Silvan Note 19
風の休息
ボルネオの海洋民族バジャウの少年と小舟で魚を獲りにいったことがある。
リーフの上に小舟を浮かべたまま、少年はオールを私に渡した。
お手製の水中メガネをつけ背丈の二倍もある銛を持つと、
彼は勢いよく海に飛び込んだ。
碧い水面の波紋で小舟が揺れる。
あわてて心許ないオールさばきで舵をとっていると、
ほどなく少年は水面に顔を出し、
体長二十センチほどの色鮮やかな熱帯魚を小舟に投げ入れた。
ここは魚の宝庫だ。
舟を上からも、たくさんの魚が泳いでいるのがみえる。
海から渡ってくる風にあたりながら、
小一時間ほど少年の自然との格闘をみていた。
四匹ほど違う種類の魚が獲れると
少年は、小舟にあがってきた。
「そろそろ風が休む時間だから」
少年がそういうと、不思議なことに、
風が止まった。
その日の必要な糧だけを
自然から受け取る。
風はその潮時を教えてくれるかのようだった。
夕暮れの春の海は、
あの日のように凪いでいた。
海風も陸風もない、ほんの一瞬の静けさ。
立ち止まった風は、何を語ろうとしているのだろうか。
なぜだか海を見ていると、何時間でも時間をつぶせる。波がよせてはかえすのをただ見ているのだけれど、その波の表情は一様ではない。とはいっても、それをBGVにして、いろんな思いを巡らせることができるから、時間が過ぎていくのだけれど。凪の時間はなんとなく静かで、真夏でもちょっぴりうら淋しい気がするのは、僕だけだろうか。バジャウの人びとはフィリピンとボルネオの間の海を点々と移動していく。遠浅の珊瑚礁の上に支柱をたて海上にだって住まいをたててしまうほどタフだ。国境なんかおかまいなしに悠々と海に生きる「遊海の民」。必要な糧だけを海からいただく。海で生まれ海へと還っていく。自然と折り合いをつけていきていく奢りのない人間の姿がそこにあるような気がする。連載コラムは、これにて終わり。最後もまた、後ろ姿で失礼することになった。