日南線油津-大堂津間の「七ッ岩」+αその3 -1974年7月15日・16日-


日南線も2回で終わりにしようかと思っていたのですが、保存状態は悪いもののカット自体はまだあるので、今回も日南線の3回目を行くことにしました。日南線油津-大堂津間のお立ち台「七ッ岩」で撮影したもう一列車のカットと、その前日に志布志駅付近で撮影した、大隅線の列車のカットをお届けします。エクタクロームは元がジャストの露出で撮っていると、半世紀近くたっても変色・褪色も少なくかなりきれいな状態ですが、露出がよくないとかなり変色・褪色します。これは同じフィルム・カメラで同じ日に連続して撮ったカットでも起こっていますし、いろいろな方のカラーポジをシーケンスのまま拝見しても強く感じられました。というわけで今回のは天気が悪かった分、レタッチで補正してもちょっと救えない感じに褪色しています。それが理由で2回分で終わらそうかと思ったのですが、折角スキャンもしちゃったので今回お届けします。



七ッ岩最後のカットは、上り貨物列車を正面から狙います。ここでもまた「リアルタイムレンズ交換」を行い、同一列車で複数のカットを撮影しています。まずはゼンザノン150of3.5で引きのカットを撮ります。牽引機は志布志機関区のC11195号機。こうして改めてカラーで見ると、195号機は赤ナンバーだったんですね。今回は正面向きなのでレンズ交換の効果が出て、この構図だと向かって左側が海ということは全然わからず、どこかちょっとした山岳線っぽい感じさえします。6×6判の150oは35o判だと85oぐらいの感じですが、かなりレールのヘロヘロ感が強調されています。ということは、もとの線路は相当にヘロヘロだったんでしょうね。



今度は交換後のニッコール75mmf2.8での撮影です。この場所からだと「七ッ岩」を横に広げたような構図で撮影できます。前のカットとレンズが違うだけで、同一の場所から続けて撮った二つのカットとはとても思えない違いがあります。C11195号機は早岐と筑豊地区で活躍した九州生え抜きのカマで、志布志機関区の無煙化まで活躍したのち、四国の東かがわ市で保存されています。第七代国鉄総裁藤井松太郎氏ゆかりの地として保存されたようで、四国でも活躍した形式で最後まで残っていた車輛ということで、このC11が選ばれたモノと思います。ところでこの赤ナンバーはどこの由来なのでしょうか。早岐や門司、行橋は赤ナンバーにする習慣はありませんから、志布志に来てからなのでしょうか。ちょっとナゾです。



7月15日は列車運行の間合いを利用し、志布志まで足を延ばして大隅線の写真も撮影したようです。というか、写真が残っているので行って撮ったのは間違いないのですが、全く記憶にありません。この日は午後から激しい大雨になり、時間とダイヤの関係もあったのか、大隅線は志布志付近の撮影でお茶を濁しています。まずは志布志機関区のC11261号機の牽引する上り貨物列車。これもまたホキ800が連結されていますが、ちょうどこの時期大隅線でバラスト交換の工事とかやっていたのでしょうか。C11261号機は長く山陰地区で活躍したカマで、この年の6月に米子から志布志に転属になったばかり。前照灯がLP405のままなど、九州のC11には見られない特徴が随所に伺えます。



最後のカットは、降り注ぐ豪雨の中を行く大隅線の下り貨物列車。牽引するのは志布志機関区のC11189号機。民家の屋根や電柱はきっちり写っているのですが、機関車周辺の線路上は特に雨足が強いようで、ナンバープレートは百の位が「1」であることぐらいしか識別できません。しかしよくみると前照灯はLP42、コンプレッサ排気管は煙突の前、ATS発電機は火室部と、九州のC11としてはかなり特色のある仕様となっています。この時期志布志機関区にいたC11形式の中で、この特徴に該当するのは189号機しかありません。ということで、比定いたいしました。189号機は戦時中から志布志機関区に配属されていた生え抜きともいえるカマですが、なぜか広島県で保存されています。線路は複線に見えますが、志布志駅を出て志布志線と大隅線が並行して進む区間での撮影です。




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