2 化石スタート
井上靖『化石』について
まず、井上靖の『化石』を読んでいない人のため、「角川文庫『化石』(昭和44年初版)の解説」から概要をしるそうと思う。
『化石』は、朝日新聞紙上に、昭和40年11月〜41年12月31日まで、409回に渡って連載されたものである。
(井上靖氏の)最近の新聞小説で気がつくことは、ひところのテンポの速い筋や事件の運びがほとんど影をひそめて、思弁的、回顧的な色合いが強くなってーーーーーー
『夏草冬濤』や『北の海』で、少年時代や青年時代を回想すると同時に、同じ朝日新聞に連載した『渦』あたりから、老年、死、骨肉など、人生一般の根本的な問題に対するさまざまな感想が、作品の中に大きく顔を出すようになった。
これは、単に井上氏が年を取ったということよりも、老境の円熟を示すものであろう。
とくにこの『化石』には、いわゆる小説らしい筋立てはほとんどない。
初老の主人公の一鬼が、ヨーロッパ旅行中にガンを発見されて、今後一年しか生きないという死の宣告をうけ、以後ひたすら一鬼の内部の死との対話、対決にのみ語られている。ここにはすでに、愛も憎も利害の相克もなく、老年や死の問題をはじめ、人生そのものに対する根本的な問いかけや思索のみが語られている。
一鬼はいわば、生粋の実業家(注:戦後の中堅建設会社創設社長)で、戦後の混乱期を徒手空拳で切り抜け、生き延びてきた、立志伝中の人物である。利害と功名の争いに明け暮れ、おそらくは死ということも、これまでは正面から対したことはなかったに相違ないーーーーー
角川文庫(『化石』解説:初版昭和44年)〈福田宏年〉から
これは、福田宏年氏による文庫本の「解説」の冒頭部分である。
福田氏の解説の「人生そのものにーーーー思索のみが語られている」部分には、些か疑問がある。
以降福田氏の解説を離れていこう。
【「化石」概要1】
一鬼太治平は、5年前に妻を亡くし、2人の娘は嫁がせ、自分は独身であった。「大きな子供を残して細君に先立たれた場合、夫が独身を押し通すことが、一番家庭内の煩わしいことを防ぐ方法だという固い確信を持っているからであった。
どうせ女の1人や2人はできるかものしれない。しかし、それを家族の1員として迎えることは子供たちのためにも自分のためにもよくない。そうしたことから起こる煩わしさは一切ごめんである」というのが一鬼の考え方である。 (「化石」1章)
一鬼は、かれ自身の積年の労苦慰労のために、秘書役に青年(船津)を帯同し、3か月予定でヨーロッパ旅行にでかけた。船津は総務課長である。一鬼は毎年2、3回仕事のため海外に出るが、これまでは用件のみの旅行であった。
始めの1ケ月は、パリに滞在して、パリおよびその周辺を見、パリにホテルはとったままにしておき、スペイン、ドイツ、英国、北欧四国を見て回るスケジュールであった。
パリについてから6日目、一鬼らがロダン美術館を出たとき、見かけた年齢28、9歳、もしかすると30歳に手が届いているかも知れない日本人女性の、こちらに向けた、とがめるような眼が、何故か一鬼は気なった。
次にこの女性に出合ったのは、ホテルの近所の公園であった。
彼女は、グレーの外套に身を包んで、ベンチに腰掛け、顔を伏せて、編みものをしいた。この前とはまるで違って、平穏で、家庭的で、静かなものであった。
子供は4、5歳の男の子で、その子の相手をしているのが一目でうばと見える白人の若い女であった。
とにかく彼女が、贅沢な雰囲気を身につけていることだけは間違いなかった。
次に出合ったは、一鬼らがスペインからパリに戻って、パリ在住の日本商社の連中(各社の幹部8名)が、一鬼の歓迎会をホテル・Rのグリルで開いた時であった。
一鬼らがロビーを歩いていると、後ろから入って来た一組の正装した男女が、階上に消えたが、その中に老紳士に付き添われカクテル・ドレス姿、厚化粧の彼女がいた。一鬼は、鶴が舞い降りた感じであると思った。
「ピエル・マルセラン夫人という有名な金持ちの夫人ですよ」「きょうは何か大きなパーティーでもあんじゃないですか」
「彼女のご亭主は何しろ金持ちとして名が通ってますからねーーー」
「ーーそこへ正妻として入り込んだんですからね」
