「夢」を大人買い

-今月のホビー日記・2010年1月-




1月31日(日)

昨日は、やっと時間が取れたので、DB1タイプの塗装。緑か黄色系と思ったのだが、けっきょく、黄色5号に。それにしても、ぼくはナローをやっていないので、この小ささにはびっくり。Nのハコモノは塗ったことがあるが、それより全然小さい感じ。下回りは、塗膜の厚みがクリティカルな感じがしたので、トビカの黒染めスプレー(けっこう高い)をはじめて試す。ということで、組み立ててひとまず完成。ダミーのカプラーを削って、それらしい連結器を作ったが、この高さでは、何とも連結できないなあ。

1月30日(土)

昨晩、渋谷で飲んで帰ろうと田園都市線渋谷駅の改札を入ると、ちょうど間に合ったのが渋谷始発の電車。なのだが、なんと上りホームからの発車。本線引き上げで、ちゃんと下りホームから渋谷発というのは知っていたが、上りホームで折り返しという運用があるのは知らなかった。確かに、渋谷駅の長津田よりは片渡りなので、到着、即、折り返しは、上りホームからしか出来ないわけだが、なんか妙な感じ。おかげで、件の渡り線を、三十数年目にしてはじめて通れた感じ。

1月29日(金)

本日は、欧州製のレイアウト用品の大量出品。それも、木や草、石塀といった、小物が中心。「人形と植物は、いらなくても出た時に買い占めておけ」のことわざ(じゃないな、単に個人的信念)通り、使えそうなのは根こそぎ。一つ200円ぐらいのが多く、めぼしいのを全部せしめても、金額は大したことはない。が、カサがスゴい。荷物の大きさに比べて、支払がすくないということでは、新記録かも(笑)。

1月28日(木)

次の問題は、ホビーマーケット全体に関わる変化である。かつてのホビーマーケットは、自ら作り、自ら楽しむという、能動的なひらがな「おたく」の世界であった。しかし、世紀の変わりめぐらいから、純粋消費者としてマニア向けマーケットで消費するだけの、受動的なカタカナ「オタク」が主導する世界に変わった。秋葉原は「オタク」の聖地でこそあれ、「おたく」の聖地ではない。「おたく」の市場規模は限られるが、純粋消費者であるとともに、裾野が広く数も多い「オタク」の市場規模は、半端でなく大きい。こういう市場構造の変化があってこそ、「オタク」がマーケティング上のターゲットとしてクローズアップされるようになったのだ。ところが、鉄道模型は参入障壁が高いせいか、Bトレ・鉄コレ等の一部の商品を除くと、あまり「オタク」の取り込みに成功しているとはいえない。鉄道関係で「オタク」を取り込めているのは、圧倒的に「乗り鉄」「撮り鉄」という、実物関係の領域だ。ということは、鉄道模型界が「オタク」ターゲットを取り込める可能性は極めて低い。しかし、鉄道模型界では「おたく」と「オタク」の区別がつくヒトが少なく、これを渾然一体とみて、逆に市場として過大評価しているヒトがいる。これもまた、「井の中の蛙」故の勘違いといえるだろう。

1月27日(水)

最近気がついたことは、どうも鉄道模型業界の方々は、二重の意味で鉄道模型マーケットの変化に気付いていないようだ。一つは、鉄道模型そのものの変質である。かつては、16番はもちろん、Nでも、鉄道模型ユーザーの主流は、その是非は別として圧倒的に「車輌模型ファン」であった。車輌コレクターというより、買いだめしてくれるヒトたち。その購買力がマーケットを支えていたので、メーカーは、次々と新製品の車輌を出し、また改良製品や、特定番号化した車輌を模型化して、買い替えや買い足しを促した。もちろん、バラキットにおいても、中心は車輌工作の好きな「車輌模型ファン」であった。Nでは、それなりにレイアウトを製作するヒトもいたが、全体としてはマイノリティーであった。しかし、この数年で鉄道模型に参入してくるヒトたちは、決して「車輌模型ファン」ではない。それより、街角コレクション等から入ってくる、景色付きのジオラマやレイアウトを目指して楽しむ、より「鉄道模型ファン」に近いヒトたちが多い。しかし、旧来の鉄道模型メーカーや、鉄道模型ショップは、必ずしもこの変化にうまく乗っているワケではない。どちらかというと、波を掴んだのは、トミーテックとDDFだけ、という感じさえする。この層をターゲットとして書籍やムックを出しているのも、ネコパブはさておき、旧来の趣味誌に強い出版社ではない。この自ら招いた障壁により、鉄道模型業界は、せっかくのマーケット拡大に乗り遅れてしまったとさえいえるだろう。

