■◇■僕のおしゃべり 01.01.11 Vol.15 年賀メールは是か非か

 今年、僕はメールを使っている人には全員メールで年賀状を送りました。その際に以下のような文を添えました。

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 今年はあえてメールで年賀状を出します。

 年始まわりが郵便の発達に伴い年賀状になったように、年賀状もネットの発達で年賀メールになっていくでしょう。年賀状が年賀メールになって、なにが良くなり、何が不便になるのか、それを知る必要があります。

 もしよろしかったら年賀メールの感想をお送り下さい。

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 これに対して何人かの方々が返答のメールを下さいました。以下に掲載いたします。

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明けましておめでとうございます。

21世紀に我々が果たして何ができるか?何をすべきなのか?

時間の経つのがとても早く感じます。限りある時間のなかで、人類への貢献を探り続ける。これは私たちがやっていかなければならない、もっとも崇高なことです
そして、富と平和のバランスを強く感じるこのごろです。中国の豊かさは、地球の平和につながります。暮れに「映像の20世紀」をずっと見て、戦争のたくさんあった20世紀の悲劇を絶対に繰り返さないためには、いったい何が必要なのか?コミュニケーションの重要さを心から思ったモノです。

年賀メールというのは、おっしゃるとおり、時代の流れのなかで、「当然」ということになるでしょうね。すでに、今年の年賀メールは相当ありました。綱淵さんのおっしゃるように、年始の挨拶が、年賀状になって今は、年賀メールになったように、流通も同じような変化をしています。

昨年後半から、中国で安い電話サービスを「販売」するということを始めました。経費の節減を強いられている日本企業のニーズは思っている以上に多く、深刻です。一方、経費節減のため、これまでの電話に変わって、相当数をメールでまかない始めています。しかし、どうしても人間同士の電話の必要性はカット出来ないモノです。この仕事もコンピューターの出現で単純な電話サービスも淘汰される可能性が大ですが、コンピューターと電話が一緒になって人間の声のコミュニケーションそのものは決して無くならないと思います。

また、現状では、パソコンの使えない人もまだ多数います。一方で「使わない」人がいることも確かです。人の手による文字の伝達や、電話など、もっとも基本的な人と人とのコミュニケーションはどんな時代でもかならず必要とされるものでしょう。

私の友人は、郵便とコンピューターを一致させ、遠くにいる人に、1日で「郵便物」として届くというソフトを開発し、近々世に問う準備を進めていますが、これなどまさに、この人間のコミュニケーションの根元的なニーズと現代テクノロジーを集結させたものです。

郵便局と資源のエネルギーを膨大に使用していた「年賀状」に変わって、年賀メールが利用されることは、資源のセーブともなり大いに普及されてよいでしょうね。エネルギーは、まさに地球の問題ですが、紙や人手に頼らないという意味では、もっともっと使われるでしょう。

それと時間の概念を通り越して、世界中の人に「おめでとう」が言えるというのも嬉しい。筆や、ペンで一枚一枚書く「楽しさ」や、時間の使い方と比べるとずいぶんと趣は異なりますが。その分、みなさん、デジカメの活用で美しい映像も一緒に送ってくる人が多く、時代とともに、いろいろなアイディアがあるものの、「我が家の写真」を送って来る人は相変わらず多いので、人間の生活感は、根元的に「コミュニケーション」を求めるもの、それには、何ら変わるモノは無いんだと実感しています。

今年もよろしく。

いつもbu-chan通信を楽しく拝見しています。

中山眞理

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 2001年、おめでとうございます。

お年賀メール、ありがとうございました。

最近、よく友達と話しているのですが、インターネットはとても愛すべきものなので、このさい、液晶画面から出るエネルギーも電磁波も、いっきにふしぎの錬金術で、愛のエネルギーに変えよう、と。

心豊かな人々が、自分のやるべき事をまっとうしつつ世界中を駆け、誰かが誰かに発信した心暖まるメッセージが一瞬にして地球を包む、なんてどうでしょうか?

