「夢」を大人買い

-今月のホビー日記・2006年01月-




1月31日(火)

構想はかたまったので、買えるときに買っておこうと、常設お座敷用の線増につかう端数レールを買うべく、帰りがけに大井町へ。なぜか標準単位より2mmばかり短い線路が必要になったのだが、これを作るためには、異なる端数レールが3本いる計算。もっとも直線の全長が3m近くあるので、2mmぐらいなら「なじませ継ぎ」でなんとかなるのかもしれないが。端数レールって、いっぱい買うとそれなりに値が張るのね。

1月30日(月)

とれいん増刊、鉄道模型人 1 「造形 私のアルバムから 中尾豊」。1月末発売となっていたが、一日早く店頭で発見して購入。これ、松謙さんが中尾豊氏にインタビューして作ったのかと思ったら、なんと違うのね。中尾さんが自ら著述したもの。中尾さんといえば、さすがに芸大中退のアーティスト肌らしく、作品に全てを語らせ、記事を書いても淡々と製作技法やプロセスのみを語り、作品にまつわる能書きや言い訳は一切しないタイプだったので、リアルタイムでは、読者には「実は」という裏話はほとんど伝わってこなかった。この辺は、「鉄道模型の伝道師」として実に能弁だった山崎さんとは違うところ。その中尾さんが、60年目にして初めて内面を語るのだから、これはスゴいインパクトがある。古くからのTMSの読者だと、いろいろな「謎」が一気に氷解するがごとき感激。多少高めの値付けだが、それだけのことはある一冊。なんか、読み終わった後、夢にまでいろいろ出てきてじっくり寝られなかった(笑)。

1月29日(日)

ひょんなコトから、アメリカ型のプロぺインターの人が、蒸気を九州っぽく塗れますよ、という話。確かに、アメリカの蒸気は、「黒」系ではあっても、鉄道ごと地域ごとに色味が激しく違うので、日本の蒸気の色など、その部分集合になっていてもおかしくはない。アメリカ型を塗った見本を見ると、確かにそれっぽく「鉄色に光っている」のもある。ということで、まずは試しと、作ってから1年以上塗ってない9600の一台をお願いすることに。はて、どうなりますやら。わくわく。

1月28日(土)

ということで、客車の記念写真。まだ、レタリングを貼り込んでないけど、付属のレタリングでは、そもそも「ぶどう色2号」とは、ちょっと時代的に変なところがあるので、そのままでは使えなさそうなので。旧式の1等車と淡緑色の帯の組合せというのは、充分記憶にあるだけに、これはこれで懐かしいんだけどね。でもまあ、43・10より前の景色ではあるけど。

1月27日(金)

先週作った客車の、下回りの塗装と、最終組み立て。塗装は、鉄道用でない一般のラッカーベースのスプレーの「つや消し黒」があったので、テスト的に使ってみたが、こういう下周りにはいい感じ。貨車もいけるかもしれない。なんか、昔の16番の貨車の仕上げみたいな感じだけど(笑)。スロハは椅子をつけて、人形をのっけて、いっちょ上がり。ちょっと古風な感じなので、使いあぐねていた人形をここで一気に消化。しかし、レジン製と思われる椅子は、かなりの修正が必要な上に、二つ貼り合せて作るので、けっこう手数をとってしまったが。

1月26日(木)

「常設お座敷」の在来線にもう一つエンドレスを敷くためにはキモとなる、ユニトラックの6番ポイント、左右各1。まあ、こういうモノは、アセりさえしなければ、一月内にはどっかで出てくるものだが、案の定、あっさり入手。次回にはまた増線ができそう。あと、スキ間を埋める短尺レールが、けっこう珍妙な組合せで必要なのだが、これは新品を買っちゃったほうが早いので、次ぎ行くまでに買っておこう。

1月25日(水)

出版物の話題が続くが、こんどは「ザ・レイル」の55号。鉄道関係の雑誌は、買い始めると「画龍点睛」になってしまうので、どうもいけない。返本率が異常に低いというのも、経験的にうなづける。とはいうものの、今回のテーマは「古い!!」「遠い!!」。けっこう鉄道関係の雑知識は豊富な方だと思うが、大軌の創成期なんて「奈良線が最初」「旧生駒トンネルが長くネック」「戦後に大事故」程度の知識しかなく、細かい話はあまり知らない。そういう意味では、至って新鮮。まあ、何とも奥の深い趣味ということを実感。

1月24日(火)

