hobby diary

「夢」を大人買い

-今月のホビー日記・2011年5月-




5月31日(火)

けっきょくのところ、日本の鉄道模型界が広がらないのは、この「車輛模型ファンの運転派」と「鉄道模型ファン」との溝が大きいところにある。もちろん、この間も実は連続的になっている。「鉄道模型ファン」でレイアウトを作る人でも、自分のレイアウトで走らせる車輌とは別に、ただただ仲間と線路を敷いて走らして楽しむ「運転会」用に、量販品のフル編成を持っている人もけっこういる。問題は、鉄道模型ファンの側からの「越境」はワリと気楽にできてしまうが、車輌模型ファンの側からの「越境」がほとんどない点にある。というより、鉄道模型ファンと車輌模型ファンはレイヤーが違い、アッパーコンパチブルというか、鉄道模型ファンは、車輌模型ファン的要素を内包し得るが、車輌模型ファンからは、鉄道模型ファン的要素を理解することが難しいのだ。だから、鉄道模型ファンでジオラマやレイアウトを作る人でも、特定の分野の模型のコレクターであることは多いし、同様に、自分のこだわりのある車輌は、キット加工等で自作する人も多い。昨今の「鉄道ブーム」で明らかになったように、「鉄道模型ファン」の嗜好のほうがより一般性があり、ライトな鉄道趣味者との接点も取りやすい。しかし日本の鉄道趣味マーケットは、「車輌模型ファン」を一貫してメインターゲットとしてきた。確かにNゲージャーでは、人口の絶対数と言う意味では、鉄道模型ファンも多いことは確かだ。しかし、それ以上にコレクターやお座敷運転派は多い。かくして、多少の比率の変化はあったとはいえ、Nゲージの普及によっても、「鉄道模型ファン」が斯界の主流となることはなかった。ただ、この数年の市場の変化は大きなものがある。既存の車輌模型ターゲットの模型メーカーが軒並み苦戦する中で、街角コレクションのトミーテック、既製ジオラマのDDFなどは、数少ない「鉄道ブームでの勝ち組」となっている。趣味誌が軒並み部数を減らす中、講談社の週刊百科「昭和の鉄道模型を作る」は、ヒト桁上の販売実績を残した。鉄道模型業界からすると、これらは外的要因といわざるを得ないが、それだけにいかに今まで「井の中の蛙」だったかが知れるというものである。このままいくと「車輌模型ファン」は、TMSとともに絶滅するか、ガラパゴスよろしく、特異点的な異型の存在としてのみ残ってゆくのか、どちらかではないだろうか。とはいえ、鉄道模型ファンも、基本的には車輌を買うし、工作する。そこをつかまえられるような模型メーカーだけが生き残れるということなのだろう。

5月30日(月)

