラアゲじゃないか」
「いやいやいや、ただのカラアゲじゃない。なんでも女房にソッポ向かれた倦怠期の親父がプライドを捨てて作り始めたチキンとかいうシロモノだ」
「ここに、ケンタッキーって書いてあるけど」「いいじゃねえか、要するに鳥のカラアゲだ。ただ、セコイのは醤油もカラシもついてねえんだって。ご飯も売ってなかったしな」
 まあ、ご想像はつくでしょうが、これがケッタッキーフライドチキンが日本で初めて売り出された場所でございました。その他缶コーヒーも大阪万博で広がったとか、あと、余談ですが、ブルガリア館でプレーンヨーグルトが紹介され、その時明治製菓がその味に惚れ込んで例のヨーグルトを発売し、その影響もあって国交が盛んになりやがて相撲も輸出されて琴欧州が生れた、というのもこの万博がキッカケでございました。       


   【三】
 会場に入ってからただ並ぶこと二時間、やっとのことで入ったアメリカ館。その中はまさしくアメリカの明るさそのものでございました。あの、エアドームと申しますのは天井全体が光る形になるので、地面に影が落ちないのでございます。まず目に入ってきたのが大リーグの展示品の数々。中にもベーブルースの使っていたユニホームやバットなど。小学校の頃は図書館にマンガの本など置いてございませんので、図書の時間になりますと、みな「ベーブルース」の伝記に殺到いたしました。ちょうどジャアンツがV5を達成したみぎり。絶頂期にありました王・長島のさらにはるか彼方にいるベーブルースは小学生に取っては神のごとき存在でございました。
「あーっ、あの車、確か<じゃじゃ馬億万長者>に出てきたよね?」えー、知ってる人は知っていると思いますが…
「ハーッ、おい、よく見たらこの天井、柱がないじゃないか」
「おとっつあん、これはエアドームっていって、空気で膨らましてるんだよ」
「あーっ、つまりあれか、トルコ風呂に置いてあるマットみたいなもんか」
 ・・・一瞬回りの空気が凍りつきました。これは70年当時の風俗を再現したものですので、関係諸国の方にはお詫び申し上げる次第でございます。

 その他クラッシックカーやレーシングカーの展示もあり、やがて見えてまいまましたのが、アポロの展示。
 空中には宇宙飛行士が舞い飛び、目の前には実際に月まで行ってきたアポロ8号の指令船、そしてそのむこうに掲げられたのは月の石
「おい、あれが月の石かよ、なんだかちっちぇなあ」
 場の空気を読まずに親父が口にする横で、ウルトラマンやウルトラセブンで見るだけだった架空の宇宙ではなく、去年、眠い目をこすりながらみた宇宙中継で、アームストロング船長やオルドリン飛行士が作業をして持ち帰った月の石。その実物が目の前にある感動は計り知れないものでした。
「ばあちゃん、アレ、本当に月から持ってきたんだねえ」
「そうだねえ。ずいぶん遠いところから、ご苦労さん(拝む)」

 その時、その瞬間のことを思い出すと、どうしても月の石は金色に光り輝いているように見えました。照明のせいかもしれませんが、小学生にとっては、人類の、日本の、そして自分がこれから迎える未来の限りない広がりの象徴だったのでございましょう。
 さてそれからというもの、突然万博会場全体が、夢の世界に思えるようなってきて、疲れたのも忘れてかたっぱしからパビリオンを回りまくりました。たとえばスカンジナビア館。スウェーデンなど五カ国の合同の展示館ですが、入る時には白いカードを持たされて、暗い中に入ると、上から光りが下りてきてその白いカードに文字が映し出される。ただの幻燈なんですがこれにも感動しました。あるいはIBM館。これが日本で初めてのコンピューターゲームの走りで、オバQのマンガが映って「海へ行くか」「山へ行くか」を聞いてきて、ストーリーを作っていくという。で、結果がこう、機械からジジジーっプリントされてくるわけですよ。もしかしたらこの時の感動でいまだににお話を作ってるのかも知れませんね。実際、同級生で、この時のことが忘れられなくて後にドラゴンクエスト作ってるヤツもおりますからねえ。そういえば、ビルゲイツも・・・。