昨日の古TMS、9冊中8冊は、1952年から1955年という、ぼくが生まれる前のシロモノ。各ページも、酸性紙ゆえかなり傷んでいて、めくるのもかなり気を使わなくてはいけないが、オハ61系が「新車」で登場したり、玉電のデハ200が「画期的な車輌」として取り上げられたり、C63が近々登場だったり、こと実物の話題を見る限り、隔世の感ひとしお。「前世紀」ではあるけど、昭和20年代は、まだ戦前を引きずっていたことを実感。それにしても、16番が普及したした頃の鉄道模型のあり方は、若い人は一度勉強してみる価値がありますね。ぼくらなんかは、まだギリギリでイメージが湧くけど、16番という規格がどこから出てきたのか、なんで天賞堂の16番は断面方向が1/75〜6なのか。歴史的な理由を知らずには、批判するコトも、受け入れるコトもできないと思うのだが。

1月23日(月)

レモン社の鉄道模型部門が、引っ越して独立・拡充とのこと。そんなに売れてんのかいな、と思いつつも一応偵察に。場所は、前レモン社のDPE部門があった、○天の脇を入っていったところ。在庫も前とそんなに変わってない気がするが、まあ、それなりの戦略があるのだろうし、こっちは見守るのみ。とはいうものの、とんでもない目玉を見っけ。「遺産系」と思われる鉄道雑誌が、1束1000円でたたき売り。チェックすると、なんと1950年代のTMSも3束ほど。固く縛ってあってチェックできないが、明らかに持っていない時期のが3冊は含まれている。最悪、1冊1000円なら運試し、とばかりに買い占め。帰って封を切ると、なんと持っていない号が、30冊中9冊。なかなかの打率。1冊約300円は安かった。懸案の「生まれてから1979年までのTMS」も、ミッシングリンクの一つを入手し、ついにリーチ。こういうところは、多少いいかも。

1月22日(日)

昨日の客車の窓貼り等の仕上げと、上回りの細部の修正。一輌は郵便車なのだが、窓が素通しなのか、保護棒付きなのか、すりガラスなのか、資料がないのでハタと困る。しかし、こんなとき役に立つのがインターネット。そのものズバりの写真はなかったものの、ほぼ同じ構造のヤツの写真を見つける。これならイケるので、早速保護棒の印刷付きの窓ガラスを購入に、「『いさみや』ならあるだろう」と二子玉川へ。難なくGET。ということで、床下の塗装だけ残して、一応完成。年をまたいで、客車ブームが続いてますなあ。

1月21日(土)

久々の大雪。こういう日こそ「工作日和」。雪か台風の時は、コテを暖めるいいチャンス。ということで、先月に入手したクマタの客車キットを作ることに。といっても、このキット、塗装済みの上回りのハンパ品に、バラの下回りパーツを組み合わせたという、なかなかのお買い得品。2輌分の下回りなら、午後の時間を埋めるのに丁度いいだろう、と着手。どちらも昭和40年代前半に消えてしまった形式なので、それほど思い入れがあるワケではなく、素組みでサクサクと組み上げる。今年の始動としては、程よい肩慣らしというところでしょうか。

1月20日(金)

今月は、曜日のめぐりと正月進行が重なったらしく、20日が趣味誌の店頭発売日。けっこう珍しい。今日は所用で栃木まで休みを取って行かなくてはならないのだが、比較的用件が早く済んだので、クルマでそのまま銀座に向かい、雑誌を購入する。4階では、また故人の遺産か、16番の大放出大会でけっこう混雑中。まあ、こっちは関係ないけど。なんか、普段はネタ切れ、出てくると遺産系、というのが最近のマーケットなんでしょうか。

1月19日(木)

1月も、早くも下旬の声を聞きそうになってきたので、「記憶の中の鉄道風景」の新ネタを仕込む。2年目は「撮影行の駄賃」をテーマにすることにしているが、今月は鉄道100年記念列車撮影に伴うネタ。日時も特定できるし、色々話題も多いし、おまけにメインのコマがある分、写真の仕上げも慎重かつていねいにやっている、と、これはこれで当分いけそう。まあ、今後どんなネタが出てくるかは、お楽しみということで。

1月18日(水)