私は、メールで年賀、おおいにけっこう、と思います。だって、バリから、1月1日に日本に年賀状が届くように発送するのは、至難の技ですから。

つなぶちさんの本を楽しみにしています。3月にお会いするときは、胎内記憶、ヒーリングライティング、それに出ていたら新しい本、まとめてよろしくお願いいたします!!

1月1日の夜は、チャンプアンにあるグヌンルバ寺院で、しばし、瞑想しました。が、バリ人は、元旦に参拝する習慣などないので、お寺は貸し切り状態でした。(笑)

新しい年も、つなぶちさんにとって実り多い年でありますように。

ひろた ゆきえ

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賛成です!

大賛成です!!

まず第一に 「年賀状」 と 「暑中見舞い」 という慣習によって郵政省はどれほど潤っているのでしょうボクは個展のDMなどでかなり郵便局を利用しますが窓口で結構 「むっ!」 とするような経験があります

例えば 「普通郵便」 と 「小包」 で料金が変るような場合でも「小包にしたほうがお安いですよ」などと言う助言はまずしてはくれない

窓口 「普通郵便でよろしいですね」

ボク 「(もしかしたら)小包の方が安いのですか?」

窓口 「はい」

ボク 「じゃ、安い方にしてください」

窓口 「それではこれに宛先を記入ください」

と 「ゆうぱっく」 の大きな貼り付け書類を渡すので

ボク 「小さな名前だけ書く奴じゃだめですか?」

窓口 「はい、いいですよ」

と小さな貼り付け書類をくれる。

この書類が大きい方だと記入しなくてはならない事が多くかなり面倒になるのだ。これだけの面倒なやりとりがあって初めて数十円の経費節減が成立する始めに窓口が 「小包の方が安いですよ」と言えば良いだけの事だ

国外への郵便の場合もそうだ

送る仕様によって数千円の違いがでる

どの仕様で送るのが一番安いかはかなり研究しないとシロウトには判らない

さらに言わせて貰えば新しく始まっている住所のバーコード記入による割引の詳細などについても窓口では理解していない人間が殆んどだ

郵便局を嫌う訳ではないがどうしても 「お役所仕事」 に近いモノを感じてしまう

まあ、なにはさておき100通の年賀状に最低でも5000円

写真屋サンでオリジナルを作ったりすればさらに8000円くらいかかる訳でメール年賀に変えれば最低料金なら10円で済む訳だ

こだわって 100通にひとりひとりのオリジナル文を書いて送信に時間がかかったとしても数十円

まだまだ人は

「う〜ん、やっぱり年賀状は元旦の朝の風物詩だから」

と言うかもしれないが、パソコンソフトで頑張って製作した擬似手書き風書体文字で大量印刷した年賀状ならばひとりひとりに個々の思いや気持ちをそえた年賀メールの方が気持ちは豊かになるのではないかと思う

このメールというツールは思いのほか 

「単刀直入にホンネが語れる」 

という事に気づいている方も多いと思う

達筆過ぎて読めない時候の挨拶文で始まる葉書きや慣習や義理でフォーマットされた葉書き文より心にダイレクトに来る事ってあるぞ〜

まあレターを否定はしないが我々が 『テレパシー』 を完全マスターするまではこのメールシステムは郵便以上にずっとずっと重要だと思う

よって、今年 「メール年賀」 と 「郵便年賀」 の両方を送ってしまった人は、来年は 「メール年賀」 だけでいいんじゃないかなあ。

システムを変えるのは自分

気をつけないと誰かの作ったシステムに翻弄されるのが慣習

自分なりのやり方を創造するのが今度の千年紀のやりかた

良いモノは残し不要なモノは切り捨てる自分のモノサシで測って

追記

すべての郵便屋サンが悪い訳ではありませんので

倉本 和人

『1991年以来、 "宇宙・イルカ・地球の絵画" を描き続ける異色作家』

詳細は ⇒ <http://www05.u-page.so-net.ne.jp/rc4/kazu-ai/map.index.htm>

近況の言動はメールマガジンKAZUsanをお読みください

⇒<http://www05.u-page.so-net.ne.jp/rc4/kazu-ai/kazusan.htm>

倉本さんからは以下の追加メールも届きました。

矢張りと言うか・・・

元旦に年賀メールを下さった方から結構 「紙の年賀状」 が届いています(笑)

