■◇■僕のおしゃべり   Vol.42     W杯
   
 大阪出張からの帰りの新幹線に乗るのにニューズウィークを買った。車内で読んでいくと面白い記事を見つけた。まずは「2006年への道はこう歩む」W杯についての記事だ。

 日本は予想以上の活躍をしたが、次のドイツ大会に向けて何をすべきかが書かれている。その記事の最後にこう書かれていた。
    
  だが、日本のファンは、ピントがずれていると思えることがある。トルコに敗
 れた後には、「夢をありがとう」というサインを掲げたファンがいた。負けた場
 合にそなえて作っていたわけだ。
  潔い態度ではある。だが世界のサッカーとは、いささか違うかもしれない。
 「日本のファンは優しすぎた。もっと怒りや失望を表現すべきだ」というのは、
 サッカーに詳しいイギリスのコメディアン、デービッド・バイエルだ。
           ニューズウィーク日本語版 2002.7.3 p.73
     
 これを読んで僕は「そりゃ違うだろう」と思った。サッカーはゲームだ。みんなが楽しめるのが一番。怒りや失望で暴動を起こすよりずっといいと思う。次のページを開くと、前の記事とは一転、別の視点が披露されていた。

「ニッポンが僕を泣かせる」というタイトルの記事は日本人が敗れた代表選手たちに拍手を送っているのを見て素敵なことだと思ったイギリス人ジャーナリスト、サイモン・クーパーの記事だ。
      
  鈴木隆行が日本の今大会初ゴールを決めたとき、埼玉スタジアムの記者席では、
 僕の近くにいたヨーロッパ人ジャーナリストのうち半数が声を上げた。今回のワ
 ールドカップ(W杯)では、外国人の多くが日本を応援していた。嘘ではない。日
 本人のサッカーの楽しみ方に、どこか魅力を感じるからだ。
           ニューズウィーク日本語版 2002.7.3 p.74

 で、はじまる文章は日本のサッカーファンが相手国に敵意を抱くことがなく、勝っても負けてもゲーム自体を楽しむことに驚きと羨望を寄せる記事となっている。その記事の最後は次のように締めくくられる。
   
  日本のファンを見ていると、「ナショナリスティック」ではなく「インターナ
 ショナル」なものを感じる。日本の国旗を振って日本の国家を歌う姿も、ヨーロ
 ッパのファンが国旗を振り、国歌を歌う姿と変わらない。というより、ヨーロッ
 パのファンをまねしているようだ。
  日本のファンがよく歌うのは、イタリアのオペラ『アイーダ』の凱旋行進曲。
 スタンドは青に染まり、国旗の赤と白を着ている人はほとんどいない。僕は日本
 史の専門家ではないが、日本のファンに軍国主義の醜い影は感じなかった。これ
 をナショナリズムと呼ぶのなら、無害でお気楽なナショナリズムだ。
  ヨーロッパでもファンが笑顔でチームを応援すれば、どんなにいいだろう。し
 かし向こうでテレビを見ているファンに、日本のスタジアムの雰囲気は届いてい
 ない。
  日本--ベルギー戦の後、僕と同じくヨーロッパから来たジャーナリストが本国
 の編集者に電話した。「あの雰囲気をどう思う?」。編集者の答えは「雰囲気っ
 て、何のこと?」。テレビでは伝わらないらしい。
  トルコ戦を最後に、今大会で日本人サポーターの応援を見る機会はなくなった。
 日本流のサポートは、まだしばらく日の目を見ないのかもしれない。
           ニューズウィーク日本語版 2002.7.3 p.75
     
 結局フーリガンによる騒ぎはいまのところ日本では起きていない。なぜなら日本人がどんな国の人たちとも仲良くやってしまうからだ。たいていの外人は日本が好きになって帰るようになりそうだ。しかし、眉をひそめている人もいる。FIFAのブラッター会長だ。どうやら日本が決勝リーグに進出し、韓国がベスト4に入ったことがお気に召さないようだ。「最も興味深いW杯の1つではあったが、サッカーとしては多分、最高の大会ではなかった」と27日の記者会見で発表した。

 ペルージャの会長もイタリア戦でゴールを決めた韓国の選手を解雇してしまった。どこかの国ではかつてW杯でゴールを決められてしまったゴールキーパーを死刑にしたことがあると聞いた。なんでそんなに熱くなるのか? せっかく世界中の人たちが集まって競い合うのだから、勝っても負けても互いを讃えるような態度がなぜ取れないのだろう?

 つい熱くなってしまう外国人に告ぐ、もっとお気楽に楽しめよ。そして、他国の選手にもっと惚れ込め。

    

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