『記憶の中の沼津』を読んで



                手紙の交換  

 私は、作文『記憶のなかの沼津』を、先生と、旧友六、七人に寄贈した。

 K先生には、私は学生時代お世話になった以来、戦後も、富士開発調査を始めとして、お世話になりつづけた。

また、戦前、中学校の同級生であったり、高校、大學の先輩同輩であったものが、戦争によって互いの連絡が途切れてしまったものが多い。
この少なくなった旧友の文通を寿ぐべきか。

(手紙の交換)
私の提供した『記憶のなかの沼津』に応じての、手紙のやり取りである。 
(K先生、S氏、杉本一平氏との手紙についは、別項)

(筆者から宛て斜字は、筆者(自由平)からのもの 

・足立氏、榊氏(中学同窓)(同文)六、四 
   「---- さて、小生暇に飽かせて駄文『記憶のなかの沼津』を労しました。 貴兄にも思い出の多いところ、お暇の折りにご笑覧下さい----」

(筆者宛て)

足立氏                    
 『記憶のなかの沼津』恵送いただき有り難うございました。
伊豆の湯ヶ島に両親の墓、自分の入る所もある関係で、年に数回帰りますが、三島ー修善寺で行き、沼津とは遠ざかって久しく、なつかしく読ませてもらいました。
大火、海水浴と遠泳(一年の遠泳の途中・期間・、父を亡くした)、栗原平吉君(今でもガッチリした体格を思い出す。現在不詳)、前田先生(たしかチャボと渾名していた)など六十余年前をよみがえらせて呉れました---」

榊氏
----- 『記憶のなかの沼津』少年の頃、沼中時代の事等思い出し感銘致しました。
 過日東京香陵同窓会には長倉、横山、杉山、沢、岡田、小生で六名出席してくれ、総勢四〇〇名以上盛大でした----」

・萱野氏(高校・大学先輩) 七、三〇              

「---『記憶なかの沼津』御恵送有り難う存じました。早速、二十九日夜拝読、味読いたしました。

「子や孫のために小生も自分史をと思いますが、思うだけでペンが進みません。

 従って簡単に短歌をつくり、それを連ねて、作歌した当時の情景、想いをとどめてをります。今回は、海軍同期の親友で療養(車椅子生活)をしている友人に最近の和歌を送りました。そのコピー(先回のものとダブっていないと思います)をお送りします----  

「 一  貴兄の自分史に触発されて次の歌をよみました。

   人の世は如何が移りゆくか不可解なりただ神のみぞしりたまふべし
   永遠の魂の道いづこぞや地の涯てなるか空の涯てなるか 

   劫初より幾百億の人は歩む吾もまた人の歩みのひとり 
   この地上に生命をうけしあかしあり孫子に残さむおのがあしあと
   一生にただひとたびのこの世なり尊き父母と師にめぐりあひし 

   八十路こえふりかえりみれば尊き父母師友に逢いしことぞうれしき
   人の世の峠路我なりに歩み来(きた)る思えば尊し師黙示さる道 

 二 (海軍同期の友人に送りしもの)

   春の陽の緑透きとほる草むらに黄金(こがね)ちりばめしたんぽぽのはな 
   いてふ芽吹くうららなる春きたりけり人も車も生き生きと動く 

   白樺の若きみどり葉萌えいでて風にそよげる五月となりし  」

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