2 芹沢の宗教
芹沢文学館訪問以来、芹沢の信仰感覚(これが、私にとって、我入道を異郷と思わせた、そもそもの発端)に興味をおぼえて、文学館で手に入れた本を手がかりに、また多摩区の図書館で、 芹沢の宗教にかかわりありそうな図書を借りてきてもらった。
我入道を、異郷と想い出したのは戦後のことで、芹沢のどれかの作品を読んだからに相違ないが、題名も筋も覚えていなかった。しかし「次郎」という名が記憶にある以上、『人間の運命』であることは確かである。なぜなれば、『人間の運命』の主人公の名前は、森 次郎であるから。『人間の運命』は、昭和37年から43年に逐次刊行されたものである。
私の小学生時代、沼津の町外れのどこかに、新興宗教らしい建物と、その内に住む、同級生(誰か名前を特定できない)がいたような気がする。また、小学生時代、「たすけたまえ、てんりゅうおうのみこと、家も屋敷もナンとか(たしか、神様に献上してしまっての意味)・・・」と言う、はやし言葉を使った覚えがある。
昭和37年以降の、いずれかの時点で『人間の運命』のはじめの部分を読んで、それらが、ごっちゃになって、異郷としての我入道の仮像が、私のなかに形成されたのであろう。
(芹沢の宗教)
芹沢は、戦後『教祖様』『人間の運命』を書き、最晩年には「神のシリーズ」と呼ばれる宗教意識的作品を残しているが、これらはいずれも小説体であるため、彼の全体像を捕捉しにくくしている。それを、『アルバム芹沢光治良』所収の「評伝芹沢光治良」(鳥羽徹哉)は、要領よく書いている。
「この世に形を備えた神はなく、ただ宇宙の森羅万象を、決まった法則によって動かしている、揺るぎない力はある。その力を神と言うなら、云ってもよいという考え方である。人はそういう力を体得し、その中で、楽しく暮らさなくてはならないのに、我を立て、争いを繰り返す。それではならぬという警告を神の声として聞き、人々に伝えようとする人が、必ずや、人類の歴史の中に、ある間隔をもって現れる。釈迦がそうであり、イエスがそうであり、天理教の中山みきがそうである。
それらを貫くのもは、1つであって別々の宗教があるのではない。宗教が教団を作って、自己の力を伸張しようと考え始めたとき、それは堕落する。
自由、平等、博愛の人間主義(ユマニスム)と、無宗教派の宗教とは、故にそのまま一致する。 それが芹沢の考えの基本であり、宗派・教団としての宗教を批判し続けるのは、芹沢の一貫した姿勢だった。天降る神にぬかずく心は、宇宙の法則にぬかずく心の比喩と取っていいようである」
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「『人間の運命』には、次郎の実兄一郎が信仰する天理教の2代目教祖(井出クニがモデル)が登場し、病気を治したり、予言者めいた事を言ったりする。ーーー次郎はそういうことを嫌い、あくまで合理主義的精神を貫こうとする。そうした次郎の描き方の中に、作者の平衡感覚は現れている。
「ただ、基本は変わっていないと見ていいだろう。基本というのは、」といって、当初の文につながる。
(羽鳥徹哉・新潮日本文学アルバム『芹沢光治良』)
だが、神のシリーズにおける変化は、「評伝」の作者、羽鳥氏自身が、その変化ぶりに、戸惑っているのではなかろうか。
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