2 官僚論と「八郎潟干拓大型機械化体系試験」農場
S・E兄への手紙(つづき)ーーー(あります言葉はこの場合なじまないので、論文調に変えます)
『エリート官僚論』について、ーーー著者は、第6章「日本の官僚の思考と行動様式」〈2実務に弱いこと〉の中で、例として八郎潟干拓営農計画をもちだした。著者が体験したということで、評者も「例えば,官僚の失敗によって犠牲を強いられた国民の話など、中には噴りさえ覚える事例もある」としている。
このままでは、世の誤解をまねこう。私の記憶の及ぶかぎりで、これを正していく。
始めに八郎潟干拓の例が、どういう位置づけで出されたかを知る意味で、『エリート官僚論』の目次を先に見ておく。
第1章 国士型官僚が果たした役割(1945〜60年後半)
第2章 55年体制の確立とリアリスト官僚の登場
第3章 55年体制下における政治家と官僚(「党高政低」現象をいかに理解するか)
第4章 55年体制の政策意思決定(日本の政治・経済・社会・にもたらした影響と対応措置)
第5章 55年体制のもたらしたもの(一部キャリアの腐敗と堕落)
第6章 日本の官僚の思考と行動様式
1ファクト・ファインデインの弱さ
2実務に弱いこと
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第7章 21世紀に期待される官僚像とその資質
批判の対象となった「八郎潟干拓の営農計画」は、『機械化実験農場』『八郎潟干拓再論』にのべているとおり、昭和36年、1戸当たり10へクタール案あるいはアメリカ型米作案を八郎潟干拓企画委員会営農部会に提出した以来のことである。
批判は私より年輩者(それも主として農業関係技術者)ばかりにあると、無意識に思いこみ、今の今まで、若いエリート官僚の中に、われわれ(八郎潟営農部会班)に反対意見のあったことには、気がつかなった。
同書の第6章2節〈実務に弱いこと〉で、『官僚論』の著者は云う。(注 実務に弱いとはエリート官僚のことを指す)
(「官僚論」の)筆者が、このことを痛感したのは、1960年代の前半、農基路線に沿って進められた大型農業機械の導入とそのための協業化の推進施策の立案・執行の課程である。
筆者は当時農地局に在職し、八郎潟干拓地に創設されるモデル農場および全国5カ所に設置された畑作機械化実験農業の経営計画に参画する機会を得た。
いずれも、その実現のためには、当時の農業・農村の常識を超えた巨額の投資を必要とするものであり、補助金あるいは低利融資によって相当な国費が投入されたが、当然のことながら最終的なリスクは農民が負担する制度的な仕組みがとられた。
農業に対する知識の厚薄を問わず、多少とも民間の事業とか経営についての経験や知識を持つ者から見れば、きわめてリスクの高いプロジェクトであったといってよいであろう。
ところが、そのプロジェクト担当者は、自らそのような経営をしたことがなかったことはもとより、導入が予定された農業機械ーーーーアメリカ製であったーーーーについても、その運転作業している状況を見たことすらなかったのである。また、計画地域の具体的事情はもとより農業経営の実際についても、知識もノウハウももっていなかった。
八郎潟の農場の経営計画を、担当者がアメリカのメーカーのカタログをくりながら策定していたこと、畑作機械化実験農業については、導入された機械の償却費の大きさと地元で調達を予定された労働力の賃金水準の低さーーーー営農それ自体はそれぞれの地域の風土と自然条件を前提とせざるをえないから、輸入した機械による一かんした作業計画を組むことができず、部分的に臨時の多数の労働力が必要であったーーーーが強く印象づけられ記憶に残っこている。
このような計画が、課長、部長、局長ーーーーそのほとんどはエリート官僚によって占められているーーーーによってチェックされることなく執行されたのである。
後に、「農民を使った生体実験」という厳しい批判があったが、そう評価されても甘受せざるをえない実態があったように思う。
ただし、上から下まで局内あげて「日本農業はわれわれがやる」という意識に燃えていたことも同時に書いておきたい。
『官僚論』PP277,278 この本の著者が、八郎潟干拓実験農場計画に参画したというのは虚言である。
なお実験農場の正式名は表題に示すと通り。