3  ブルゴーニュの旅

私は、ここまで書いたとき、これまでの調子で「概要」を書くことが、困難であることに気づいた。

『化石』(754頁)15章、これまでが3分の1(240頁)5章、まだまだ先がながい。

ブルゴーニュ地方への旅が終わった段階から、帰国、日本に帰ってからの一鬼の自分自身の行動、フランスにいるマルセラン夫人に寄せる思とが、各章を通し、2系列に分かれており、互いに独立している場合もあれば接触している場合もある。
これは「概要」に書く上に誠に厄介なことである。

そこで文庫解説者の福田氏は、概要では、9章以下のマルセラン夫人に寄せる思い」、を切捨ててしまい、一方の系列「一鬼の自身の行動」についてのみ語っている。

そして「解説」の後半では、

死の想念のもつ文学的な意味について考え、人間には、絶えず死のことを考えているタイプ(分裂質)と、絶えず生のみを考えているタイプ(循環質)と、二タイプある。

わが国の近代文学に当てはめてみると、分裂質の代表的作家は川端康成であり、循環質の代表的作家は谷崎潤一郎ということになろうという。

そして、井上靖は、循環質の傾向が強い、谷崎型作家だといえよう。
一鬼は仕事によって死に対決しようとする。
「『化石』は、死に対する、雄々しく男性的な戦いを描いたものと言うことができる」        (『化石』解説)

と、本文以外のことでむすんでいる。
しかし「解説」全体を通して、「マルセラン夫人」という語句は「マルセラン夫人とブルゴーニュの田舎のロマン様式の素朴な寺院を訪ね」という文言のほかには、何処にも現れてこない。

これに対し、『化石』本文は、15章よりなっているが、初めの1章(日本を離れるまで)を除き、各章とも濃淡の違いはあるが、マルセラン夫人についての記述がある。
2,3,4章は、一鬼にとっては、見知らぬ日本女性としての、あるいは噂の種としての、マルセラン夫人である。

5章後半から6章までは、岸夫妻の案内で、一鬼はマルセラン夫人とともに、ブルゴーニュ地方のロマン様式の寺院めぐりをおこなう、この小説のバックボーンとなるべき出来事である。

7章以下15章まで、オムニバス形式で一鬼の行動を述べているが、帰りの機内、帰国後の出来事を通して、マルセラン夫人の思いであり、あるいは夫人の手紙があり、ガン手術が成功した段階で、マルセラン夫人が『化石』になってしまって終るのである。

私は、オムニバスの主人公達を削り、マルセラン夫人を、この小説の第一の客体と考える立場にたつ「概要」にしょうと思う。

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その前に『化石』本文で、私が注意した点を2、3挙げよう。

     (一鬼の年齢)

福田宏年氏の解説によれば、『化石』の主人公は初老としてあるが、井上靖の本文では、「一鬼もまだ50の半ばに達したばかりの若さ」(化石1章)であるとしている.。
しかし、そういう井上もまた初老的にとりあつかっている。
『化石』の書かれた時期、昭和40年当初頃は、日本人の平均寿命が延びたことに、気づかなかったことであろう。
今でいえば、10年寿命を延ばして、主人公一鬼は「60の半ばに達した」と読み替えてもいいようなものだろう。

      (『化石』の視線)

全編が、主人公一鬼の眼を通してのみ語られている
「一鬼はーーー」という文言が繰り返し出て来る。会話体でも一鬼がシャべるとか、聞き取るとか、聞こえるとかに限られている。マルセラン夫人の手紙が、2通ほどあるが、いずれも一鬼が目を通しているものである。
全知の語り部(べ)によって叙述されものではない。

このことは一鬼の相手方、特にマルセラン夫人が、一鬼をどう思っているかの謎?が残されていることを意味する。

     (死という同伴者)

一鬼の心中には死という同伴者(第2の自分)が住み着き、ガンの告知(4章)以後しばしば現れ、お前の命は一年きりであると警告する。

同伴者は擬人化され、一鬼に様々な意見を述べ議論をふっかける。

     (『化石』の骨組み)

この小説は、一鬼(死の同伴者を含む)と、マルセラン夫人とで成り立っている。

これらを踏まえて先に進もう。

【『化石』概要2】

 ブルゴーニュの旅

ブルゴーニュ地方旅行第一日目。パリからベズレイに向かう岸の車の中で、岸が一鬼に対してこんどの旅行のことを説明する。(夫人たちの車は、買い物や忘れ物のために、遅れて発車している)

