40年の時空を超えて その2 中央線 中野-東中野


ぼくの実家のすぐ裏にある跨線橋は、今では桜の名所の名お立ち台ということで、かなり有名な撮影地になってしまいましたが、小さい頃から電車を見に通っていただけあって、子供の頃から写真を撮っていましたし、このコーナーでも、何度も登場しています。実家に用事があったときなど、カメラを持っていれば、今でもこの跨線橋に上って写真を写すこともあります。今回は、偶然E257系の特急かいじがやってきたので、ふと遊び心を発揮して、前にこのコーナーに載せた181系の特急あずさの写真を意識して撮影してみました。なんと、44年ぶりの定点観測。これはこれでけっこう面白いネタになりましたので、番外コンテンツとしてまとめてみました。ご笑覧いただければ幸いです。




東中野も、キワめてマイナーな駅ですが、大江戸線が開通し、首都高中央環状線も開通すると、山手通りが大きく変わり、それなりの結節点としての役割を果たすようになりました。その象徴が、2012年8月31日のアトレ・ヴィの開業ではないでしょうか。徐々に変わってきた風景が、これで一気に変わりました。言ってみれば、新宿の端っこになったようなもの。そういえば、子供の頃から、夜になるとスモッグの垂れ込む空に、新宿のネオンが反射して、夜空というのはピンク色をしていたものです。それはそれとして、この写真の比較。少なくとも、擁壁は変わっていません。手前が低層住宅、向こうがビルという構図も一緒ですが、一つとして昔と同じものはありません。これは、変わったのでしょうか。確かに変わっています。しかし、変わっていないものは変わっていません。こうなると、もうある意味、ぼくの人生とは何かを考えることそのものみたいですね。記憶だけで撮ったワリには、閉塞信号との位置関係は合っていますね。12歳の中学一年生の自分と、50代のオヤジとで、呼吸が合っているといえましょうか。



中野に向かうカット。ここから、かつての国鉄第三位の直線区間が始まります。その頃は、中野には丸井本店とブロードウェイセンターぐらいしか、ビルらしいビルはありませんでした。このあたりを、桜のお立ち台としか知らない若い鉄ちゃんは、これをどう思うのでしょうか。変わっている、変わっていない。44年の隔たりというのは、実は極めて大きく、ぼくらが蒸気機関車の末期を必死に追いかけていた時代と、西尾克三郎さんが省形蒸気機関車の全盛期を撮っていた時代との時間差より長いのです。細かい変化を知っているだけに、変わっていないところを見つけるとうれしくなってしまいます。いわば、地図に載っているところは変わらなくても、目に見えるところは変わっているというところでしょうか。68年の写真は、キヤノンデミの38mm標準ですが、今回はLUMIXのμ3/4にオリンバスの17mmという装備で撮ったので、パースペクティブがずいぶん違ってしまってすいません。まあ、今回は緩行線のE231がちょっと花を添えてくれた感じです。人生ってなんなんでしょうね。改めて感じてしまいます。


(c)2012 FUJII Yoshihiko


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