AI着色は昭和時代の夢を見るか(その7)


PhotoshopのAIカラー化のニューロフィルターのプラグインの鉄道写真への利用を実験するこのシリーズ。前回はちょっと寄り道して実験的なテーマに取り組んだが、今回はまた王道に戻って1971年の九州の続き。どうやらカラー化のニューロフィルタがバージョンアップしたもよう。色が付いてゆくステップが変わったので、学習効果というより推論ロジックを改良したみたい。カラー化の時間は若干多くかかるようになったが、アウトプットのクォリティーは確実に上がってきている。こうなるとバージョン毎の成果の比較などもやってみたくなるなあ。結果の良し悪しにかかわらず、今回も吐き出したデータはそのままで、ポストプロのレタッチはしていません。



今回使用した写真は、全て1971年12月17日に撮影されたものです。この日は国民宿舎青井岳荘に2泊した1泊目。青井岳荘は2階の廊下からだと、青井岳駅を発車して境川橋梁を渡るところから、その後境川に沿った土手の上を走ってゆくシーンまでが撮影できる、まさに室内から蒸気撮影ができる宿泊施設でした。ということで朝出発前に室内から撮影。かなり霧がかかっていますが、その分AI君は得意とするところ。リアルかどうかはさておき、全体としてもかなり雰囲気の出たカラー化になっています。九州とはいえ冬の寒い朝なので、ドラフトも力強く上がり、ドレンは列車ではなく上路トラスの鉄橋に中に絡んでいます。機関車は宮崎機関区の九州のC57ラストナンバー、C57199号機です。


まずは田野まで行き、「田野の築堤」としておなじみの清武川の段丘にある築堤と橋梁のところで撮影をはじめます。築堤より橋梁を強調した構図にするべく、ぼくにしては珍しく35o f2.8の広角レンズに付け替えての撮影です。駅構内や機関区での撮影では画角の関係から広角レンズを使うこともありましたが、走行シーンでは特殊な効果を狙った時しか使いませんでした。このカットは、そのまま撮ると築堤の存在感が大きくなってしまうのを、あえて橋梁部分を長く見せて強調すべく使用したものでしょう。このカットはシャッターむらが出て右端が陰っているのですが、AI君は光線の方向による空の色の違いとして上手く処理しています。上り貨物の牽引機は宮崎機関区のC5765号機。レンガの質感も良く見抜いています。


今度は同じ列車を、後追い気味に築堤を強調したカットで撮影したものです。この雰囲気の切り替えのために広角レンズを使用したのでしょう。マセたガキですが、意図は良くわかります。妙な貨車が機関車の次位に2輛連結されています。この線区ではおなじみの、南延岡-水俣間の限定運用で使われていたチッソ所有の濃硫酸用タム400形と、配給車代用の白帯入りワム50000です。そういう貨車が繋がっていたとは、半世紀の間気付きませんでした。築堤は緑のところと枯草のところとに塗り分けていますが、これは枯草に残っていた穂が光っているのを、白い花が咲いているものとAI君が勘違いして、緑に色付けしたものでしょう。そういう意味では、「花」のところはミニネイチャーみたいでいい感じです。


おなじみのお立ち台、清武川橋梁を真横から狙える段丘の上から下り列車を狙います。するとやってきた列車は、なんと単機回送。なんか拍子抜けで気勢をそがれたような感じもしますが、今となってはここで単機回送を撮れたということが貴重な記録で、そう考えてみるとラッキーだったかもしれません。お立ち台なだけに、普通の列車がやってきたのでは、誰でも撮れる同じような写真になってしまいますし。機関車は遠目に見ると109号機か117号機のどちらかであることはすぐわかります。なので判別ポイントに着目すると、ドーム前ステップのところに手摺りが見えません。117号機は手摺があり、109号機は手摺がないので、このカマは宮崎機関区のC57109号機と比定できます。デフの吊り穴も2つですから間違いありません。


今度は門石信号場の方に進んで、日豊本線と絡み合って流れる松山川の橋梁の一つを撮影地に選びました。やってきたのは鹿児島機関区のC5772号機が牽引する上り旅客列車。正面のAA6000型式のナンバープレートですぐわかります。普通座席車が3輛に、荷物合造車と荷物車という模型にも好適な5輛編成。レイアウトやジオラマで一番再現したくなるシーンです。72号機が纏う林氏のK-7型小工デフは、もともとC5524号機に装着されていたもので、同機の廃車後鹿児島機関区のC5721号機に移植されいていたものです。この年の4月に撮影に来た時には、21号機がまだ現役で活躍していたので、72号機に装備されこのスタイルとなったばかりということができます。


最後のカットは、田野駅の場内信号機のところでの撮影です。上りの貨物列車を牽引するのは、宮崎機関区のC5789号機。89号機は長らく裏縦貫で活躍した後、他の僚機と同様梅小路機関区に転じて山陰本線京都口で活躍した後、この年の5月に宮崎機関区に転じてきたばかりです。その後は日豊本線の無煙化まで活躍しました。腕木信号機やハエタタキなど、歴史の中に消えてしまった線路脇の小物が現役で使用されていた時代の貴重な記録です。場内信号機は3つあり、構内の3線どこにも進入できる構造になっていたことがわかります。また、通過信号機が進行を現示していませんので、田野駅で交換する列車であることがわかります。



(c)2023 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


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