で、この時代のNレイアウトなのだが、そのような周辺環境の充実にもかかわらず、「車輌模型の運転台」というか、「景色付き常設お座敷」というか、極めて16番的な作例が多いことにビックリする。これには、16番で作りたくても諸事情により作れなかった固定式レイアウトを作るために、車輌の充実してきたNに転向して製作した、というヒトが多かった、この時代特有の理由もあると思う。しかしその一方で、当時登場し始めた「Nゲージのモジュールレイアウト」などでは、ストーリー性の高い情景を、ジオラマ的に表現し、車輌もその一部分として演出する「鉄道模型」的な作品も、かなり登場するようになっている。心象風景の再現のためには、車輌だけがあったり、車輌の作り込みが突出していても、それだけで済むモノではない。逆に、高度なクラフツマンシップで見る者の息を止めるような、すばらしい工芸作品が「ドン」と置かれるより、プラレールとプラキッズをウマく配置したジオラマの方が、よりイメージやストーリーが拡がるコトも多い。細密なスーパーリアリズムの絵画より、マペットアニメーションの方が、ヒトの心に伝わるモノが多いこともままあるように。「ゲージ論」が76年に遡るとすれば、「鉄道模型vs.車輌模型」もまた、79年に遡る。それはまた、いろいろな意味でのTMSのダッチロールの始まる時期とも一致している。なかなか、「後づけ」で読むというのは深いものがある。

1月17日(火)

79年のTMSの束を、安く売っていたので購入。今週は書籍ウィークか(笑)。これでTMSも79年まで連続化。これを読んでいて、やはり70年代末から80年代初頭は、Nゲージの普及と共に、日本の鉄道模型のあり方自体が大きく変化していた時代だった、ということにあらためて気付く。今でもその二重構造は残存しているのだが、明らかに「車輌模型」中心だった16番に対して、Nは(ことに、80年代初期の「Nブーム」に向かう時期は)「鉄道模型」としての楽しみ方を提示していたし、それが別の意味で、N普及の推進力となっていたことは間違いない。ぼく自身、蒸気の終焉から2年ほどで16番は燃え尽きてしまったものの、会社に就職した80年代初期までは、Nは細々とはやっていた。実は、これがはっきり見てとれるのは、皮肉なコトに、「Nのレイアウト」なのだ。70年代までの16番においては、いくつかの特異な例を除いては、レイアウトとは「車輌模型の運転台」という位置付けにあるモノがほとんどであった。「鉄道模型」として、鉄道というシステムの持つ世界を、レイアウトという模型として表現しようという事例は極めて少なく、それらの作品は賛否両論合わせ、大きなインパクトを持っていた。これに対しNは、その初期から各種ストラクチャや人形、シーナリー用品など、メーカーが車輌と同様に「鉄道模型」としての世界を構築可能なラインナップを充実させてきた。これをユーザーがどう受け止め、自分のNレイアウトにどう使ったか、というところが象徴的なのだ。読み切るのに複数日かかっているし、文章も妙に長くなっているので、2日連続というスタイルで続けさせていただきたい。

1月16日(月)

書籍関係で、本年初収穫。「SL」の第10巻。まあ、納得できる安さ。これが出たのは、76年。国鉄の本線蒸気もなくなる一方、エリエイも本格的に出版社化するなど、いろいろな意味で微妙な時期。第9巻から、2〜3年空いてたんだよね。確か。これで立ち切れてしまうのも、まあ仕方なかったのかなという感じ。それにしても、ナロー分が濃いのが、なんとも当時の「世相」を感じさせるところではありますが。

1月15日(日)

Models IMONの創業セールも、本日まで。今回の目玉ともいえる「ブラス製品、ポイント20%加算」は、大いに魅力あるところではあるが、そのせいもあって何とも散財してしまったこともあり、どうしようか迷っていた商品がある。とはいえ、いつか買うのだろうから、とばかり敢えて術中にはまり購入するコトに。しかしよく考えると、どちらにしろ買うのであれば、店のほうからすれば、ポイントが高いときより、通常時に購入した方が利益は多いはず。ううむ、果してこの勝負、どっちが得したのやら。

1月14日(土)

近所のBook Offで、雑誌の特売。最近のBook Offは、強気の価格設定が目立ち、趣味誌とかは決して安くないんだよね。下手すると専門古書店並で、天4なんかより全然高かったりする。さすがにそれじゃ売れないよ。昔は鉄道雑誌も100円で売っていることが多くて、大いに得したモンだけど。今回はレギュラーの半額以下だったので、気になったのを数冊入手。こうでなくっちゃ。

1月13日(金)

「鉄道コレクション」は、会社の机上に並べてあるのだが、ハダカで置いておくと、脇にある本が崩れてきたりして、なかなか危険。なにかショーケースがあれば、と思っていたのだが、偶然にも、プチラマの「揖斐線」の出物を発見。2輌しか置けないが、単なる「食玩ケース」よりは趣きがありそうなので、早速購入。電装した2輌を並べてみる。12m級だと、Bトレインショーティーとそんなに変わらないので、ワリと収まりはいい。しかしよく考えると、こうやって飾ったのでは、何で電装したんだか。

