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   妙高寺の娘郁子

 『夏草冬涛』の 洪作(作家井上靖の変身)の話に移そう.。

沼津中学4年になった洪作は、成績をよくするために、三島の伯母の家をでて、沼津の港町の妙高寺という寺に下宿することになった。

木部といういう友人と下見にいった。

『----木部が言ったとき、洪作は向こうの庫裡(くり)から娘の郁子(いくこ)が姿を現すのを見た。
 「あっ、来た」
洪作が言うと、木部はぎょっとしたように足を停めた。郁子がきちんとした着物を着ているせいか、洪作にはこの前の彼女とは別人のように見えた。体もひと廻り大きくなっているし、顔も化粧していて、眩しいほど明るく派手だった。
 「あれ、娘か?」
言うなり、木部はくるりと向きを変えて、
 「俺、外で待ってる」
と言った。今が今まで持っていた元気はどこへ行ってしまったのか、ひどく意気地がなかった。

 「俺も帰る」
洪作は言って、木部と一緒に門の方へ後戻りした。

 「あの、ちょっと!-------あんたたち」
背後で郁子の声がした。洪作は背後から何か声をかけられるのではないかと思っていたが、果たしてその通りになった。郁子の声は聞こえないことにして、洪作は背後を振り向かないで歩いていった。すると、小走りに走る下駄の音がして、こんどは、
 「こら、こら!」
と、男のような声が飛んできた。
 「用もないのに、黙って門の中へはいってくるのはお断りよ。--------』
      
注 寺の娘郁子は、洪作らより年齢三、四歳うえ
     
 「あんたたち、中学生だね。やたらひとの家の庭なんか、うろうろするもんじゃないの。針金なんか持っていくと、学校へ言いつけるよ」
 それから木部の方に手を出したかと思うと、
 「帽子はこうかむんなさい」と、いきなり木部の帽子のひさしを下の方へ引張った。木部が帽子をあみだにかむっていので、それが気にいらなかったのだろう。
 「よせよ」 木部は口を尖らせたが、甚だ意気があがらなった。
 「帽子ぐらいきちんとかむってなさい。なんだ、にきびなど出しゃあがって!」
 「うえっ」
 「うえっとは何よ。女の腐ったみたいな顔しないで、はっきりしなさい」
それから洪作の方へ顔を向けたが、その時始めて洪作であることにきずいたらしく、
 「あら、あんただったの」
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 「凄えのが居るな。とても、俺たち二人ではたち打ちができない。藤尾でも引っ張って来ることだな。ああいうことの対応は藤尾がうまいんだ。藤尾なら堂々と対で話をすると思うな」

 「----俺の顔の上半分はすっぽりと帽子の中にはいってしまった。見らたざまじゃなかった。―---恥は俺の体の中を駈け回っている。 ------うわあっ!」
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 「今日はこのまま帰って、再起を期そう」
 木部は言ったいった。    
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 『夏草冬涛』(12章)より。これは昭和39年9月〜40年9月「産経新聞」連載 昭和41年新潮社より刊行された。

 寺の娘郁子は快活な姉御はだの女性で、翌日来た洪作やその友人に畳み干しや風呂焚きを命ずる、今の言葉でいえば女性優位ということになるのだが、ユーモラスな会話がつづき、いかにも楽しい。

 そして最後に洪作は藤尾、金枝、餅田、木部らと伊豆の西海岸へ旅行し、土肥の部落へ「何かきらきらしたもを採取にでも来た探検隊の一員のような、そんな気持ちであり、またそんな足どりで」(『夏草冬涛』)はいってゆく----』
            
『夏草冬涛』新潮文庫 解説小松伸六より
『夏草冬涛』の末尾の一節である。

 
  私(筆者)は、中学時代、港町住んでいる友人の家を2、3ど訪ねたことある。彼の父親は狩野川の河口近くにある浚渫船の船長、母親は千本浜のある別荘の管理人であった。
 私らの目的は千本浜の人のこない松林のなかで、私の用意した箱船を組み立てることであった。しかし、当時寺の存在など、無関心であった。

 いまの私には、洪作も、郁子も、狩野川、御成橋、千本浜、上土通りの街並みも、中学校の道場も、そして中学時代の友人も---- 混然になって、現実に見たもののように、頭の中に浮かんでくる。


あすなろ物語

 井上靖には、『あすなろ物語』(昭33)という自伝風の作品がある。主人公梶鮎太をめぐっての幼年時代、青年時代 、社会人(新聞記者)、同(終戦直後)の六時期に渉る物語であるが、ここでは、青年期を取上げよう。

 幼年期、伊豆の天城山の近傍の村の土蔵の中で、義理の祖母の手で育ったと、『夏草冬涛』とまったく同じ設定、と言うより、『あすなろ物語』(昭33)の方が『夏草冬涛』(昭41)より、7年も前に出来た作品である。

 亀井勝一郎が、『あすなろ物語』の文庫本に解説(昭33)を書いているが、その中で、ゲーテの「自伝」にふれた題名『詩と真実』が用語として使われている。
『あすなろ物語』は、井上自身が言っているように、「自伝小説ではないが、井上靖の『詩と真実』とみてさしつかえあるまい」と、亀井は言っている。彼は7年後に『夏草冬涛』が現われたのでびっくりしただろう。 


 『あすなろ物語』では、『夏草冬涛』の洪作が梶鮎太、寺の娘郁子が雪枝、沼津市がN市になっている。

 鮎太が中学3年の時、学芸会で英語の暗記を見事にやってのけが、それがかえって五年生のある連中の反感を買い、鉄拳制裁を受けるはめになり、顔が腫れ上がり、3日間学校を休んだ。
 四日目、顔の腫れが治り、学校に出た。が学校を退けて校門をると、雪枝が待っていた。雪枝が言った。

「ここで待っていて、あんたを殴りつけた奴を言いなさい」
「だって-----、もう、みんな帰っちゃった」

「帰ったなら、駅へ行ってみましょう。どうせ、そのうち何人かは、汽車通学でしょう」

駅へ着くと、雪枝は待合室に入っていった。そこには汽車で通勤するN市の中学生や女学生たちが溢れていた。
「あそこに一人いる」鮎太は一人だけを指し示した。
「あんたか、弱いをいじめたのは」と、その生徒の前へ立ちはだかった。「これから指一本触れないと誓いなさい。でないときかないから----」
言われた五年生は、口をもぐもぐさていたが、他の一団の一緒に、後ずさりして行った。
      
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ひさしぶりに駅の方に来たからと、彼女の出た女学校に、鮎太を伴い行く。そこで見たものは、運動場で沢山の紺の制服囲まれた彼女と、円盤だった。”お寺の雪ちゃん”はN市では有名であった。彼女は愛知、静岡の女子の幾つかの競技の記録保持者であった。
    井上靖『あすなろ物語』(寒月がかかれば)より


 私(筆者)の家は、駅と女学校を結んだ通りにあった。毎朝汽車で通学する彼女らを、店を通して、居間からながめられた。彼女らは長い集団となって学校に向かって歩いている。スカートをつけた水兵服スタイル、髪は束髪、背負い鞄。一年らしい少数のものが、オカッパであった。

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