4 最後の手紙
(平成10年:1998)
あけて平成10年、私の杉本氏向け作文も一応とぎれた。8月15日終戦記念日にと『わがトラック島戦記』を送ったが、これは昨年既に杉本氏にも送ったものであった。それにしても受け取ったぐらいの返事はくれそうなものと思っていたところ、秋になって横山氏の来訪があり、その謎が解けた。
横山氏の話、
「筋萎縮症によって倒れ、同級生の医師S氏の斡旋で五反田の筋萎縮症専門の病院に入院した。僕も見舞いにいったが、寝たきりで口もきけず無表情だった。ただ新聞がそばにおいてあったが、付添がいなかったので様子もきけなかった。医師は2年とは持つまいと云っていた」
12月『自由平自分史断片(学不学)』を書き終えた。杉本氏の学生時代にもふれた箇所がある。何とか出来ないものかと、病院のナースステーション宛に同書に次のような手紙を添えて送った。
(筆者から杉本一平氏のいる病院あて 12、13)
(平成11年:1999)
ところが思いがけず、今年の正月彼の名で病院から年賀状が来たのは、冒頭に述べた通りである。
(杉本一平氏の年賀状 1、1)
新年、おめでとうございます。
私の入院生活も11ヵ月目に入りました。
一進一退をくりかえしながらも、ほぼ安定した日々を過ごしております。
皆様にとって、よりよい年でありますように。
1999年1月1日
杉本一平 (以上活字)
(書き込み) 暮れには御本をいただきありがとうございました。
父も昔をなつかしみ、喜んでおりました。 長男 杉本ーー
そして、杉本一平氏は、今年の春、桜を待たず、亡くなってしまった。
「理性の人:杉本一平」終わり ( 1999、4、15 稿)