1月26日(火)

で、めちゃくちゃ小さな車輌なので、ありもののスプレーの残りで塗装しようかな、と思ったが、どの色も帯に短し襷に流しで、しっくり来ない。小さければ小さいなりに、色には気を使うし、半分フリーランスに仕上げるとなれば、なおさら。ということで、よさそうな色を考えて、新たに塗料を購入することに。まあ、ぶどう色2号とか、青15号とか、旧国鉄標準色みたいのしかないからそうなっちゃうんだけど。

1月25日(月)

12mmではちょっと珍しい、かなり初期の製品を入手。キット組立未塗装状態だが、一部パーツが欠品のまま組み上げてしまった状況。ジャンクではないし、仕掛りというにはまとまっているし、こういうのは何というべきか。さあ、どうしようかと考えたが、基本的にはスケールではなく「タイプ」なので、パーツは、それっぽく製作してつけてしまえばいいだろう、ということで、早速修復開始。もとの組立が、部材によって半田付けと接着剤を併用しているので、補完部分の工法もそれに合わせる。で、小一時間で、一応作業完了。ひとまず、「穴」はみんな塞いだかっこう。

1月24日(日)

ガキの、ボーイスカウトのイベントに一日付き合っていたので、鉄分なし。ということで、予定通り(笑)昨日のフォトセッションの残り。今度は、さらに河原を橋梁に近づいて撮影した感じ。1月16日のカットが上流側からの撮影に対して、今回は下流側から。現物を直接見れば、川の流れの向きとか、方位に対する植生の違いとか、それなりに作ってあるのだが、こっちは写真に撮るとけっこう曖昧になっちゃうんだけどね。

1月23日(土)

今週も晴天で、先週の続きの撮影大会。今度は、下から目線(笑)。橋梁との長さの関係で、これまたあまり登場しない8620の登場。こじつければ、湯前線というイメージかな。上路式ガーダーで、ハエタタキがなければ、川原に降りたくなる、というのは、当時の撮り鉄の習性ともいえるので、構図的にはワリと自然。とはいえ、この構図は「違いが出しにくい」のが難点。どの線区でもそれなりに撮れるが、どの線区でも同じような写真になってしまう。まだ列車ダイヤの情報とかがなかった50年代、60年代は、線路脇を歩きながら、列車がきたら撮る「バッタ撮り」がおおかったようだが、それの70年代版みたいなモンだろうか。

1月22日(金)

飲み会に行く途中の道すがらに、あまり行かない模型店があったので、ちょっと寄ってみた。すると、デッドストックになっている書籍を、バーゲン販売中。自費出版的な43・10以前の蒸気の写真集があり、ビニ本状態で中身がわからないが、安いので購入。帰ってから読んでみてびっくり。鹿児島本線のC60の写真が、なんと「記憶の中の鉄道風景」の鹿児島本線三太郎越え -1970年7月31日-でぼくが撮影した地点で撮影されたもの。実は、この場所自体偶然発見したもので、ここで撮った写真って、今まで見たことなかった。まあ、現場に行けば、そこで撮りたくなる地点ではあるのだが、ひと駅移動すれば、当時から有名な「お立ち台」があるので、ふつうのマニアなら、そっちに行くのだろうが。いやぁ、40年目のビックリ。

1月21日(木)

