掘り抜き井戸

 

 沼津には、静岡には見られぬ掘り抜き井戸と称する自噴井戸が、沼津台地の周縁部各所にあった(といっても私の知ってるのは数ヶ所に過ぎないが)。愛鷹山系の非圧地下水を上総堀(かずさぼり)で自噴させたものである。個人所有であるが、自噴出しっぱなしなので、1部を道行く人のため蛇口を解放したところもある。

 私の小学校では7月になると3年からは林間学校と称して、千本浜の松林中で午前中授業を行い、午後は海水浴に当てていた。林間学校の行き帰りは

学校により、クラスごとに旗を立て隊を組んで行かなければならない。真夏の炎天下の海水浴帰り路、隊列もあらばこそ、われ先にこの蛇口を争うのがつねであった。

 

 私の通学路、三枚橋の1画に、1ブロックを占める大きな繭市場があった。その裏手で上総堀の工事が始まった。櫓が組まれ、割竹の大きな巻き取り枠が取り付けられ、2、3人で割竹を上下に突き動かす。割竹の先につけた鑿(のみ)によって次第に地中深く掘り進む。やがて水脈に達する。

 水脈が地下何メートルであったか知らないが、数ヶ月後にできあがった掘り抜き井戸は、常時消防車何台分かをまかなえる水量であった。径1メートルほどの上向きの土管からざんざと溢れる水を5メートル四方の水槽に受け、余水を外の側溝に流す。側溝は市場の外周道路にある。100メートル近い側溝が近所のカミさん連中の恰好の洗い場になってしまった。

 

(新潟在住のSさんの昨年の手紙(1996)の1節に「沼津市については何も知りません。御用邸があったこと、市と称しても富士の水が豊富なので水道のない町だときいたことがあります」とあった。

 水道のない町とはまさかと思ったが、戦後の沼津については殆ど知らない。

 ただ、Sさんの手紙につられて、昭和初期、わが少年時代の思い出を語りたくなったのだ。)

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