和辻「風土」
一
旧制新潟高校の昭和13年頃の寮誌に、坂口某君の「あゝ、われらモンスーンのーーーー」といった調子の論説が載っていた。和辻哲郎の「風土」に啓発されものであっただろうが、内容はとんと記憶にない。
私は、当時同じ寮生だったが、剣道をやっていて、こういった文化系統の流れを蔑視していた。ただ、坂口君の記憶とともに、「モンスーン」という文句と「和辻」という名が記憶に残っていたのは、内心、文化部への思いに似たものを捨てきれなかった証拠ではなかろうか。「風土」の著者の序文によれば、本(単行本)の始めて現れたのは、昭和10年のことである。
記憶の中で、坂口君の「モンスーン論」と、「佐渡が島山たそがれて、彩雲(あやぐも)なびく空の色ーーーー」という寮歌の1節が奇妙に重なっているところを見ると、「モンスーン」とは新潟辺りの裏日本の風土を指すもの解していたのかもしれない。
文庫本の奥付によると、初版は1979年となっているから、それ以降のことであるが、文庫本になっているのを、たまたま書店で見かけて求めることになった。役所を退職して、気ままに本を読み漁ろうと考えた頃である。坂口君の論説の記憶があってのことだが、40数年たってやっと実物にめぐり合えたわけである。
この時の、この本から受けた印象は、湿気と暑熱のインド洋から乾燥の沙漠地方を通過した後の、地中海での3月末の牧草の緑かがやき、京大教授大槻政男氏との船上での出会い、そこで大槻教授から教えられた「ヨーロッパには雑草がない」という驚くべき事実、そこから「風土」の発想が得られた、というものであった。
作文「芝生」を書くに当たって、日本の夏草の繁茂とヨーロッパの冬型牧草対比から、和辻氏の「風土」の、このくだりを見のがすわけにはいかない。だが、あいにく仮引っ越しのおかげで、本は大方梱包したままで「風土」が見つからない。
そうこうしているうち、責任を感じた家人が書店でこの本を見つけてくれた。(病人は、引っ越し荷物その他の管理義務から免除されているのだ。)それで「風土」に目を通さないわけにはいかなくなった。それに発病前の記憶ないし理解力がどれだけ残っているかのテストにもなろう。
二
和辻哲郎「風土ーーー(人間学的考察)」は、次の各章からなっている。
第1章 風土の基礎理論、第2章 3つの類型、第3章 モンスーン的風土の特殊形態、
第4章 芸術の風土的性格、第5章 風土学の歴史的考察
このうち骨格となっている第2章の概要を示しておこう。
3つの類型
「人間の歴史の側からの考察に比して著しく閑却せられている」「風土の側から」の接近によって「人間の歴史的ー風土的特殊構造」を3つの類型に区分することができる。
<モンスーン>
「南洋」(東南アジア)中国、日本を含む地帯。(モンスーンとは季節風のこと。)特に夏の季節風地帯を指し、熱帯の大洋から陸に吹く風により、暑熱と湿気との結合した「湿潤」を特徴とするーーーー 夏の太陽、旺盛な植物、豊かな食物めぐむ自然は(生)ーー、受容的人間類型形成され、同時にまた、自然は大雨・暴風・洪水をもたらしーーー忍従的人間類型が形成される。
<沙漠>
アラブ・アフリカ・蒙古。気候は「乾燥」を特徴とし、荒々しい極度にいやなところーー自然は(死)ーー 対抗的・戦闘的・共同態的人間類型が形成される。
<牧場>
ヨーロッパ。 夏は乾燥、冬は雨期で中庸。夏の乾燥は牧場における夏草(雑草)の繁茂をさまたげる。かくのごとく自然は人間に対して従順---かくして、人間は合理的精神が発揮でき、自由の観念や哲学や科学が誕生した。
(結論)
(ヨーロッパの)牧場的風土ーーー理性の光が最もよく輝き、(日本の)モンスーン的風土はーーー感情的洗練が最もよく自覚されるーーー我々は己の国土を牧場に化することはできない。しかも我々は牧場的性格を獲得することはできるのである。ーーーそのときには我々の中にある台風な性格は---超合理的な合理性があたかも台風のごとくに我々を吹きまくることを自覚するに至るーーー。
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前回読んだときは、大槻教授との地中海船上での出会いまでで、それからは先は読まずじまいにしたらしい。そして、今にして思うのだが、坂口君はこの「結論」を取り挙げたに違いない。
高校時代の坂口君を引きつけたかもしれないが、今の私には、大槻教授指摘部分、すなわち気候・気象などと、植物および、これを介した人間生活結びつきのあるもの、との関連に興味を持つだけで、以外は関心の埒外だ。だが、例えば、大雨、洪水と人間類型を結びつけようとするなど、風土と人間類型は飛躍しすぎで、こじつけだと思う。
ただ、日本の夏の恐るべき蒸し暑さは、日本人の思考能力を著しく鈍らせると書き加えるべきだと、私は思っている。
最後に私の病気のせいだけでない証拠に、「権威」の評を掲げておく。
安部能成の批判ーーー解説によると「風土」の刊行直後に現れたものと言われるが、
「立論の材料が主観的に限られるとともに、その見方も確実な断案に達するためには主観的局限を免れない。(岩波文庫解説 井上光貞より)」 (1995,5,14稿)