日南線油津-大堂津間の「七ッ岩」その1 -1974年7月15日・16日-


今回もまた、前回・前々回と同じく、夏休みに観光旅行を兼ねて行った最後の九州撮影旅行で撮影したカットから。74年の4月に宮崎・吉松のライトパシフィックが全滅すると、もはや九州で蒸気機関車が残っている線区は極めて限られる。そういう中では田川線と日南線が比較的効率よく撮影できるということで、おいおいこの両線区が中心となり、その合間に他の線区や観光を配するというプランとなった。その分、周遊券の日程をフルに使って旅しても、かつてのようにシャカリキになって撮りまくることはなく、カメラもブロニカだけ、それも手持ちでという気楽な旅行となった。とはいえ、日南線、志布志線は、それぞれ宮崎口・都城口で、日豊本線の撮影の片手間に撮影したことはあるが、南九州といえば日豊本線・吉都線・肥薩線というライトパシフィック線区が本命だったので、線内に踏み込むのはこれが始めて。もはや蒸気撮影に関しては半分燃え尽き状態なので、頑張ってポジション開拓などという気はさらさらなく、安易にお立ち台として知られる油津-大堂津間の隅谷川河口にある「七ッ岩」付近での撮影と相成った。



まず最初にお届けするのは志布志機関区のC11165号機が牽引する、上り貨物列車。ワム8とワラが中心の、最末期の蒸気らしい編成。そう考えると70年代前半の5年間は、貨車も大きく役者が入れ替わった時代だったといえる。この時期は、終末期の広域配転で全国各地から全検期限の残っているカマが集められたが、C11についてはまだ九州島内に使えるカマが残っており、41号機やその後の359号機のように志布志機関区にも本州から渡って来たカマがいたものの、この165号機は前の年に早岐から移動してきたもの。日南線は昭和38年の開通とあって橋桁もPCガーダーだが、これは小型レイアウトっぽくてモデラーとしては悪くない。



さて、気楽な撮影となると発想も大胆になり、列車速度が止まりそうに遅いのをいいことに、走行中にレンズを付け替えて撮影するなんてことをやってしまったようだ。同じ列車だが、横幅方向はトリミングしていないので、先ほどのニッコール75mmf2.8から、ゼンザノン150mmf3.5に交換しているのが見てとれる。この時期、志布志機関区に配置されていたC11形式には、小工デフ(関氏のK-7形)装備の機関車は165号機しかいないので、これは機番を比定しやすい。一輌目のトラは間伐材を積んでいるが、あまり林業が盛んとはいえない当地でも出荷があったことに驚かされる。こちらのカットだと、望遠で遠近感が圧縮されている分、七つ岩の全貌がよく捉えられている。



これはグッと大堂津よりに戻った、多分国道220号線上と思われる地点から、海を見下ろすカット。やってきたのは下り貨物列車、牽引機はC11189号機。この時期志布志機関区にいたC11形式で、3次形でデフにバイパス弁点検穴が開いていないのは189号機しかいないので、これも容易に機番を比定できた。ヨが一輌だけという編成は、迫力のある写真が好みの方からすると物足りないだろうが、モデラーからすると、D51が一輌だけというのならいざしらず、タンク機がヨやワフ一輌だけを引っ張る姿は結構悪くない。バックの景色もせせこましく思われる方もいるかもしれないが、レイアウト派のモデラーだと、いかにも作りたくなる景色なんだよね。理想のレイアウト。踏み絵みたいなワンカット。




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