芹沢の宗教               

 

 芹沢文学館訪問以来、芹沢の信仰感覚(これが、私にとって、我入道を異郷と思わせた、そもそもの発端)に興味をおぼえて、文学館で手に入れた本を手がかりに、また多摩区の図書館で、 芹沢の宗教にかかわりありそうな図書を借りてきてもらった。 

 我入道を、異郷と想い出したのは戦後のことで、芹沢のどれかの作品を読んだからに相違ないが、題名も筋も覚えていなかった。しかし「次郎」という名が記憶にある以上、『人間の運命』であることは確かである。なぜなれば、『人間の運命』の主人公の名前は、森 次郎であるから。『人間の運命』は、昭和37年から43年に逐次刊行されたものである。

 私の小学生時代、沼津の町外れのどこかに、新興宗教らしい建物と、その内に住む、同級生(誰か名前を特定できない)がいたような気がする。また、小学生時代、「たすけたまえ、てんりゅうおうのみこと、家も屋敷もナンとか(たしか、神様に献上してしまっての意味)・・・」と言う、はやし言葉を使った覚えがある。

 昭和37年以降の、いずれかの時点で『人間の運命』のはじめの部分を読んで、それらが、ごっちゃになって、異郷としての我入道の仮像が、私のなかに形成されたのであろう。

 

(芹沢の宗教)

 芹沢は、戦後『教祖様』『人間の運命』を書き、最晩年には「神のシリーズ」と呼ばれる宗教意識的作品を残しているが、これらはいずれも小説体であるため、彼の全体像を捕捉しにくくしている。それを、『アルバム芹沢光治良』所収の「評伝芹沢光治良」(鳥羽徹哉)は、要領よく書いている。 

 だが、神のシリーズにおける変化は、「評伝」の作者、羽鳥氏自身が、その変化ぶりに、戸惑っているのではなかろうか。

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