「鉄」に限らず、マニアの習性として、「ミーシー」「画竜点睛を欠く」という発想がある。要は、シリーズが全部揃ってないと、なんかケツがむずむずして落ち着かないのだ。特に、書籍やヴィデオで、I,IIとか、上中下とかなっている場合、Iや上を買うと、IIや、中、下を買わずにはいられなくなる。ということで、「国鉄鋼製客車」も、「EF13」も、それぞれ続刊を購入するコトに。まあ、このへんが「おたくマーケティング」たる由縁なんだが。そのワリに、「下」だけ興味があって買ったヤツは、さかのぼって上を買うということは、比較的少ないのはなぜだろう。この辺も、けっきょくは「売りのテクニック」ということなのだろうか。

1月20日(水)

昨日が、趣味誌の店頭発売日だったが、店に行くヒマがなく、今日の購入に。天賞堂に行くと、入り口のウィンドウに、なんとトミーテック製の「ジオコレ・ジオラマセット」なるものが。要は、線路と街コレのストラクチャ、樹木や地面用ターフなどを、ジオラマベースとなる成形済み発泡スチロールとともにセットした、ワンストップ・ジオラマキット。「昭和の鉄道模型を作る」とかより一回り小さいが、ジオラマベース付きのコンプリートキットというところが強力。そういう意味では、本邦初ではないか。3種類あって、「駅前と商店街」が78,750円、「お寺と門前町」が89.250円、「海のある風景」が68250円と、かつての天賞堂ジオラマブックなどと比べてもリーズナブル。ちょっとみていた間だけでも、けっこうお客さんの反応があった。ある意味、究極の製品かも。

1月19日(火)

ずっと話題になっていた、伊勢崎市華蔵寺公園遊園地で保存されていたC6120号機が、動態保存の復元のためにいよいよ搬出。数日前から地元のファンのBlog等では、搬出準備が進んでいたことが伝わっていたし、本日は休園というコトで、ある意味「来るな」とは思っていた。結果、朝日と毎日の夕刊で、第二社会面に記事。記事の分量は互角だが、毎日は2カット、朝日は1カットのカラー写真。写真の点数で、珍しく毎日の勝ち。日経は夕刊にはなし。ちなみにWebでは、毎日は14カット、朝日は38カットの連続写真を掲載と、朝日優勢。この二紙の突出ぶりが目立つ。で、日経は次の日、20日付けの朝刊の社会面コラムで取りあげ。小さい写真付き。まあスペースはさておき、扱った紙面の格としては、こっちの方が高いかも。

1月18日(月)

ネコパブ刊の、広田尚敬氏の写真集、「昭和三十四年二月 北海道 広田尚敬写真集」を購入。早速読んでみる。色々感じるところは多いが、なにより50年前に撮った写真を、まだ生きている当人が、50年後の視点で写真集にまとめる、という手法自体が、極めて新鮮。当時の写真を、当時の視点でまとめる、というのも多いし、故人の作品を、その業績を忍ぶカタチでまとめるというのも、これまた多い。そういうのとは違う、若き日の広田氏と、巨匠となった今の広田氏との対話が感じられる構成は、ある意味、スリリングでもある。もちろん、内容的にも発見は多い。なんで、北海道の専用線でアメリカ製の古典機が重用されたのか。専用線のバックヤードまで写っている写真を見れば、ある意味一目瞭然。開拓地の鉄道でも、トラブルなく使えるように作られていたという意味では、19世紀のアメリカ製の機関車はピカイチなのだ。そういうことまで含めて、若き広田氏の目に入った発見や驚きが、見れば見るほど、時空を越えて伝わってくる。個々の写真の表現ももちろんだが、車輌だけでない、鉄道や風土を含めて資料としても、非常に得るモノが多い。これなら、値段も納得だろう。

1月17日(日)

ということで、毒を食らわば皿まで。驚異の三段積み。今日も天気がいいので、新たに俯瞰で撮ってみました。ジオラマの写真は、見る人が見ればお分かりのように、出窓から差し込む日光をライティングとして撮影しているのだが、この手のジオラマを俯瞰撮影をしようと思うと、モロにカメラと三脚が光線とカブってしまい、影が画面に入ってしまう。おいおい、実物でいえば、望遠で撮ったヒキの俯瞰みたいにせざるを得ない。そうなると全長の短い機関車にして、貨車とかも入るようにしないと、バランスが悪い。で、C11をフィーチャー。結果、どうしても入ってしまう影とか、ジオラマからハミ出してしまう部分とかカットすべく、かなりのトリミングをかける必要があり、35mm換算200mmぐらいの感じの仕上がりに。まあ、これはこれでこういうカットはあったよな。望遠をつけた、サブカメラのほうだろうけど(笑)。

