はじめに

 

 私は、1995年1月6日脳梗塞発病、川崎市M医大付属病院に入院、2月8日退院、S医師の指示で言語リハビリのため横浜のS病院に通院することになった。

 同院の言語リハビリ室で、前川女史の週1回、マンツウウーマンのレッスンをうけ、その1環としてこの作文集ができあがった。週1回とはいいながら、脳梗塞後遺症の当人にとってはまさに労作以外の何ものでもない。週の大半を掛けて1回分の作文を作り上げる。発病前の32ビットの処理能力を持ったパソコンが、いまや8ビットの処理を回復するのに四苦八苦の有様と脳の破損部分を想定している。

 始めの3回は女史が与えてくれた課題について、後は自由題である。ともかくも、女史の指導よろしきをえて、6月1杯で無事卒業することになった。女史の熱心かつ適切な指導に感謝しなければならない。もっとも他に重症の人が沢山いて、押し出し卒業でもあったということである。                     
                                      1995、9稿

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