1968千葉の夏・拾遺編(先史遺跡発掘シリーズ その7) -1968年7・8月-


この「記憶の中の鉄道風景」シリーズも、開始以来丸7年を経過し、今月から8年目に突入です。この春にまとめてスキャンしたハーフ判のネガも、この半年でほぼ出尽くした感じですが、まだちょっとだけネタが残っています。とういうことで、今回はそんな残り物をまとめてお届けしましょう。まあ、補遺なので、状態は今まで以上に悪いのですが、それなりに貴重な記録もありますので、発表することといたします。とはいえ、発掘されたネガはまだまだあります。今後出てくるのは、一応、一眼レフを購入し、それなりに「写すぞ」という意気込みを持って撮影したものが中心になりますので、もうちょっとは見られるモノになるかと思います。ということで、今回もしばしお付き合いください。



まずはじめは、総武本線を行く蒸気機関車牽引の貨物列車。実はこれ、重連です。先頭は新小岩機関区のD51448号機。新鶴見や尾久など、長らく東京周辺で活躍したカマで、千葉地区の無煙化後は、新鶴見で高島線の最期を看取り、その後は大館から酒田と、日本海縦貫筋で1972年まで生き延びました。次位は、佐倉機関区のC58270号機。このカットではわかりませんが、見返りのカットで、ナンバープレートがチラッと見えるので、配置表と照合して判明しました。複線電化区間なので、総武本線の千葉より東京よりの区間ということはわかるのですが、撮影地の考証はちょっと難しそうです。しいていうなら、複線間隔が広がっている踏切というところがポイントなのでしょうが、この区間が高架複々線になっているので、今となっては調べようがありません。


外房線本納付近を行く、急行「そとぼう」号。走行中のクルマの中からの撮影の上に、ネガの保存状態がかなり悪いので、なんか判じ物みたいになっています。1968年のみ、漢字の「外房」ではなくひらがなの愛称名でした。キハ28系中心の8連ですが、キハ26とおぼしき車輛も、3輌ほど混じっているようです。写真の状態が悪くても、屋根が張り上げか通常の雨樋付きかということで、違いはそれとなくわかります。このあたりも、大型のショッピングセンターが建ってしまったところは面影かありませんが、田んぼが続いているところは、複線電化された今でも、けっこう雰囲気は変わっていません。


八幡宿付近の京葉臨海鉄道線を行く、KD553号機の牽引する貨物列車。これもヒドい保存状態ですし、国道16号線を走行中のクルマの中から見返りで撮っているので、タイミングも合っていませんが、当時の雰囲気を示す記録として取り上げました。まず、片側2車線の道路にもかかわらず、クルマが全くいない。今の渋滞を考えてみれば、まさに隔世の感です。昔の高規格道路は、みんなこんなもので、通るのはトラックばかりですが、まだまだ貨物の主力は鉄道にあった時代ですので、幹線筋ではその数も限られていました。腕木式の場内信号機が立っていますので、市原分岐のところとわかります。


さて、ここからは直接鉄道の車輌や施設ではなく、レイアウト・ジオラマ派向けのカットをお送りします。前後のカットから、一宮町内だと思うのですが、裏口っぽいうらびれた風景です。表のファザードの記録はけっこうありますが、こういうのがないんですよ。今からすると、よくぞ撮っておいてくれた、という感じです。なんといっても、向かって左側には、皆さん大好きな「コンクリート製のゴミ入れ」右側には、朽ちたドラム缶。まさに、エコーモデル製アクセサリーの「現役状態」の写真です。どう考えてもこのカット、ゴミ入れがメインです。東京に住んでいる少年には、すでになつかしいものになっていた(23区内は、オリンピックを機会にゴミの収集方法が変わった)分、記録したかったのでしょう。


続いて、これは八積付近でしょうか。藁葺屋根の農家と、刈入れの済んだ田んぼのある情景です。昔から、外房では温暖な気候を活かし、8月には刈入れをしてしまう早稲が作付けされていました。だから、8月末でも、こういう光景になります。水が引かれているのは、残った切り株から、もう一度穂が出て、10月末とかにもう一度刈り取れるからで、昔は千葉では良く見られました。この頃はまだ、東京近郊でも藁葺屋根の農家がけっこう残っていたんですね。それにしても、電柱や電線が見えていないので、このまま幕末の風景でもおかしくはありません。農家の庭を見ると、物干し竿が。ここにもちゃんとエコーのアクセサリーが使えますね。


1968年の、牛久七夕まつりの様子です。ということは、このカットは7月ですね。七夕まつりといえば、外房では茂原のそれが有名ですが、牛久でもささやかながら行われていたんですね。小湊バスのバス停は「マーケット前」となっていますが、いまでも「牛久マーケット前」という停留所は存在します。トヨタの大型トラック以外は、ホンダN360とスズキ・フロンテが各一台と軽自動車しか目に入りません。まだ、駅前商店街も機能してきた時期ですが、心なしか、街に活気が感じられず、年寄りの姿が目立つのが気になります。道路は舗装はされているものの、側溝や縁石はない状態です。こういうのも、記録がないとわからないところです。


笠森観音入口の駐車場に佇む、茂原駅-笠森観音の小湊鉄道バス。皆さん大好きな、いすゞBXシリーズのボンネットバスです。この頃は、まだボンネットバス自体は製造中止になったわけではありませんが、撤退するメーカーも多くなり、いすゞもフロントマスクをフェイスリフトし、4灯化したBXDシリーズになっていましたので、この、いかにもボンネットボンネットしたオリジナルのBXシリーズは、当時としてもレトロな感じがしたものです。だからこそ、例によって真横の側面図ショットを撮ったんだと思います。最終モデルのロングボディーなので、BX552か752と思われますが、この両者はエンジン出力の違いだけなので、写真からは判別できません。ホイールベースが5200mmとわかっていますから、それを基準に図面を起せますね。そういえば、いすゞBXシリーズも、エコーモデルからキットが出ていましたね。よく見ると、ドラム缶焼却炉の煙突の笠とか、大型の案内板とか、このあたりもアクセサリの利用例という感じです。今回は、裏テーマとして、エコー製アクセサリの事例集ということでいかがでしょうか。


(c)2011 FUJII Yoshihiko


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