   【四】
 やがて夕方になって、やって参りましたのがお祭り広場。丹下健三が設計した百メートル×三百メートルの大屋根の下で、太陽の塔の胴のところがドーンと見えている。毎日いろんなイベントが繰り広げられる場所でした。
「オイラもっといろんなとこ行きたいよ」と言いたいのはやまやまでしたが、そろそろ三人とも疲れてきたところ。一息つくかとこの広い場所へ流れ着いたのでございます。
「あ、ガイジンさんがいる。サインもらってこよ」
「おいおい、別にありゃ、映画スターでも何でもないんだぞ、サインもらったって何の自慢にもならないぞ」
「そうかなあ。あ、じゃ、いいこと考えた。おとっつあん、英語で交換って何て言うの」「交換? そりゃおめえ、チェンジだろ」
「おっけー、おっけー」
 通り掛かった見るからにおのぼりさんみたいな白人の集団のところへ走っていって
「ハローハロー、チェンジ、コイン、チェンジコイン」と百円玉を出しました
「これで外国のオカネが手に入れば、サインなんかよりずっと自慢できるぞ。ハローハロー、チェンジコイン、チェンジコイン」
 でっぷりしてサングラスのおじさんが、ちょっと困った顔をしていましたが、そのうちにサイフからコインを取り出して交換してくれました。
「サンキュー、サンキュー、アイラブユー。おとっつあん、外国のコイン手に入れてきたよ。しかも二枚も!」
「やったな。で、どんなコインだ」
「うん…あ、これ、穴のない五十円だ」

 やっとベンチに腰を下ろして、これはまあ初めてではないけれどホットドッグなど食べておりますと
「いやー堪能したな。大人でもこれだけ面白いんだから、子供にはもっとだったろうな。ったく、カズキも来りゃあよかったのに。あの野郎、高校のクラブ活動でどうしてもサボレない、とか言いやがって。そういや、何のクラブ何だったかな? いや、母さん、近頃カズキ、妙だと思いませんか。髪の毛はビートルズみたいに伸ばすし、ズボンはラッパズボンみたいなおかしなのを履くし」
「ありゃパンタロンっていうんじゃないかねえ」
「おれはアイツには巨人の星の星飛雄馬みたいな熱血の日本男児になってほしかったんですよ。だから星一徹に鍛えて野郎とキャッチボールも教えたのに…高校に入ってからってもの、何にカブレたんだか知らないけど、ヘンなかっこうばっかりしやがって、バンパクなんて、ヘタすりゃ二度と来れないんだぞ」
「それなんだけどねえ…どうもヘンなカンがするんだよ。カズキはここに来てるんじゃないかってね」
「また予言ですか。そんなはずないでしょ。昨日から泊まりがけで出ていったじゃないですか。それより…母さん、この後なんだけど、ヨウジと一緒に先にホテルへ・・・」
 その時、バラバラっと人込みの中を警備員がかけこんでまいました。その先には、なにやら若者のグループがビニールシートを敷いて店を開いております。
「ここで店を開いてはいけません、すぐに解散しなさい。ここは公共の場所です、私的な利用は許されません、すぐに解散しなさい」 と怒鳴りはじめました。
「あれ、なんだろうねえ」