1月16日(土)

続けて2カット目。というか、実はこれは土曜の朝に撮っているので、15日分のほうがダウトなんだけどね。なるべく水面が見えるような構図で。車輌は、ジャンク再生のC57の、標準デフのほう。あんまり撮影には出てこない、というか、初めてかな。実は俯瞰で撮りたいのだが、構図をよく検討しないと、ジオラマの全貌が見えてしまうことになるので、もう少し研究が必要か。次回の課題だな。

1月15日(金)

今年最初のフォトセッション。年末に続いて、渓流のジオラマ。このジオラマは、ある種写真のトリックを利用して、どの向きからも撮影可能にしてある。というか、通常、壁面になってしまうところにも、フォーリッジを貼り付け、写真という二次元に落とし込んだときに、あたかも手前に茂みがつながって見えるように作ってある。ということで、今までとは逆の、上流側からの撮影。まずはワンカット目。

1月14日(木)

古書店にて、JTBキャンブックスの「国鉄鋼製客車 I」を発見。購入してきてビックリ。これ、良く出来てるじゃないの。今まで、写真を見たことのない形式についても、一通り写真を揃えている。進駐軍用とか、戦災復旧車とか、良く集めたと思う。1960年代には、ハンドブックシリーズをはじめ、車輌カタログは多く出ていたが、それらはどれも現役車輌を集めたモノ。当時なら、それでもバリエーションができたが、全てが過去のものとなった今では、やるなら全部集めなくてはいけない。もちろん、各形式最低一枚ということなので、形式内でのバリエーションの追求という意味では、その手の専門書にかなうはずもないが、全体の網羅性という意味では、かなり出色の出来。ぼくが読んでも、けっこう勉強になる情報があるので、座右にひとつ置いておいても損はない内容。

1月13日(水)

「記憶の中の鉄道風景」の、今月分の新コンテンツの作成。実は先月、このシリーズのネタを思いついた時に、全部のネガを見て、できても2回シリーズだろうということで、使えそうなカットはチェックしたおいたので、作業は速い速い。とはいえ、このシリーズも、60回を越し、300カット以上を出してしまった勘定。過去のネタを使わざるを得ないという、構造的な問題がある以上、だんだんネタだしが厳しくなってくるコトも確か。今年中には、ちょっと路線を変えなくちゃいかんかな。

1月12日(火)

まあ、いずれにしろ、趣味を趣味たらしめるのは、やるヒトの心の余裕なんだよね。古くから日本では、風流人の「見立て」という世界があって、元は実用品の茶碗でも、茶の湯の風流人たちが、そこに「見立て」の価値を見出し、共有すれば、たちまち趣のある銘品として、その味わいも含め、極めて貴重な存在になってしまう。こういうのって元来、趣味の世界に投機やバブルを持ちこむヒトたちの対極にある発想だよね。自分の心に余裕があれば、自分と異なる意見の持ち主でも、その存在を許容し、互いに認めあえる関係が作れる。自分自身の存在を守ることに汲々としていると、敵意を持っていない相手に対しても、攻撃的になってしまう。別に趣味に限らないけど、「わざわざ、いざこざにしてしまうヒト」って、最近どういう場面でも多いんだよね。そういう意味では、心の余裕を持つためにこそ、趣味を持ちたいよね。なんか、本末転倒でヘンな感じもするけど。

1月11日(祝・月)

