5 結びに代えて、漱石の文芸評論その他
『こころの波』第6章にある「ジャック」の考え方は、18世紀のヨーロッパに現れた自然神教の考え方であろう。
「理神論(自然神教) 世界の根源としての神の存在を認めはするが、これを人格的な主宰者とは考えず、従って奇蹟や啓示の存在を否定する説。啓示宗教にたいする理性宗教。17〜18世紀のヨーロッパに現れ、代表者はイギリスのトーランド(1670ー1722)、ヴォルテール、レッシングら。」(広辞苑)
「自然神教 理神論ともいう。伝統的なキリスト教の信仰・思想を合理主義・理性によって合理化、説明しようとする試みで、従来の信仰との激しい対立と論争をもたらした。「自然神教」の神は「非常に抽象的な非常に茫漠たる非常に理屈詰に割出した神」になりがちである。」(漱石全集、文学評論注解)
自然神教には、漱石のおもしろい意見がある。
漱石の『文学評論』の、(18世紀に於ける英国の哲学)を述べたくだりで、こう云う。
「欧州基督教徒の研究した哲学は、必ず神(ゴッド)と云う字が出てくる。我々日本人が考えると、何も神と云う事と哲学的思想とは関係のない者である。神は神、哲学は哲学でよかろう様に考えられるが、彼等はーーーーー 此の神を今まで通り認識するか、又は今までの神と云う観念を変形して、これを受納するか、若しくは全然此の神なるものを打崩か。どうにか神の始末をつけねばならぬ。従って欧州の哲学者は神のことを云々せざるを得ない。我々日本人は違う。根本的にそんな影響を蒙って居らんから神などどんなものだと考える必要もない-----」
さらに漱石は云う、「英国の18世紀は自然神教者論争舞台として知られたる世紀である。----自然神教者の方では理性にかなうやうな宗教でなくてはいかん、黙示や奇蹟は信ずるに及ばんと絶叫するのだらうし、又反対の側の方でもそれに応じて色々弁護をするのだろう。
余の如き門外漢はこの錯雑した論争の中に1歩も立ち入る権利はないのであるが----我々日本人----ことに耶蘇教に興味を持って居らぬ余の如きものからしてみると、何のために彼等は貴重な時間をこんな問題に費やして鎬を削って喜んでいるのだか殆ど要領を得るに苦しむ----」
これに対して、同、文庫本の解説(平井正穂)の意見も、なかなか面白い。
「(漱石)は、神という曖昧な存在よりも、もっと自在性(或いは実存性)をもった人間をこそ自分は問題にしているのだ、対象が英文学であれ何であれ、その点変わりはない、と信じている。
だが、汝と我との、神と人間との間の信仰、或いは敬虔、或いは愛という関係をなんらかの形で示している英文学における人間像を、神の問題への思索を抜きにしてどうして理解できるのか-----英国の作家は、無神論であれ信仰者であれ、ほとんどこの問題に苦しんできた。-----
しかし、だからこそ、小説家としての夏目漱石は死ぬまで自分の「私」に執拗に苦しみ続けた、神とか敬虔とかいう西洋的(形式的な)論理で被われたものを拒否して、自分の論理で、それと等価値的な何かを求め続けた、のではなかったかとも思う----」
と述べている。
人が神・佛を祈る場合の意識状態を、信仰というならば、昔はともあれ、明治以降の日本人の信仰は、1般に浅くなった。国家神道という、国家による締めつけがあった1方、文明開化の風潮と学校教育の普及により、従来の仏教は薄められ、国家神道は、広いけれども浅い、信仰と云うにはあまりにも形式的で、社会風俗化したものであった。
漱石は、それを指して云ったのであろう。そして、英国の18世紀には、「信を以てたつよりも、理を以て勝とうとする風を(宗)教界の全部に輸入したのである。-----その傾向が(英国)18世紀の文学にも現れては居るまいか、それが吾人にとっても尤も興味ある問題である」(『文学評論』第2編、18世紀における英国の哲学)といっていて、神への問題を、故意に避けたのではあるまい。
「古い信仰の徐々たる退潮の後には、想像力と理性との間の苦痛にみちた不一致が残される。偶像は少しずつその霊験を喪失していくが、哲学者によって否認された後もそれらは詩人のよって末長く愛着されるのであり、しかも多くの民衆に最大の影響を与えるものは他ならぬこれら詩人たちなのである。」
「真理が究極的に勝ちを制するという信念は、気休めな、しかし願わくは健全な理説であるとわれわれは信じたい」 (『18世紀イギリス思想史』第1章、L・スティーヴン、中野好之訳)
「芹沢光治良の宗教」終わり (1997、12、5稿)
漱石も最晩年には仏教に深い関心を抱いた(らしい)とは、この拙文を読んだある人が、そのまた先輩のある人(仏教関係)から聞いたという話である。
理性と信仰(たとえその名が何とよばれようとも)は、隣りあって、相いともに進むものなのか。
(1999、11、28ホームページ版)