 見ると、ジーンズの若者たちが何かを広場に並べはじめた様子、写真のようなものですが、次から次へと警備員に拾われてゆきます「暴力反対! 暴力反対!」と叫びながら写真を取り返したり、警備員とにらみ合ったりモメごとを始める十数人の若者たち
 あとからきた、警備の責任者らしい人物が、ハンドスピーカーで
「速やかに解散しなさい。速やかに解散しなさい、解散しないと、機動隊を要請することになります。速やかに解散してください」
「まあ、デモかねえ?」
「まったく、近頃の若いやつらは、なにかというとゲバゲバだから…。まあ、長くても90分にしとけって。アッと驚くタメゴーローハハハ・・・ナニ? あっと、驚いた!」
 いうが早いか、親父がかけ出す。警備員に何か説明したかと思うと、チューリップハットを目深にかぶった若者の一人の首っ玉を持って引きずり出し、こっちへ連れてまいります
「ちょっと、みんな、こっち」
 人気のない方へひっぱられながら、その若者を見て驚いた
「まあ、カズキじゃないか」
「離せ、離せ、くそ親父」


  【五】
 大屋根の下のお祭り広場の反対側のトイレの裏、比較的人気のないところまでくると、
「お前、クラブ活動で来れないっていってたんじゃないのか!」
「クラブとは言ってないよ。学校行事だって言っただろ」
「学校行事がなんで警備員のご厄介になってるんだ。それに、この写真はなんだ!」
 その手に何枚か握られておりましたのは…ベトナム戦争の写真でございました。いうまでもなくその頃は学生運動の華やかなりし頃。特に高校にも飛び火していた「全共闘運動」。はさまざまに形を変えてで広がりを見せていたのでございます。
「いま、ぼくらの高校では反・万博、ハンパクを掲げて、ベトナム戦争反対の運動をしてるんだ。今日はみんなでそのアピールに来たんだ。万博なんてナンセンス!」
「なんだと? ナンセンストリオがどうしたって?」
「まあ、全共闘運動に続いて、前田隣先生の許可もなく今度はナンセンストリオかい、今日の話は過激だねえ」
「ばあちゃんは黙っててよ。親亀の上に子亀を載せないでくれよ。親父。志願兵で戦争に行った親父にはわからないかも知れないけど、いまもベトナムでは正義を踏みにじる戦争が続いてるんだ。日本だってそれに協力してるんだ。日本の基地からだって爆撃機が飛んで行ってるんだぞ。それなのに、何が万博だ、何もかも矛盾だらけじゃないか。だいたい、この万国博覧会だって、もともとが70年の日米アンポから国民の目を逸らそうとしてやってるものじゃないか。ナンセンス! ナンセンス!」
「ばあちゃん、アンポって何なの?」
「それを説明するにはもういっぽんまるまる講談が要ると思うけど、まあ、ひとことでいえばアンポってのは平和の担保みたいなもんなんだよ。質屋の質草みたいなもんさ」
「うん、これ以上過激になると後面倒だからわかったことにしとく」
「わかったようなこといいくさって。親の金で学校行かせてもらいながら、学生運動とは、それが高校生のすることか」
「ナンセンス! ナンセンス! ナンセンス!」
「だから、それをいうな。特に三回はいかん。トリオになる」
「あ、関係ないけどね、前田隣って、オーマイダーリンから来てるるんだよ」
「真昼の決闘だね」

