１ Ｓ 先輩への手紙（１）
拝啓。ご無沙汰いたしましたがお変わりございませんか。
当方実は様変わりした経験を致しました。去る７月中旬、私は、近所のＮ医師に、何かのついでに左すねのできものを診てもらいました。
１年前診てもらった時の倍以上もある。いつできたか忘れてしまったが、１年前までは１銭銅貨よりも小さく、表面はなめらかで、傷跡のようでした。痛くも痒くもなく、Ｎ医師も医学書の写真を見比べ、写真を撮ったりしましたが、心配なしと不問にしました。N医師は皮膚科の専門医ではないのです。
今回は２銭銅貨よりも範囲は拡大し、下部の周辺に異常のかさぶたが見られる。薬を付けたが反応しないというわけで、Ｎ医師に、これも近くのM医科大学病院宛の紹介状を書いてもらいました。Ｍ病院は過日脳梗塞で入院して以来１と月に１度通っているところです。大病院は待たされるので、（常日頃は敬遠）。
ところがM大学の皮膚科では皮膚ガンの一種であるということ、かくて私は９月は丁度１ケ月ほど入院して居ることになりました。
手術は全身麻酔ということで、私はあらかじめ何やら手術の順序を読まされましたが、麻酔薬をかがされるとすぐに意識がなくなり、気がついた時は手術台からベットに移され、病室に運ばれる前でした。
手術はムコウ脛のガン部分を取って、跡にモモの皮を埋め戻すもの。午後の手術でしたが食事をした覚えはありません。天井の模様が重なったり離れたり、よく見ると無数の集落地図で、無数の集落のには横書きで集落名が書き入れてある。しかしどれも細かい字で読み取れません。
翌朝目覚めてから見ると、テックス板を張り合わせたもので、地図なぞではなかった。
.病状の経過は順調で、9月末に退院することが出来ました。
ちょうどシドニー・オリンピックの初めから終わりまでの期間で、退屈せずに過ごせました。日本の選手はいまいちですね。
話は変わりますが、M医大の皮膚科の医師は圧倒的に女性優位です。初めの診察には００教授が行うということでしたが、見渡したところ女性群ばかり大勢いて、男性２、３人いるが、教授とおぼしき人物が見あたらない。
ところが中央の机に座っていた女性が００教授。
この人毎週火曜日大勢の医師団を引き連れ、病棟の各部屋を巡回する、小綺麗な小母さん的医師でありました。
手術室に運び込まれたとき、手術灯のもと、数名の青装束覆面の姿が待ちかまえていましたが、あれは後で考えると女性群でした。そして粋な姐さんを近代風にしたような人が、主治医で執刀したと思われます。
数年前、脳梗塞で入院した時は、病棟の看護婦は白い帽子のようなものを付けていたが、.それが今回見ると、頭の飾りが無い.。それで入院当初は医師と看護婦との区別が付きませんでした。
ここまで書いたとき、貴翰が私の手許に届きました。Ｋさんの急死は貴翰により、始めて知りました。Ｋさんは私のところに時折短歌など送って戴きましたものを。
ご冥福を祈ります。
井上靖の「化石」の主人公のガンにかかった時と、私の場合とを比較して見ようと思ったのです。井上さんは旧制沼津中学の先輩で、御本人は何のガンに罹ったか、かからなかったか知りませんが、主人公のガンをテーマにした小説。
どういう訳か女性群の話をすると、あとはキーが進まず、またの機会にします。
以上近況ご報告まで
２０００年１０月４日 自由平生
Ｓ様机下
Ｓ先輩への手紙（２）
前便にて、井上靖の『化石』の主人公と、私のガンに罹った状態の比較論を書く予告をしましたが、とうとう１２月になってしまいました。
以前、私の『記憶のなかの沼津』を書く際に、井上靖の作品を少々読んだことがありますが、『化石』は初めの方を読んだだけでした。たぶん沼津に関係がなかったからでしょう。
しかし、主人公がガンに罹ったことは、うろ覚えながら知って居たようです。
それで、今回ガンに罹ってーーー７月私は皮膚ガンと診断され、『化石』を読み始めました。
９月入院するまでの間のできごとです。
９月末、退院。１０月初旬、『化石』の中味を思い出せない。空読みしたせいか、始めて読むよう気がします。『化石』を読み直す必要ありです。
前回は『記憶のなかの沼津』『沼津余録』で芹沢光治良の悪口を叩きました。彼が旧制沼津中学を１番だか２番だかの卒業、やっかみ混じりの軽蔑でしたが、井上はれっきとした柔道部員で学業の方は怠けたと『北の海』に描いている。
この尊敬すべき先輩が、ブンカくん章を取るほどダラクしたと、その愚を捜そうとしている中に、とうとう年の暮れになってしまいました。
脳梗塞の後遺症ですかな。
２０００年１２月２５日 自由平生
Ｓ尊兄机下