模型界の重鎮の方々との新年会。昨今の「鉄道ブーム」に、模型業界全体としては充分に対応し切れていないという問題意識に対して、車輌でもジオラマでもいいが、「そこで描きたいストーリー」を創りだすモチベーションの高め方を、どう若いヒトたちに伝えてゆくかがカギだろう、という話に。Nの既成線路に、完成車輌、街コレのストラクチャーを組み合わせても、「ストーリー」がある人がやれば、みるヒトに何かが伝わるし、逆にそれがないと、いかにテクニックのあるクラフツマンの力作でも、巨大な「細密なロストの原形」になってしまう。確かに、これって模型に限らず、今の日本に一番欠けていることだよね。流石に「King of Hobby」というか、皆さん人格者の紳士ですねえ。でも、そういうのと正反対のヒトも、模型のベテラン・ヘビーユーザーに多いというのが、問題の根っこだったりするんだけど。

1月10日(日)

今回の千葉は家事が多いので、塗装を除くと鉄分は薄い。Nの線路も、そろそろ抜本的に敷き直さないとマズい。今年の目標の一つにしようか。それでも、鉄道模型雑誌のバックナンバーのコレクションから、ランダムに引っこ抜いて読むぐらいの時間はある。80年代以降、同じ月の「とれいん」と「TMS」を比べて読むと、どの号も、ほとんど時代性が感じられない「TMS」に対し、「とれいん」には、いろいろな意味で、リアルな時代性が反映されていて面白い。実物記事を扱っているというところもあるが、出稿されている広告にも、両誌の時代性の有無という違いが、そのまま反映されているというのも、なんとも。

1月9日(土)

連休は千葉へ。早速、塗装作業。気温こそ低いモノの、強い日射し、低い湿度と、塗装にはいい環境。吹くそばから、サッと乾いてくれるので、作業がはかどる。が、磨いても何かの成分が残っていたのか、角っコのところが、プライマーごとパリっとはがれてしまう。全部、けっこうキレイに塗り終わってからなので、どうするか迷うところだが、同じ塗料も残っているコトだし、林さん方式で、はがれたところを含むワンブロックだけぼかして吹いて修正。流石に、前の塗料も吹いてすぐなので、結構なじんでくれる。よく見れば、修正跡はわかるが、元のジャンクを考えれば上出来ということで、OK出し。一丁あがり。

1月8日(金)

とにかく、連休に千葉にゆくついでに塗装したいので、今日中に修正と加工を仕上げなくてはいけない。が、工作にさける時間は、正味1時間ぐらい。大した作業ではないが、けっこうテキパキやらないと終わらない。こういう時に限って、作業がはかどらないもの。とはいえ、なんとかフィニッシュ。なんか、全体的にくすんで汚いので、クレンザーで徹底的に磨く。一応、元々の真鍮の輝きが戻ってきたら、まあまあ見られる感じになったので、一安心。

1月7日(木)

さっそく、塗装剥がし。これが、本年の作業始め。剥がした下から、別の色が出てくる。塗装が汚かったのは、塗りの上から別の塗装を重ねて、それぞれのベースと溶剤が合わなかったためらしい。のワリには、ついていた部品も一緒に取れてくる。ロストパーツではあるものの、接着剤でつけてあったようだ。となると、塗装済完成ボディーに、色を塗り重ねたモノというワケでもなさそう。まあ部品自体は、どうせ修正作業のときにつければいいのでどうでもいいが、素性はなんとも謎だなあ。

1月6日(水)

ジャンクの12mm客車を発見、入手。組み自体の素性はワリといいので、上廻り塗装剥離→多少の修正とディティール加工→再塗装という「未塗装キット」レベルで再生は可能。完成品としては、塗装がやられていると、造作が壊れていなくてもジャンク扱いなので、この程度で再生できるジャンクが、一番おトクかも。昔の製品だったら、どうせ何かは手は加えるワケだし。

1月5日(火)