 いきなりのことで混乱してばあちゃんの会話もわけのわからないことになってきているところで
「ばかやろう!」
 とうとう親父が手を出しました。
「ぶったね! 親父にも殴られたことないのに」
「いや、親父は俺だが?」と、こんどは兄貴が親父に殴りかかろうとする。
「兄上、やめてよ、ケンカやめてよ」
「兄上いうな。ばあちゃんが時代劇ばっかり見せるから…。ヨウジ、こんな奴の言うこと聞くな。こいつ、万博連れてってやるとかいって、自分が大阪に来たかっただけなんだ。何でかわかるか? だいたい、なんで今日母ちゃんが一緒に来なかったか知ってるか?
人込みがキライなんじゃないぞ、親父には大阪に浮気相手の女が」
「カズキ、やめな。子供に何教えるンだい」
「万博も、何もかも、大人のやることはウソだらけだ!」
「この野郎! お前に何がわかる!」
 とうとう親父が本気で兄貴と取っ組み合いになりました
「やめてよ! 二人ともケンカやめてよう!」たその時、
「ピリピリピリッ!」という笛の音とともにお祭り広場の真ん中へバラバラと走って参りましたのは、こんどは警備員ではない、なんと機動隊の一部隊でございました。「みろ、お前がワケのわからなことばっかり言うから、とうとう親子喧嘩に機動隊が出動しちまったじゃねえか」
「そんな…、仲間を捕まえにきたんだ!」
 ところが、兄貴の仲間たちはすでに解散をさせられてそこに姿はなく、機動隊の面々もそして回りの人々も、一様に上を見上げております。
「?」
 と思って、トイレの陰から出て参りまして大屋根の開いたところから、見上げますのは万博の象徴、太陽の塔
 そのはるか頂上に、黄金色に輝く「未来の顔」の右目に何やら人影が見えました。
「おい、あんなところに、人が座ってるぞ」


   【六】
 そう、昭和四十五年、四月二十六日、あの万博を、そして日本中を騒がせた、太陽の塔の目玉占領事件の当日だったのでございした。 はるかかなた、太陽の塔の右目に座っておりますその男、その日の出で立ちいかにと見てあれば。グレーのジャンパーを着て黒のズボン、首には青いタオルを巻き付け、ツムリには真っ赤なヘルメットをおしいただき、そこには黒ぐろと「赤軍」と書かれている。荷物は八リットの水となぜか「葉隠」の文庫本。武士道に通じた革命家というのも珍しい。
 実はこの男、赤軍派とは何の関係もない、テロというより、これはハンガー・ストライキの一種です。いわゆるノンセクトラジカルの佐藤という男でこの時25才。現在も北海道で下着やを営んでいる。上になんと三代目神田山陽のご親戚! かどうかは知りませんが…。
「なんだなんだ、またよど号の仲間か?」
 みなが固唾を飲んでいると男は大声で
「万国博を中止せよ! 万博を粉砕せよ!」と叫びはじめた。はるか遠くではありますが、お祭り広場の銀桟に響いてこだまする。
「万博反対! 万博中止!」
 すると兄貴がイキナリ
「そうだ! 万博反対! 万博反対!」
「こら、やめないか。いや、何でもないんです」
 どうなることかと一同が固唾を飲む。機動隊も、強行突破ではあまりにキケンすぎるとなすすべがなくなっている。
「エライことになったねえ」
「婆ちゃん、あの人、どうなるの」
「そうだねえ。ワタシのカンだと、一週間くらいで下りてくるとは思うんだけどね」
「婆ちゃんの予言はハズレたことないからきっとそうだね。落ちて死んだらかわいそうだもんね」