1月12日(木)

国鉄時代第4号のDVDを、やっと見る。いつもそうなのだが、単に見流すだけでは済まないコトがわかっているので、「生煮え」にならないためには、それなりに充分に時間がとれる時でないと、うかつに見れないからだ。今回のテーマは、蒸気末期。特に「日南3号」の宮崎-都城間は、その主要部分を何度か踏破しただけに、何とも懐かしい。それにしても、こっちは当時まだ十代で、多少余裕があった方とはいえ、旅費とフィルム代だけで、ほとんど「息切れ」状態だったが、金と時間をかけて映像を撮っていたヒトもいたんだな、と改めて感激。この趣味というモノ、どこまで行っても「あと5年早く生まれていれば」というコトですねぇ。

1月11日(水)

京急に乗ると、仲木戸で人身事故とのこと。線路上で検分のため、全線にわたって運転一時見合わせるとのアナウンス。下り線には、段々列車が詰まってきて、ぼくの乗っていた快特も、平和島駅場内手前のカーブのところでついに停止。しかしこのカーブ、高速コーナーで、カントが180mmもあるじゃないの。こんなところで止まられたら、立っているだけでもけっこう疲れるのだが、10分ぐらいそのまま。そのうち、運転士が平和島駅の通過線は空いており、手前側のポイントが退避線側に開いたままなため、両方とも赤になっているコトを発見。ここからがスゴい。いったん運転士が降りて、ポイントの近くまで行って開閉方向を確認。さすが「目視の京急」。列車無線で運転司令と掛け合い、通過線側に切り替えさせ、平和島駅に進入の上、ドアまで開けて客扱い。脇にいた、鉄な高校生の二人組は、さっそく喜び勇んで、ホームに降りて、この様子を撮影しまくる。まあ、黄色ラインの内側でストロボを止めて撮っており、最低限のマナーはわかっているようなのでいいか。5分ほど経って、全線、一時見合わせ解除。視野にある全部の信号が、一気に赤から緑になるというのも壮観。動き出したのはいいが、横浜まではふん詰まり状態。場内の短い閉塞を活かしてギリギリまで寄せる、路面電車の時代に先祖返りしたかのごとき「伝統」のワザをたっぷりと堪能できた(笑)。それだけでなく、開かずの踏切化した遮断機をくぐるヒトも多く、踏切支障警報装置も発報しまくり。おかげで横浜まで一時間近くかかったけど、「飛ばす京急」とは違う「京急ならではの味わい」を、たっぷり味わえました。

1月10日(火)

日経朝刊の連載記事によると、ネコ・パブリッシングがこの夏に上場予定、とのこと。そもそも専門誌系の出版社で上場しているところは、ソフト業界とのつながりの強いIT関連の出版社はさておき、あまり類を見ない。記事では鉄道系の出版物が強調されていたが、売上・利益に占めるシェアから行けば、クルマ系が圧倒的に多いと思うが、ひとまずご同慶の至りである。まあ、この手のエンスーな雑誌は、取次でも「謎の一つ」と呼ぶぐらい返本率が低いので、キチンとターゲットを狙いこんで作れば、それなりのパフォーマンスは出るとは思うが、なかなかそれができなかったのも、日本の専門誌の業界なのだが。しかし、原点である「企画室ネコ」の頃編集した出版物が、なんと機芸出版社からも出ていたというのも、こうなると歴史の皮肉というモノか。

1月9日(月)

今日も、まだ庭には雪が残る。またもや食玩系ストラクチャーを一軒増やして、Nを走らす。どこにストラクチャを置こうかと、いろいろ見回しているうちに、ミニレールを使った地鉄線なら、エンドレス一つ作れそうな取り回しを発見。これをベースにじっくり考えると、在来線のメインのエンドレスをちょっと手直しすれば、ノーマルのエンドレスがもう一丁敷けるではないか。これは、思わぬ発見。一つ、必要な資材を中古で集めることにしようか。

1月8日(日)

予定より一日短縮して、千葉へ。山越えをしてビックリ。外房は積雪があるじゃないの。さすがにひなたは溶けているものの、北向きの斜面や、日陰になっているところは、タップリ雪が残っている。別荘に行っても、庭の半分は雪が残っている状態。雪景は、この30年間でも3〜4回しか見ていない。ということで、Gゲージは不可。勢いで、緑川模型をのぞきに行く。鉄道模型ではないが、ガキがキャラクタものだが、プラモデルを作りたがる。ランナーからの切り離しと、バリの修正だけは、カッターが必要なので助太刀したが、あとは説明書を見ながら、ちゃんと作っていた。レゴや食玩はもっと小さいときからよく作っているが、プラモデルは初めて。けっこう楽しそう。

