中央線 中野-東中野 -1968年-


子供の頃ぼくは、中央線の中野と東中野の中間に住んでいました。下り列車でいうと、ちょうど切通しが築堤に変るアタりです。昨今では桜の時期の中央線の名撮影地としても有名です。まだ幼児の頃は、そこに中央線の当時の複々線区間に2つしかない踏切の一つがありました(それも第4種)。電車がひっきりなしに通る4本の線路を渡るのはけっこう恐かった記憶がありますが、小学生の頃に跨線橋にかわりました。この跨線橋、電車を見るには絶好の特等席で、小さい頃からよく通いました。鉄道趣味を意識するようになってからは、カメラを持ち出して、電車の写真も撮りました。そんなショットの一つが、今回お見せするカットです。カメラはキャノンデミを使っている(それまで使っていたオリンパスペンEEは、今でいうプログラムAEなので、ほとんどの場合走行中の車輛が撮れるシャッタースピードが切れないが、デミは一番安いシャッター優先AEだった)ので、67年から69年にかけて、ということはわかるのですが、時期の特定がなかなかできません。そこで、間に43・10があることに目をつけ、その前後のダイヤを比べたところ、下りのあずさと上りのディーゼル急行がこの辺りですれ違う可能性がある(間のコマを比較すると、時間的にほぼ連続していることがわかる)のは、43・10より前の「第2あずさ」と「第1白馬・八ヶ岳」の組み合わせのみということが判明。これにより撮影時間もわかり、太陽の角度から、撮影時期も68年の春〜夏頃と判明しました(このカメラは67年の秋に買った)。中学生になりたての、まさに「小学生にちょっと毛が生えた」程度のガキの写真なので、いろいろ問題はあると思いますが、どうかお許しを。



まずは、緩行線を行くカナリアイエローの101系、総武線直通中野行き。101系自体もはや絶滅種ですが、103系も風前のともし火となり、かつてどこでもイヤになるほどころがっていた、「この手の顔をしたゲタ電」も、今となっては貴重な記録です。子供心にも、わざわざ撮る対象ではなかったことはよく覚えていますが、そういう意味ではよくぞ写したモンです。それにしても、「エアコンの乗っていない屋根」というのも、こうやって見ると、今となっては結構奇異な感じですね。エアコンつきの外観に、眼が慣れてしまったということなのでしょうが、後々まで意外と変らなかったこのあたりの風景の中では、一番時代を感じさせますね。そういえば、ちょっと前まで残っていた、複々線開通時の鉄骨トラスで組んだ架線柱も、今では見られない、なつかしい昭和の風景になってしましました。よくみると、足元の線路も今の50Nではなく、ちょっと細めの昔の50kgレールのようだし、快速線こそPC枕木ですが、緩行線はまだ木製枕木だったんですね。


そこに颯爽と登場したのは、当時の中央線の女王ともいえる特急あずさ号。新宿16時20分発の3M「第2あずさ」です。昭和41年に、中央線に特急が登場したときは、何ともワクワクしたことを覚えています。それまで中央線というのは、通勤区間はさておき、他の幹線に比べると一段格落ちのイメージが強かったのです。その興奮を忘れられない分、いまでも直流ボンネットは、あずさ・とき用の「屋根上ライトのないタイプ」が好きです。この当時はモノクラス制になる前の、まだ1等、2等があった頃なんですね。編成表を調べると、食堂車も連結されていたことがわかります。そもそも日に2往復ですから、まだ「特急は格が違う」時代でした。なんか、そんな風格と威厳も、そこはかとなく漂ってきます。ということで、敬意を表して、リアビューもオマケに。サンプラザも、NTTの回線中継所も見えない中野の空というのは、こうやってみると、何とも不思議な景色です。自分で撮った写真なんですけど。



次にやってきたのは、キハ58系のディーゼル急行、1404D/1414D「第1白馬・八ヶ岳」。あずさ号とは、多分中野電車区付近ですれ違ったのでしょう。かつては中央線の急行(準急)といえばディーゼルカーの天下でしたが、松本電化と共に165系が主役に踊りでてきました。しかし、刷り込みが強いせいか、キハ58系の急行が大好きでした。糸魚川からのロングランのゴール、16時27分の新宿を目指して、最後のスパートというところでしょうか。とはいうもののこの列車、ディーゼル急行特有の多段列車で、先頭から「甲府-新宿(1輌)」「小諸-新宿(2両)」と、ここまでが「八ヶ岳」。その次の「糸魚川-新宿(2両)」はなんと白馬号の増結扱いで、メインは「松本-新宿(7両)」というシロモノ。そう思って各車の屋根から連結の向きを見ると、なかなか深いものがあります。しかし、これまたエアコンが載っていない。冷改前のキハ58系の屋根というのも、模型や北海道ならいざ知らず、なんかあるべきものがないようで、時代を感じさせます。


(c)2004 FUJII Yoshihiko


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