ボクは 「年賀メール」 に対して速攻で 「お返事年賀Eメール」 を送信してしまいましたからいまさら 「紙の年賀状」 に書くことは何も無く少々対処に困っています

もちろんボクは 「二番ダシ」 は送らないつもりですが・・・。

矢張り上手な使い分けが必要でしょうね

ボクはいずれにせよどちらかひとつで充分ではないかと思います

メールの使えぬ方には 「紙」 を送る訳ですから「紙」 が送られてきた場合もそこにアドレスが記されていたらボクは 「お返事Eメール」 を速攻で送ります

郵便屋サンよりも早いですからね。 

逆に 「紙媒体」 がお好きな方は 「年賀メール」 を送らないのがエチケットではないかとも思います

まあ、どちらかひとつに気持ちを込めて送るのが ○ でしょう!

両方送るのは × だな (結構両方送ちゃった人いるでしょ?)

したがって つなぶちさんは ○

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私は、秋頃からランニングをはじめました。

決まったコースを回るのではなく、今日はあちらの公園、明日はこちらの名刹と走って回るのが楽しみです。

おかげで、市川市北部の地理にかなり強くなりました。そのうち、走って旅をしてみたいと思います。

翻訳家の清水真砂子さんが、

「いまの若い人達は、平和な時代を生き延びる苦労がある」

というようなことをおっしゃったそうです。

少なくとも先進国では、食べる苦労はしなくてすむようになりました。

しかし、そうなると今度は自分の存在価値や生きる意味を見失ってしまいます。

人間というのは、どんな状況でも、なかなか悩みから解放されないのですね。

だからといって戦争や飢餓の時代に戻るのではなく、心穏やかに暮らせる道を探すしかないなと思います。

私は、今年から仕事関係者へはハガキで送る年賀状は廃止しました。親戚や古い友人にはメール環境がない人も多くて、継続したのですが。差し込み印刷で宛先を書いていっせいにメールを送るソフトもありますが、私は、正月にひとりずつ文章を書いてメールを送信しました。大半は数行の簡単なものだったのですが、仕事先だというのに、早い人からは、その日のうちに返事が届きました。

メールなら、どこにいてもごく簡単に挨拶をかわせるし、反応も期待できます。その代わり、紙の年賀状を送っていたときのように形式的に年賀状だけ送り続けるという関係は継続しにくくなるのかもしれません。でも、メールや携帯でつながっているから密接な関係だとは思いません。コミュニケーション手段が便利になってもきちんとしたコミュニケーションをとるのはむずかしいのじゃないかと思います。

いろいろなことを考えていますが、今年はそれを少しずつ形にしていきたいなと思います。人に伝えるために文章にすることもしたいのですが、自分でまず、実行することもしたいですね。走るのもそのひとつです。

梅方 久仁子

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今年は友人からの年賀MAILもずいぶん増えましたが、まだ少数派です。

ほとんどは、宛先まで印刷された年賀状・・・一言も添えられていないものも多数でした。(笑)

なんだか儀式化しているだけで、ぜんぜん気持が伝わってこなかったりしますよね。。。

先生からの年賀MAILには、昨年プレゼントした本のコメントも添えられていて、とても嬉しかったです。コミュニケーション手段として、MAILは必須となってきていますが、これからは言葉という道具をいかにその人らしく使いこなしてデジタルで伝えてゆけるかが、大切になってくると思います。

「デジタルで人心に触れる」・・・これが私の課題でもあります。

山田 良美

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機能的なことを考えると、メールで充分だと思っています。

保存スペースを取らず、発送・配達の手間も少ない、etc.etc...