「岡焼き連中がうるさいのも無理はないね」
「しかし、パリにいて、マルセラン氏のおめがねにかなって結婚したんだから、何か音楽でも勉強に来ていたんじゃないかな。ピアノはうまいらしい」 (『化石』3章)
一鬼の歓迎会に集まった連中は、彼女が美人であるとか、美人でないとか、品があるとか、ないとか、彼女の出は九州の炭鉱屋の娘だとか、大阪の酒場の女とか云っていた。
マルセラン夫人と2、3回話したことがあり、外交官上がりで、パリの白人間にも知人があるらしい豊島豊八郎は、どちらかと言えば彼女に好意的であったが、他の連中は決して好意的とは言えなかった。
しかし、豊島も含めて一座の誰も正確な知識は持ち合わせていなかった。
一鬼は歓迎会の席で下腹部に軽い痛みと吐き気を覚えた。しばらくしたら、痛みは消えた。
〈あれだけの美人はそうざらには転がってはいませんよ〉一鬼は、そう思った。
しかし、痛みは走りそうであった。
一鬼はパリで腹痛を起こし、それはじきに治まったが、翌日船津らのはからいで、パリのKR公立病院で診察をうけるはめとなり、2日間におよぶ検査を受けた。
「ひょっとした手違いで」、病院から、同行した秘書役(船津)にかかってきた検査結果の電話を、一鬼が(船津になりすまして)受け取り、ガンが、十二指腸の手術が困難の場所に出来ており、あと1年の命しかないここを知らされた。
(電話は、KR病院で研究している日本人研究生城崎からのもので、彼はベルリンの国際的な学会から帰ったばかりで、今夜、妻と自動車で南の方に行くから、紹介状その他書類を日本に送るという。船津になりすました一鬼は、明朝とりにゆくとこたえた。(これが一鬼が、ガンに罹ったことを他人に隠すもとになる)
翌朝、「一鬼は〈死という同伴者〉を連れて」「その同伴者の正体を詳しく記入してある書類をKR病院に受け取りに行った」 注:(死という同伴者) 一鬼はガンを勧告された以降、胸の内でつぶやくようになった。これを作者は、彼と死の同伴者の会話と呼んだ。
一鬼は検査結果を船津にかくし、スケジュールを変更、旅行を切り上げようと考え、自分はパリに残り休養、船津のみ1週間の予定でローマに行かせた。
死という同伴者が、一鬼にぴったりと身を寄せて、どこへでも、行くところへついて来た。
--------パリもこんどが見おさめだな。
--------それにしても、まだ一年ある。
--------いや、もう一年しかない。
-------まだ、一年ある。
-------いや、もう一年しかない。 (5章)
一鬼は、朝ホテルを出ると、1日中、当てもなく街を歩き、夕方ホテルに帰ることを繰り返した。
余り長く一鬼が同伴者のことを忘れていると、同伴者の方から話しかけてきた。
-------あんたは自分の病気のことを忘れてはいかん。あんたは一年の命しかないんだよ。それを忘れてはいかん。
-------おれだけ、どうしてこんな死病に取りつかれてしまったのかな。-------しかしかかってしまった以上は仕方ない。
--------信仰がいい。いまのあんたには信仰しかない。
--------一体、何を信仰するんだ。信仰して救われることを願うことより、酒を飲んで、この苦しみを忘れる方が手っ取り早くはないか。
--------酒を飲んで、苦しみを忘れられるか。本当にそう考えているのか。バカな奴だ。
--------信仰、信仰というが、それでは一体、何を信じればいいんだ」 (5章)
日本の商社青年社員の岸は、一鬼がパリに残されていることを知り、ブルゴーニュ地方のロマン(中世初期の建築様式)の寺院まわりの1、2泊の自動車旅行を勧めた。
一鬼はロマン教会はまだ見たこともなかったのでそれに従った。
約束した日の昼前に岸はきた。車は2台、1台は一鬼を乗せた岸、もう1台は岸の妻と同伴の女性であった。同伴の女性とは、女性車が出発を遅らせたために、後刻判るマルセラン夫人(フランス人の富豪と結婚した日本女性)であった。
岸夫妻は、パリの日本人としては例外的に、マルセラン夫人と親しくしていた。マルセラン夫人は、こんどの旅行先に、古い館で売り物があり、それを見てくる目的でもあった。