AI着色は昭和時代の夢を見るか(その27)


PhotoshopのAIカラー化のニューロフィルターのプラグインの鉄道写真への利用を実験するこのシリーズ。「あそこの立体交差」で撮ったカットはひとまず出尽くしたので、今回からはちょっと新機軸。AdobeのAI君は緑の植生と空は及第点なのは充分わかったので、もっと人工的な環境に挑ませることに。今回もまた最初の北海道撮影旅行で撮影したモノクロネガかですが、1972年7月17日に行った苗穂機関区でのカットをカラー化してみます。機関区内、それも北海道の機関区という極めて人工的な空間をいかにカラー化してくれるのでしょうか。これはちょっとした挑戦ですね。



まずは文字通り「行き掛けの駄賃」。苗穂駅で降りて苗穂機関区に向かう道すがら、下り貨物列車の苗穂駅発車シーンを撮影しました。機関車は岩見沢第一機関区のD5147号機。こんなカット、撮ったことも忘れていました。72年夏という時期にしては珍しく、皿付きのクルパーのままで残っています。皿付きクルパーは嫌う人も多かったのですが、蒸機末期に間に合った首都圏出身者にとっては、皿付きクルパー、LP405副灯、船舵形煙室扉ハンドルという大宮工場仕様は結構なつかしいのではないでしょうか。それはさておき、すでに北海道でも皿付きは珍しくなっていました。全体の色味もなかなか落ち着いた感じで違和感なくまとまっています。錆色のバラストと緑の夏草の対比も、真夏の北海道らしい(実はこの日は降ったり止んだりだったが)感じです。


さて、苗穂機関区の構内に入って撮影開始です。まずは出庫準備の整った機関車の形式写真から。機関車は小樽築港機関区のD51465号機。築港のカマは流石に道内随一の機関区としての矜持で、北海道のカマの中では別格で手入れが行き届きキレイです。D51と言えども手抜きはしません。副灯LP405のクロムメッキの縁取りをピカピカに磨いているのは、小樽築港のプライドですね。カラー化もそんな築港のカマらしい輝きを良く再現していると言えるでしょう。埃まみれの鷲別のカマではなく、誇り高い築港のカマ(いかん、おやじギャグだ)の味わいがきちんと出ています。模型を塗装する時も、この違いを再現したいものですね。ナンバープレートも砲金色に見えてますし、バックのホーロー看板もほのかに赤味が入ってますし、なかなか上出来でしょう。


続いて出発線に雁首を揃えて並ぶ機関車達をまとめて撮影します。まずは岩見沢第一機関区のD51737号機。長万部機関区から転属になったばかりですね。もともと東北筋で活躍していたカマで、青森電化のちょっと前に渡道したカマなので、その時代の名残も随所に見られます。低い位置に付けられたナンバープレートが、ガン付けしているような不敵な面構えを思わせます。並んで苗穂機関区のC58415号機と機番不明のD51、そして逆向きに上り方を向いた同じく苗穂機関区のC58416号機と並んでいます。先程の465号機と比べると、737号機の煤けた感じが良く表現できており、違いがよくわかります。なかなかいい色付けですね。当時の苗穂機関区には、戦後型400番台のC58形式が5輛配属されており、西の里の補機などに運用されていました。全体の色味もらしい感じに仕上がっていますね。


転車台に進入する、鷲別機関区のD511098号機。流石、鷲別。小樽築港とは文字通り雲泥の差で、前照灯のレンズまで煤まみれになっているハードウェザリング。うっかり触ると手が真っ黒になりそうです。ナンバーすら読み取りにくいその感じは、よく再現できているのではないでしょうか。まあ、モデラーならではの構図というか、まさにジオラマの撮り方そのものですね。転車台の運転室のドアが開いて中の様子がよくわかるのも、模型資料としては上出来です。我ながらよく撮ったなあ。全体に低彩度ですが、機関区の仕事場的な雰囲気はよく描写できているカラー化ではないでしょうか。同じく鷲別機関区のD51556号機が庫の中で休んでいますが、テンダーのライトもちゃんと(?)煤けていますね。


また、先程の出発線に戻ってC58415号機の形式写真を撮ります。北海道は1972年になってもまだ内地の機関区とは違い、らしいゆるゆるさが残っていて入って自由に撮らせてもらえたので、この撮影旅行ではかなり機関区内での撮影が多めになっています。実際にはここまでは草は生えておらず、土が油で固まったような地面ですが、まあこれでもジオラマのグラッシングと考えればそんなには違和感はないですね。機関車もまあまあ許せる感じ。特質すべきは「架線注意」で、ちゃんと文字の赤と周囲の警戒色は色を入れてきています。小技で攻めてきましてね。なかなかやるなあ。C58はオリジナルのデフが大きすぎてバランスに欠くので、踏段改造はかえってすっきりします。一番似合ってるんじゃないかな。


今度はさらに奥にいたC58416号機の正面からのショットを撮影しに行きます。給水スポーンと詰所に挟まれた場所ですが、なんとか正面から撮れる位置を確保できました。当時の苗穂機関区には、414、415、416と連番のC58が配置されていましたが、3輛揃って新製時から苗穂の配属、414号機と415号機は廃車時まで苗穂一筋でした。さて、隣のD51はキャブのナンバープレートがチラリと見えます。最後の一桁は4のようですね、この時期苗穂に来る運用にある機関区にいたD51で機番の一桁目が4という機関車は実はそう多くありません。ということで、キャブ密閉化、デフレクタのバイパス弁点検穴に蓋が残っている、砂撒管の取り回しが「直・直・後」、といった特徴を持つカマを探したところ、岩見沢第一機関区のD51394号機が浮上、同機と比定しました。これも「架線注意」合格です。


こんどはまたC58415号機のサイドを撮影します。模型資料は意識していましたから、撮れる時にはきっちり撮っておきます。これもちょっと草多めですが、まあ許せる範囲でしょう。機関車も錆でウェザリングされている北海道らしさは出ているのではないでしょうか。しかしこのカマは、古い時代に北海道で使われていたアーチェリー型のタブレットキャッチャーが残っているんですね。タブレットキャッチャー使う運用がないからこそ、こんな蒸機末期まで残存してしまったということなのでしょう。それにしてもエアインテイクのところに取り付けられた「通告」の札も謎です。おまけにAI君、その文字に赤を入れてきてますね。なかなかいいセンス、褒めてつかわす。動力逆転器もなぜか残ってますね。ヤードの入換運用とかがあったのかな。




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