■◇■僕のおしゃべり   Vol.41     夢の力
   
 ワールド・カップが始まる。ついこのあいだ四年も先かと思ったのに、いつの間にか四年たってしまった。前回のワールド・カップでは日本は世界のレベルに追いついてないというのが明らかになったが、たった四年でその格差を埋めたらしいというのがすごいことだと思う。メジャーリーグでも日本人が活躍している。

 どこからこのエネルギーが湧いてくるのだろう?

 昔は、貧乏だったからそこから抜けるためにがんばったという話が美談として語られた。しかし、ワールド・カップにいった選手もメジヤーの選手も別に貧乏だったわけではない。言ってみれば「夢の力」だ。

 かつては外人との体力差は決して埋められないと思い込んでいた。ところが体力差だけが力の差を生むわけではないことが次第にわかってくる。すると、いろんな可能性が湧いて出てくる。

 イチローは明らかに体力的にはボンズなどにはかないそうにない。ところが内野安打でヒットになる足の速さを持っている。新庄は調子に乗ると強い。「目立ちたがり屋」であることを最大限に利用している。最近調子が悪いのはインタビューに答えなくなったからではと思ってしまう。こういう可能性は夢の力に支えられているのだろう。

 日本の夢の力はどこにあるだろう?

 日本は他の国との関係ばかりを気にしすぎではないだろうか? 日本の夢はいったいなんだ? 夢がなくて可能性は出てこない。有事法制、個人情報保護法案、鈴木宗男問題など、夢とは言えない問題ばかりが表面に出てくる。

 しかし、小泉首相の施政方針演説を読むと、夢の力になりそうな言葉がいくつも出てくる。

<http://www.kantei.go.jp/jp/koizumispeech/2002/02/04sisei.html>

「平和の世紀」「努力が報われ、再挑戦できる社会」「民間と地方の知恵が、活力と豊かさを生み出す社会」「人をいたわり、安全で安心に暮らせる社会」「世界一安全な国、日本の復活」「美しい環境に囲まれ、快適に過ごせる社会」「子どもたちの夢と希望を育む社会」。

 これらのひとつひとつがどのように実現されていくのか、具体的なことを聞いてみたい。メディア、つまりは国民の耳がそれを聞きたいと望まない限り、誰も語りはしないだろう。もちろん、問題について語り合うことは大事だ。その一方で、夢を語ることを忘れてはならない。

 しかし、残念なことに日本人の多くは世界に対しての夢を語ることについてトラウマがある。第二次大戦で日本は大きな夢を掲げて敗れた。いまだにそのことは「悪いこと」という価値観だけが優先されている。確かに戦争はよくない、しかし、日本が夢を描くことはいいことのはずだ。アジアを欧米の帝国主義、植民地主義から独立させようとしたことに対しては誇りを持っていいはずだ。その方法を戦争に頼らなければならなかったということが問題だった。

 問題について積極的に語るように、夢についても語れる日本にしたい。そのためにはまず、自分が夢を語らなければならない。

    

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