2 化石スタート

井上靖『化石』について      

 

まず、井上靖の『化石』を読んでいない人のため、「角川文庫『化石』(昭和44年初版)の解説」から概要をしるそうと思う。

 

これは、福田宏年氏による文庫本の「解説」の冒頭部分である。
福田氏の解説の「人生そのものにーーーー思索のみが語られている」部分には、些か疑問がある。

以降福田氏の解説を離れていこう。

 

【「化石」概要1】

一鬼太治平は、5年前に妻を亡くし、2人の娘は嫁がせ、自分は独身であった。「大きな子供を残して細君に先立たれた場合、夫が独身を押し通すことが、一番家庭内の煩わしいことを防ぐ方法だという固い確信を持っているからであった。

どうせ女の1人や2人はできるかものしれない。しかし、それを家族の1員として迎えることは子供たちのためにも自分のためにもよくない。そうしたことから起こる煩わしさは一切ごめんである」というのが一鬼の考え方である。     (「化石」1章)

 

一鬼は、かれ自身の積年の労苦慰労のために、秘書役に青年(船津)を帯同し、3か月予定でヨーロッパ旅行にでかけた。船津は総務課長である。一鬼は毎年2、3回仕事のため海外に出るが、これまでは用件のみの旅行であった。 

始めの1ケ月は、パリに滞在して、パリおよびその周辺を見、パリにホテルはとったままにしておき、スペイン、ドイツ、英国、北欧四国を見て回るスケジュールであった。

 パリについてから6日目、一鬼らがロダン美術館を出たとき、見かけた年齢28、9歳、もしかすると30歳に手が届いているかも知れない日本人女性の、こちらに向けた、とがめるような眼が、何故か一鬼は気なった。

 次にこの女性に出合ったのは、ホテルの近所の公園であった。

彼女は、グレーの外套に身を包んで、ベンチに腰掛け、顔を伏せて、編みものをしいた。この前とはまるで違って、平穏で、家庭的で、静かなものであった。
子供は4、5歳の男の子で、その子の相手をしているのが一目でうばと見える白人の若い女であった。
とにかく彼女が、贅沢な雰囲気を身につけていることだけは間違いなかった。

 次に出合ったは、一鬼らがスペインからパリに戻って、パリ在住の日本商社の連中(各社の幹部8名)が、一鬼の歓迎会をホテル・Rのグリルで開いた時であった。
一鬼らがロビーを歩いていると、後ろから入って来た一組の正装した男女が、階上に消えたが、その中に老紳士に付き添われカクテル・ドレス姿、厚化粧の彼女がいた。一鬼は、鶴が舞い降りた感じであると思った。

 「ピエル・マルセラン夫人という有名な金持ちの夫人ですよ」「きょうは何か大きなパーティーでもあんじゃないですか」

「彼女のご亭主は何しろ金持ちとして名が通ってますからねーーー」

一鬼の歓迎会に集まった連中は、彼女が美人であるとか、美人でないとか、品があるとか、ないとか、彼女の出は九州の炭鉱屋の娘だとか、大阪の酒場の女とか云っていた。

マルセラン夫人と2、3回話したことがあり、外交官上がりで、パリの白人間にも知人があるらしい豊島豊八郎は、どちらかと言えば彼女に好意的であったが、他の連中は決して好意的とは言えなかった。
しかし、豊島も含めて一座の誰も正確な知識は持ち合わせていなかった。                    

 一鬼は歓迎会の席で下腹部に軽い痛みと吐き気を覚えた。しばらくしたら、痛みは消えた。
〈あれだけの美人はそうざらには転がってはいませんよ〉一鬼は、そう思った。

しかし、痛みは走りそうであった。 




一鬼はパリで腹痛を起こし、それはじきに治まったが、翌日船津らのはからいで、パリのKR公立病院で診察をうけるはめとなり、2日間におよぶ検査を受けた。

「ひょっとした手違いで」、病院から、同行した秘書役(船津)にかかってきた検査結果の電話を、一鬼が(船津になりすまして)受け取り、ガンが、十二指腸の手術が困難の場所に出来ており、あと1年の命しかないここを知らされた。

(電話は、KR病院で研究している日本人研究生城崎からのもので、彼はベルリンの国際的な学会から帰ったばかりで、今夜、妻と自動車で南の方に行くから、紹介状その他書類を日本に送るという。船津になりすました一鬼は、明朝とりにゆくとこたえた。(これが一鬼が、ガンに罹ったことを他人に隠すもとになる)

 

翌朝、「一鬼は〈死という同伴者〉を連れて」「その同伴者の正体を詳しく記入してある書類をKR病院に受け取りに行った」 注:(死という同伴者) 一鬼はガンを勧告された以降、胸の内でつぶやくようになった。これを作者は、彼と死の同伴者の会話と呼んだ。

一鬼は検査結果を船津にかくし、スケジュールを変更、旅行を切り上げようと考え、自分はパリに残り休養、船津のみ1週間の予定でローマに行かせた。

死という同伴者が、一鬼にぴったりと身を寄せて、どこへでも、行くところへついて来た。

一鬼は、朝ホテルを出ると、1日中、当てもなく街を歩き、夕方ホテルに帰ることを繰り返した。
余り長く一鬼が同伴者のことを忘れていると、同伴者の方から話しかけてきた。

-------あんたは自分の病気のことを忘れてはいかん。あんたは一年の命しかないんだよ。それを忘れてはいかん。

-------おれだけ、どうしてこんな死病に取りつかれてしまったのかな。

-------しかしかかってしまった以上は仕方ない。

日本の商社青年社員の岸は、一鬼がパリに残されていることを知り、ブルゴーニュ地方のロマン(中世初期の建築様式)の寺院まわりの1、2泊の自動車旅行を勧めた。

一鬼はロマン教会はまだ見たこともなかったのでそれに従った。

約束した日の昼前に岸はきた。車は2台、1台は一鬼を乗せた岸、もう1台は岸の妻と同伴の女性であった。同伴の女性とは、女性車が出発を遅らせたために、後刻判るマルセラン夫人(フランス人の富豪と結婚した日本女性)であった。

 岸夫妻は、パリの日本人としては例外的に、マルセラン夫人と親しくしていた。マルセラン夫人は、こんどの旅行先に、古い館で売り物があり、それを見てくる目的でもあった。

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