山本三平 

 先に、この節で必要になる作家芹沢光治良の略歴を述べておく。

 明治29年(1896)沼津我入道に生まれる。沼津中学、一高、東大を経て大正11年農商務省に入所、退職フランス留学、帰国後、昭和5年(1930)作家活動に入る。

(中略)ーーーー平成5年(1993)死去。 ( 「芹沢光治良の宗教」参照)
               

(山本三平)

 山本三平は、芹沢の死ぬ前年、95歳の時(1992)の作品『大自然の夢』に、登場してくる人物である。                  

                          

 この場面を(杉本一平氏の返事97、9、16と並べてみると、山本三平を杉本一平に、仏教学者経済思想史学者に、T大学一橋大学に置き換えられる。後は、芹沢と杉本も沼津中学出身だし、住居の位置(共に新宿区落合)、年齢差(20)も芹沢(1896生)と山本(1921生)はほぼ一致する。山本三平は杉本一平変身であることは明かである。  

 杉本氏が芹沢邸をしばしば訪れたことは、私宛の手紙による事実である。そして、互いに何らかの知的交流がなければ、この歳になって、訪問は持続できないことである。 私は、私の『芹沢光治良の宗教』以来持った芹沢に対する疑点を、杉本自身氏から訊きたかった。

 

(杉本一平著の図書) 

 しかし、その前に先に掲げた杉本氏の著書について述べておこう。芹沢が興味を惹かれた理由にもなろうから。

 杉本著『理性と革命の時代』(岩波新書1974年)は、副題が示すとおりJ.プリーストリの伝記である。著者は、読者が18世紀イギリス思想に明るく、プリーストリを周知の人物の如くみなしているが、私はそういう読者ではないから、念のため「広辞苑」を引いてみる。

 伝記について、述べる気はないが、著者の意をくんで、プリーストリは国教派との対立のために逐われて、アメリカに亡命し、そこでおわったことを付け加えておく。 伝記の件はさておき、芹沢・山本両者の間の話題になりそうなものを拾ってみよう。

この書の第2章思想の展開、第2節「人民の自然権」で、

 同第3節「理性と宗教」のなかで、

 また同第5節「唯物論の確立」で

 これらは、杉本氏が、プリーストリの思想を述べたものであるが、著書の表題名が示す如く、彼が「理性」と「革命」の時代における「宗教」に関心があったのは明かである。  

 

 (芹沢作品の疑点) 

 【芹沢の90歳の作品〈神のシリーズ〉は、理性が沈んで信仰が浮いたようだ。しかし小説という衣を被っているために、事実と虚構、空想によるものか、わからない仕掛けになっている。

 そこのところを「山本三平(杉本一平)君に訊ねてみたい。】『芹沢光治良の宗教』参照

 

 まず、芹沢の(昭和41年70歳)の作品を見よう。 

(病床の実母と森次郎との問答)

 『人間の運命』は昭和37年から43年まで(66歳〜72歳)の書き下ろし自伝的大河小説で、主人公森次郎は、芹沢自身の分身である。ここでは、「理性的」である。『人間の運命』のなかで次郎は、天理教や大本教の教祖の神懸かり現象は日本の民度が低いからとか、守護霊が付いていると称する学生をお伽話であるとか、各所で理性的であることを強調している。(『芹沢光治良の宗教』参照)

 しかし、芹沢の最晩年(90歳から97歳)作品のテーマは、「理」は隠れ、「信」が飛び出す。 

「僕(芹沢)の日常生活には「現象の世界」と「実相の世界」が交錯している。(『神の計画』昭和62年)

 そして96歳の作品、『大自然の夢』の中の「現象の世界」に現れたのが山本三平である。
         ・「現象の世界」 芹沢の定義による、現世。
           
・「実相の世界」 〃〃死者の世界、神の世界ともいう。

 この小説のなかでは、「現象の世界」に住む人と「実相の世界」に住む人を使い分けている。
 芹沢自身の他は、「現象の世界」にいる人ーー山本三平や大江健三郎や(霊媒の青年を含む)そのたもろもろの人は、死ななければ「実相の世界」へ行けない。「実相の世界」にいるものは、ジャックや天理教教祖等特に選ばれたものだけが「現象の世界」にも行ける。ただし芹沢以外の現象の人のいないところに限る。 第1人称で小説を語る芹沢自身も、他動的ながら「実相の世界」へ行ける。

 まさに、ジャックや教祖の姿は、芹沢以外にこの世の人には誰も見たことがない(芹沢の頭の中に起こった)、都合のいい構造になっている。大体このような約束のもとで、「現象の世界」と「実相の世界」を適当に織り交ぜながら、毎年1冊のペースで、この小説群は書かれている。   
   ・ジャック 芹沢のフランス時代の療養所の友、物理学者(故人)。

 90歳代の7年の間、ジャックや教祖を毎回登場させた作品を書いた。 70歳前後の作品『人間の運命』で、大事にしたとみえた「理性」はどうなったのか。

 彼は、天理教の環境にすっぽり囲みこまれて育ち、青年期に「理性」の力で打ち破ったと思った以来、戦前戦後を通して理性を売りのにしたが(日本ペンクラブ会長、芹沢光治良文学館開設、芸術院会員等)、70歳80歳になって体力気力の減じるとともに、「理性」を無理に担ぎ廻らなくてもよくなったと思うようになった。

 90歳前、ある種の動機、霊媒の青年により、「自然神」が教祖に降りたという発想が生まれた。これで「理性」も生かすことも出来よう。彼が神様シリーズに用いた用語は、一切天理教に借りたものであるが、天理教には入信しない。

 私は紙の上の信仰という奇妙な仮説をたてみた。

 この仮説を芹沢に直に接触した現実の人間はどう見ているか。山本三平こと杉本一平氏こそ最適任であろう。こう思って『芹沢光治良の宗教』と前章の手紙を彼のとこへ送った。

彼からの返事、 

 延々たる会葬者のすべてが婦人と云うことは、なにを意味するのか。 

 

 【追記】

 私は、芹沢の90歳から97歳までの作品には、「芹沢光治良の宗教」執筆の際、図書館で借りたもののメモで済ませたが、山本三平のために、この『大自然の夢』を再度借りてきた。そこで芹沢が三平即一平に思い入れがあったことを確認(芹沢の常用用語)した。小説上とは言え。 

(芹沢が書斎にいて、何ごとか物思いに耽っていると、「実相の世界」のジャックーーーーフランス高原療養所時代の友人・大戦中事故死ーーーーが現れて、君は努力の結果、天上人のように、天の学校に入学したのに、何を悩んでいるかという。芹沢は、躰は神から借り物と気がつかなかったために、この10年近く、大自然の命令で、年に1冊、書き下ろし長編小説を発表したが、躰を大事にしなかった。気がつくと、躰は前に曲がり、足は弱って、動かなくなった、と嘆いた。ジャックは) 

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