で、その内容だが、評価は人によりけっこう分かれるのではないだろうか。が、良きにつけ悪しきにつけ、それは、テーマが「珊瑚模型店」である、というところに行きつくし、それで解決してしまう。そもそも珊瑚は、それまでのような輸出中心の「マスプロ鉄道模型メーカー」とは違う。である以上、天賞堂の写真集のようにはなりようがない。その一方で、その後に登場したガレージ系のメーカーほど、マニアックではない。はっきりいって、製品の写真を鑑賞するには、珊瑚の「メーカー完成」はプアである。一方、これまた多くの写真の被写体となっている「完成見本」の出来は、クラフツマンが手塩にかけた「作品」とは違わざるを得ない。実は、非常に本にしにくい立ち位置にいる珊瑚を取り上げようとした時点で、今までの模型出版界の想定内の書籍にはなりようがないのだ。それを、キチンと纏め上げたというだけで、これはプロの手腕といっていいだろう。大手鉄道模型メーカーになるには遅過ぎたし、ガレキメーカーになるには早過ぎた。なんか、旧型電機からも新型電機からも仲間外れにされる、EH10みたいな感じだなあ。そういえば、EH10もディープなファンに支持されているし(笑)。

1月4日(月)

仕事始め。カーグラフィックでおなじみの「二玄社」初の鉄道関連書籍である、「写真と図面で楽しむ鉄道模型・珊瑚模型店45年の仕事」を、一般書店で平積みになっているのを発見、早速購入。出るのは知っていたが、取次・配本の関係か、模型店の書籍売り場では見かけなかったので、一般書店で出会うとは、ちょっとビックリ。初の鉄道関連書籍、それも鉄道模型本という、極めて難しいコースを狙ってきたワリには、二玄社らしさとオリジナリティーを感じさせる編集になっているのは、流石というところか。まあ、モータージャーナリズム関係には、けっこう鉄道模型ファンがいるので、「趣味と実益」的なところではあるものの、既存の「業界内」からは出てこない発想も、随所に見られる(これって、もはやインサイダーになっちゃったってことか?)ところは、老舗の新規参入という新鮮さと手堅さを感じさせる。

1月3日(日)

年末年始の休みも今日までなので、模型店廻り初め。運試しも兼ねて、年末に見た出物が残っていたら買おうかな、と思いつつ行くと、残ってるじゃないの。多分売れちゃってるだろうと思ったので、これはけっこう運がいい。ということで、ここで入手しないと運が落ちちゃうような気がして、冬休みはけっこう散財しているのだが、多少無理しても購入。今年は、この手で運気を引き寄せられそうな予感(笑)。

1月2日(土)

さて、今年はどうしようか。まずあるのは、それなりの経験や蓄積を活かして、趣味界、模型界のために、何ができるか。できるだけの貢献をトライしてみよう、ということ。確かに鉄道趣味や鉄道模型をめぐる状況も、いろいろな意味で大きく変化が求められている。そのワリに、時代の要請に対応できていない面も多々ある。いろいろな意味で、プロダクトアウトの極端な世界であり、「製品に満足できないなら、自分でやれ」的な発想がいまだに横行している分、シンプルなマーケティング発想でも、その影響は大きいものがある。確かにこの数年、ウマく新しいユーザーの心を捉えている製品やサービスは、ある意味「業界外」からの発想が起点になっているものが多い。こういうところなら、大いに貢献できるところもありそうだ。同様に、自分のアクティビティーも、単に自分の満足のためだけではなく、それに共感するヒトや、それにより関心を持つヒトがどれだけいるか、という視点から評価できるようなコトができたらなあ、と思っている。しかし、新年早々「銀座天賞堂に宝石泥棒」とは。まあ、模型関係はさすがに狙われなかったようだが、波乱の幕開けという感じだろうか(笑)。

1月1日(祝・金)

明けて新年、2010年となった。元旦と二日は、いろいろ「年中行事」が目白押しで、基本的に鉄分なしなので、去年の回顧と今年の抱負などでお茶濁し。去年は、すでに書いたように、この数年でいえば、とりたてて目立ったことをやったワケではなく、例年並みという感じだったのだが、それは言い換えると、Nでの初期出戻りから約15年、ブラスとかまで復活してから10年、「出戻り」ペースから完全に脱し、「空白期」を補完してあり余るペースに乗ったということになるだろう。ミッシングリンクを埋めた分、元来のライフワーク的な目標を再び捕まえることが出来た感じだ。それはそれで、違う充実度を見つけることができたことになる。


(c)2010 FUJII Yoshihiko


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