ただ、「活字好き」「紙好き」な私としては(最近上記を自覚するようになりました)紙に印刷された、または手書きされた文字や絵に“手で触れる”ことができない、ということに寂しさを感じます。…「読む」という行為は、目から知覚されるものだけでなく、指先や、肌で感じるものもあると思うのです。そんな感覚を忘れてしまいたくはないなあ、と。きっと私は葉書の年賀状を書かなくなることは、ないのでしょう。

齋藤千晶

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メイルでのお年賀状ありがとうございました。

私は、メイルでの年賀状でも全く問題はないと思います。メイルなら、誰に送って、誰に送っていないかすぐに確認できますしね。年賀状だと、頂いてから「はて、この人には出したのだったっけ?」とわからなくなってしまうことも、しばしば。

大野 照代

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年賀メールは相手を選んで送っております。

普段メールでやりとりしている方同士なら年賀メールも全く、違和感がないでしょう?

eメールは文字に個性がないのですが、印刷された宛名で年賀状をいただくなら、インターネット年賀状の方がまだ嬉しいかもしれません。差出人の筆跡を見て、癒しの世界を感じるときもありますから。近い将来、インタネーットがTV画面のようになり、動画面を見ながら、新年の挨拶ができるような時がきっとくるでしょう。

小村 京子

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大体一通り年賀状を貰いましたが、思ったよりメールでの年賀状は少なかったです。

…テレビ等の宣伝もあり、21世紀を迎えた今年は増えるかなと思ってましたが。只、プライベートなメールアドレスを持っている人はかなり増えましたね。個人的には、年賀状は郵便で貰った方が嬉しいかな。一筆近況が添えてある年賀状は、何となく暖か味がある様な気がします。…尤も表裏印刷だけの年賀状も増えて来ましたが。

特に年1回のご挨拶になってしまった人には、その人のことを思い浮かべながら一筆書くことにしています。時間は掛かりますが…。奥さんには“時間がないんだから、そんなに一杯書かなくてもいいんじゃない”といつも言われています。

要はその人の考え方次第だと思います。

…メールでもオリジナリティ溢れる年賀状は作れますしね。

網ちゃんの様に沢山の人に多くの事を伝えたければ、年賀メールの方が便利だと思います。

僕も普段は下記理由でメールを愛用しています。

安価で、瞬時に、同時に多くの人に、多くの情報(画像や音声も含めて)を伝達出来る。只一筆ずつ書く様にすると、結局ずっとパソコンに向かっていないといけないので、それはちょっとしんどいです。その逆に全員がメールで年賀状をくれる様になったら、正月早々お酒を片手にパソコンで80通以上メールをチェックしなければなりません。これもまた、考えると疲れますね。

状況にもよりますが、僕は当面郵便で出すことになりそうです。

栗村 健治

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あけましておめでとうございます。

21世紀が始まったと言っても、まだまだ、世の中、人の心の混乱状態が続き、おちつくのにはあと100年位はかかりそうですね。

今年は、電子年賀状になさったんですね。

感想なんですが、お年賀状はやはり書状がいいなとおもいました。

というのは、電子年賀状だとその人独自のオリジナル製が著しく欠けあたたかみが、伝わってこないような感じ。

メールは、即座に簡単に遠方とあるいは、多人数の人とのコミュニケーションが出来る点は、とても良いところだと思うけど、挨拶とか個人的な意味合い多く含まれる、と言ったものはやはり手書きの書状がいいと私は思います。

やっぱり、使うエネルギー相応のものが人に伝わるのじゃないかな。(使い分け、バランスだよね。やっぱり。)

というわけで、つれづれなくままに書きましたが、今年もご活躍お祈り申し上げます。

土井 薫

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 返信メールを下さったみなさん、どうもありがとうございました。

 年賀メールを出すのって、ちょっとドキドキしますよね。

 まだ習慣にはなっていないから、失礼だと思われないかなって。

 でも、エイヤッと送ってしまいました。(笑)

 かつて十数年ほど前にはワープロで年賀状を書く人はほとんどいませんでしたが、その頃すでにワープロで年賀状を作っていました。会社の先輩のなかには怒る人もいました。でも、今となってはコンピューターとプリンターで年賀状は普通のことです。きっと年賀メールも二、三年後にはたくさん流通するでしょう。でも、ちょっとした工夫は必要でしょう。もらった人が嬉しくなるような工夫が。

 今年の僕の年賀メールにはマウイ島のハレアカラの日の出の写真を添えました。

    

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