1月7日(土)

連休はレジャーの予定だったが、家人がカゼで寝込んでしまったので、本日は予定変更。昨日までとうってかわって天気がいいので、ワンカット。おなじみ、プレイザーの「撮影ポーズ人形」を使って、いつものジオラマの新構図にトライ。撮影シーンといえば、どうしてもこの人形になってしまう。今回は、35mm一眼レフっぽいのを構えたのと、ハッセルみたいな、ウェストレベルのブローニー一眼を構えたのと、男性二人組。クルマで追いかけながら撮影、というイメージ。まあ、蒸気最末期は、ぼくも免許持っていたし、クルマも持っていたが、さすがに北海道や九州まで、クルマで撮影に行く余裕はなかった。なんせ、当時はオイルショックの後遺症が色濃く(額面で、今とリッター単価が変わらないか、それ以上!!)、九州周遊券の料金でガソリンを満タンにしても、行きの姫路か岡山で尽きてしまうような状況。ということで、クルマで追っかけ撮影したのは、西武山口線のコッぺルぐらいなんだけどね。

1月6日(金)

週末だけの模型店も含め、各店とも、本日あたりから平常営業の模様。ということで、あいさつ回りのついでに、寄れるところは寄って、そっちの業界にもあいさつ回り。というより、なるべくいろいろな店に寄れるように道順を選んで、正規の寄る先を選んだというのが正解かも。まあ、どこの用務先に行くときは、どの店による、というパターンはだいたい出来ているのだけど。

1月5日(木)

昼休みに覗いた模型店で、トミックスのN用レールの「スーパーミニレール」なるものを発見。なんと、最小は103R。TOMIXで出しているということは、多分、動力化した「鉄道コレクション」は通過可能だのだろう。そういえばJAMかなんかで、デモを見たような気も。これなら、A4サイズでエンドレスが敷設できるので、会社の机の上で走らすという暴挙も可能かも。ということで、最低限、曲線部分だけ買ってく。なるほど、机のキーボードの廻りにエンドレスが敷ける(笑)。単行なら充分通過可能。相手を選べば連結も無理ではなさそう。しかし、さすがに音がするので、人がいるところで走らせるのは、ちょっと。

1月4日(水)

ということで、根付転じて(じゃなくて、本来の姿に戻っただけなのだが)ミニカーのフェアレディーZを使ってフォトセッション。このあたりの微妙なスケールの違いは、うまく使うと固定式レイアウトの中では、遠近法を強調するのに好都合かもしれない。プレイザーの人形も、1/72〜1/100まで、どうも中間的サイズのがいろいろあるし、このあたりを組み合わせれば、駅前のロータリーとか、実際の面積以上に拡がりをもたせた演出が可能かも。そういう意味では、この写真も、バスとミゼットが1/80、フェアレディーZが1/84.5、D51が1/87と、拡がりを強調する向きに並んでいるのだが。

1月3日(火)

本年、初模型店。とはいっても、やっているところは限られているので、原宿と銀座。ガキと一緒に廻る。原宿では、いつも15%フェアをやっているときに1輌づつ購入しているキハ82系を、恒例にしたがい購入。今回はキハ80。これで5輌目。やっと編成らしくなってきた。しかし、この年末年始は、なにかと物入りだなあ。

1月2日(月)

昨年末に見つけた、携帯用根付の「昭和懐かしの名車シリーズ」。浅草「花やしき」の売店で見つけたのだが、そのサイズにピンと来て、個人的に懐かしいフェアレディー240Zを購入。車幅を計測すると、20mm。フェアレディーZのボディーの幅は、5ナンバーギリギリの1690mmだったので、1/84.5。これまた使えるスケールじゃないの。で、それをミニカーとすべく、チェーンの取り付け部分を切り取って整形する。作業自体は、解体・組み立てを合わせても2分ぐらいだが、一応、工具初めではありました。

1月1日(日)

新年、あけましておめでとうございます。日記も2004年からだから、足かけ3年目に突入。今年も昨年以上に、12mm方面では新製品が出そうだが、こう色々出てくると、かえって自分の芸風にあったモノだけしか興味が行かなくなるから面白い。東欧モノもかなり揃ってきたし、そういう意味では、ある種、じっくり構えられる余裕ができたともいえるかも。まあ、どういう一年になるのでしょうか。




(c)2006 FUJII Yoshihiko


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