 お祭り広場が静まりかえる中、
 大きなスピーカーがセットされ、機動隊の隊長が、
「アーアー、君! 意見があるなら下りてきて言いたまえ。公共の建造物を占拠してはいけない!」
「うるせえ、クソ野郎!」
「うるさいとはなんだ! この太陽の塔は万国博の、人類の進歩と調和の象徴であり、岡本太郎先生の芸術作品だ、無礼だとは思わないのか!」
「岡本太郎も雑誌で書いてたぞ! この、お祭り広場では何をしてもいいんだってな!」
「そんな揚げ足を取るな。屁理屈をいうな!」
「屁がリクツを言うか!」 
 隊長も怒りに震えて、
「キサマは万国博覧会を、日本中の人々の夢を、侮辱するつもりか」
 と、男は一呼吸置いて、いっそう大きな声で、
「・・・万博など、まやかしだ。人類の進歩と調和なんてまやかしだ! いまこの時にも世界には戦争で苦しんでいる人がいる。いまこの時にも、世界には貧困で苦しんでいる人がいる。いまこうしている時にも、世界には、飢えて死んでいく子供たちがいる! それを忘れて万国博とは何だ! カリソメの平和に浮かれ、見せかけの繁栄に溺れてそれで満足か! 世の中は欺瞞に満ちている! 万国博覧会を、即刻粉砕せよ!」
「そうだ! そうだ!」
「お前は黙ってろ!」
たまりかねて婆ちゃんまでが
「わかってる、忘れやしないよ。私たちだって、ほんの20年前、いいや10年前まで同じだったんだからね。ケガしたらつまらないから下りてきなさい」
「早く下りないと突入するぞ」
 押し問答が続いた頃、なぜかあたりが少しザワザワといたしました。
「隊長、丁度視察にきておられて・・・」
「おお、ちょうどいい。ぜひお願いします」
 機動隊の隊長がハンドマイクを差し出したのは・・・
 青いスーツ姿の男でございました。
「んーあーあー。あ、上の君。ワタシの話を聞きたまえ。ワタシはこの塔を設計した岡本太郎だ!」
「もう、今日は何でもアリだねえ」
「話しは聞かせてもらった。君は万博を中止せよと言うのか…。万博粉砕というのか…」
「そうだ」
「んーんーんー……スバラシイ! 芸術は粉砕だ!」
「え?」
「ワタシも賛成だ! ワタシもそうだ! 時類の進歩と調和なんてテーマはクソくらえだ! もともとワタシはこの整然とした大屋根をブチ抜いて太陽の塔を立てろといった人間だ。君に大賛成する! 大いに自分の主張を述べたまえ! なれ合いの調和なんて卑しいものだ。互いにぶつかり合って生まれるのが本当の調和なのだ! 大いにやりたまえ。大いに演説したまえ! 体に気をつけて!
以上」
「ちょちょちょ…先生」

 あっけにとられる一同を後にする岡本太郎。なぜかまわりのお客たちから拍手が起こる。つられて、兄貴も親父も拍手を始める。
「お、いけねえ、つられて…お前が」
「やめてよ。二人ともやめてよう」
それに気がついた岡本太郎が
「ケンカかね? 大いにやりたまえ。ん?
親子喧嘩? すばらしい。存分にぶつかりたまえ」
「なんだよ、ヘンな顔のおじさん、ケンカ止めてくれるんじゃないのかよ」
「ん? 君も大いにぶつかりたまえ。人間というものはね、もともと互いにぶつかり合うようにできているんだよ。太古の昔からね。それでも人間は生き続けてきた。この塔は、そういう人間の、未来永劫かわらない逞しさ表現して作ったものなんだよ。そしてね、人類はたぶん、ぶつかりあうのをヤメた時、殺し合いをするようになるんだよ。わかるかね? ん? 爆発だ? ん?」

「おい、いまの、どういう意味だ?」
「さあ・・・わかんない」
「さあさあ、仲裁は時の氏神っていうだろう。もう疲れただろう、ホラ、握手をしようよ」
 大いにぶつかれ、と言ったのに、婆ちゃんは結局あいまいにその場をおさめてしまいました。訳もわからず握手した二人でしたが、帰りの新幹線の中でも、親父の兄貴の口ゲンカはエンエンと続くことになりました。
 結局、万博へはもう一度、こんどは婆ちゃんの代わりに母親を連れても来ることになりました。
 あの目玉占拠男は、果たして婆ちゃんの予言通り、159時間の籠城の後、太陽の塔を下りてくることになりました。
 ばあちゃんは・・・・         

────<<<照明落とす>>>────

万博から5年後にこの世を去りました。
 最期は言葉もはっきりしなくなりましたが、覚えてる最後の予言は
「ワタシのカンじゃあね、お前は一生、とってもいい時代を生きていけると思うよ」というものでした。
 今も、万国博覧会のことを思い出すたびに考えます、あの予言は当たったのか、それとも、もうとっくの昔に、外れてしまったのだろうかと。






                (了)



















                    




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