ブルゴーニュ地方は、ロマン建築の寺院が無数にあり、その代表的なもの見ることにする。パリから東南200キロ離れたベズレイ部落、それより80キロの地点にオータン部落、更に80キロトウルニュー部落。いずれもロマン建築の教会で知られている。
ロマンの建物は、ゴシックに先行する中世の最初の様式で、非常に力強い素朴な美しさに溢れている。

パリから2時間半ほど走って、小部落にはいった時、小休止のため、岸は道端のレストラン前で、車を停めた。一鬼は岸と一緒に、テラスでコーヒーを飲んだ。ー−ーーーーーー

「そろそろ出発しましょうか。後続部隊を待っていても、いつのことになるか判りませんから。あと一時間か一時間半で、ベズレイの部落へ、はいります」と岸は言った。

一鬼は岸と並んで、再び助手席に腰を降ろした。岸が車を動かしかけているとき、すごいスピードで1台の車が、こちらの横をすり抜けていった。

車は見る見るうちに、形を小さくしていったが、こちらをすり抜ける時、ぶつけていった叫び声だけが、その花やかさを消さないで、あとに残っていたーーー

「あの運転は家内ではないと思うんです。もっとも女は調子にのると、何をやり出すか判らぬところがありますが」と岸はいった。       (5章)

一鬼は車の運転が、マルセラン夫人と知って、信じ難いが夫人にはそうしたところがあるかも知れない思った。

道は平原から山間部に入った。幾つかの部落を通り抜け、やがて丘に密集した人家が見えた。ベズレイである。
一鬼はここでマルセラン夫人と初対面の挨拶を交わすことなった。彼女は岸夫人と同様に、きっちりと両脚を包んでいる細いズボンをはいて、顔はスカーフで包んでいた。

ベズレイ部落で一泊。

寺院は丘の頂きにあった。四角三角円形を組み合わせた単純な外形だが、独特の美しさがあった。

右手の入口からはいっていく。のびやかである。石の柱で取り巻かれた歩廊を、奥の内陣へと歩いていく。柱頭部の彫刻は、アダムもイブも、処刑される悪人も、村人がモデルになっているのであろう。

また、教会の隣にある、マルセラン夫人が買取り所望の、お城(大地主の屋敷)を見た。

昨日と同じように、一鬼は岸のくるまに、2人女性はもう1台のくるまに乗った。
ゆうべ夕食の時、多少うきうきして軽口を叩いた夫人と異なり、今朝はただ、慎ましやかで上品である。

2時間ほどでオータンの町へはいった。町はソーヌ川沿いの低い丘の上にあり、町中の寺。
正面入り口の扉の上には半円形のレリーフがはめこまれてあって、おびただしい僧侶や男女の像が刻まれてあった。
カテドラルの中にはいった。1本1本の柱の上には、装飾彫刻が施されてあった。

オータン教会のすぐ横手の小さい博物館で、そこにもいろいろの浮き彫り彫刻があった。

トウルニュー、の寺院はやはり町中。8世紀ごろのもの。
中にはいると、がっちりした石の円柱が並んでいて、その他には、何の装飾もない。オータンは四角な柱であったが、ここは、ずんぐりした太い円柱で、床もまた四角にきった大きな石が敷き詰められていた。

その日はトウルニュー泊まり。
夕食後4人は雑談して過ごした。

マルセラン夫人は、来春夫と共に日本へ行くつもりだと語った。彼女は東京生まれ、東京育ち、戦時中、長野県伊那に学童疎開したから、伊那に行きたいといった。

「あるいは御一緒に日本の桜を見ることができるかも知れませんわね。そうできできましたら、どんなに嬉しいことでしょう」 (6章)

一鬼は来年の春、自分の健康状態(十二指腸ガン)が、どのようになっているか、見当がつかなかった。

 翌日、一鬼は岸の車に乗り、女たちは他の車に乗り、ブルゴーニュの大平原を走った。昼食は、岸がリラの並木の一角に車を停めて、サンドイッチとジュースですました。

来たときもそうであったように、マルセラン夫人の車は岸の車の横を、物凄いスピードで、通り抜けていった。

「あの連中は、休みなしに、パリまで突っ走ってしまうつもりかも知れませんよ」と岸は言った。   (6章)

一鬼にとって、楽しかったブルゴーニュの旅は、完全に終わった。

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