さて、次は「車輛模型ファン」である。昨今のブームの中で生まれた「鉄道に興味がある」という人たちの中にも、「模型好き」は含まれている。そういう人たちの関心は、前回の分類でいうと「撮影派鉄道模型ファン」に近い。だから、鉄道博物館の鉄道関連施設等では、しばしば「パノラマ」とか言われる模型の運転場が人気を集め、なくてはならない展示物となっている。しかし模型店にやってきて模型を購入するような人たちには、「鉄道模型ファン」より「車輛模型ファン」の方が圧倒的に多い。このあたりが、模型ファンが一般から理解されにくい要因の一つとなっている。とはいえ、車輛模型ファンは、ホビーファンとしてみれば、そんなに変わっているわけではない。車輛模型ファンには、大きく分けて三つのタイプがある。まず第一のタイプは、「コレクター」である。模型製品を買い集めるのが楽しい人たちだ。コレクションする対象やジャンルは千差万別だが、切手やコインなどに代表されるように、収集するというのは、ある意味趣味の王道でもある。そういう意味では、共感されるかどうかはさておき、一般的にもわかりやすい面がある。数的にも、この人たちが一番多いし、模型業界を支えているのも、けっきょくはこの人たちだ。第二のタイプは、「工作ファン」である。船舶でも飛行機でもクルマでも、模型の世界には、必ず「作るのが好き」という人たちがいる。かつては男のコならみんなプラモデルを作るような時代があったこともあり、工作が好きな人たちがいることは、それなりに理解できるだろう。第三のタイプは、「運転ファン」である。模型の車輛を、運転することが好きな人たちだ。実は、この人たちの存在が、一番わかりにくい。飛行機やクルマといったラジコンの模型は、実物同様の操縦や運転が必要になる。そういうタイプの模型なら、操作するのが楽しいことがまだ理解しやすい、模型の世界でいえば、ライブスチームと呼ばれる、実際に罐を焚き蒸気で走るミニSLなら、機関士・機関助士になりきって楽しむ(実はライブスチームを走らせるのは、実物の運転と同様、かなりのハードワークであるが)世界があることもわかるかもしれない。しかし、一般の模型は電動で、スロットルを廻すだけである。「大の大人が」といわれがちなのも、この領域だ。そして、前回述べた「鉄道模型ファン」からしても理解しづらいのが、この世界である。「運転ファン」は、走っていればその環境は問わない。そこで、組線路を直接床に敷く「お座敷運転」や、レースのサーキットよろしく、幾何学模様のように走らせて面白いパターンに線路だけを固定した、「運転盤」や「組立式レイアウト」と呼ばれる線路での運転が中心となる。そういう線路だけの組合せの中で、ある線区を見立てて、ダイヤを作りそれにあわせて運転することを楽しむ人たちもいる。だが「鉄道模型ファン」には、そのような「見立て」はできない。線路だけのところを走らせても、テスト走行やならし運転にしかみえないのだ。どうも、ここのところが、「車輛模型ファン」と「鉄道模型ファン」を分かつ壁となっているようだ。さて、「車輛模型ファン」の三つのパターンも、ファン層が完全に三つのクラスタに分れるのではなく、ファン一人一人の中では、この三要素が、それぞれのポートフォリオで組み合わさっている。そのなかの、どの要素が一番顕著かという違いだけである。

5月29日(日)

模型関係で、一般雑誌の記者の人から質問されたのだが、なかなか考えて返事しなくちゃならなかったことがあった。我ながら、ある意味で本質をついていたんじゃないかと思うところもあるので、今月の残りで、その時のテーマについて書いてみたいと思う。それは、趣味界ではよく話題になっている「車輛模型ファン」と「鉄道模型ファン」との違いがどこにあるか、ということを、ジオラマ派は一般人にもかなりアピール力があるのに、車輛工作派はほとんど閉じた世界になってしまう理由も含めて教えて欲しいというものであった。つまり、この両者は、車輛の模型を買ったり作ったりするという面においてのみ共通するものの、実はまったく別の嗜好を持った人たちだ、ということを、一般の人が理解できるように説明しなくてはならないのだ。そのためにはまず、それぞれを特徴付けるポイントを挙げて、「車輛模型ファン」と「鉄道模型ファン」を分類しなくてはならない。「鉄道模型ファン」は、一般人にも理解できる範疇なので、比較的説明しやすい。基本的に「景色の中」を「列車が走る」のが楽しいのだが、その楽しさの重点が、景色の中を「走らせる」のが楽しいのか、景色の中を「走っているのを見る」のが楽しいのか、という二つのタイプがある。ここで、前者を「走行派鉄道模型ファン」、後者を「撮影派鉄道模型ファン」と呼ぶことにする。現実の個々のファンは、この両者の要素を、ある比率でミックスして持っている感じだと思うが、究極的には、後者は「お立ち台ジオラマ」でも楽しめるが、前者は鉄道模型用語でいう「固定式レイアウト」を作らなくては満足できない点がことなる。とはいえ、「車輛模型ファン」内部の「セクト主義」に比べれば、たいした差ではない。走行派であってもお立ち台ジオラマも作るし、撮影派であっても固定レイアウトも作りたいのが普通だからだ。このあたりまでは、比較的説明しやすく、納得してもらえる。

5月28日(土)

昨夜、JR北海道のスーパーおおぞら14号が、石勝線のトンネル内で炎上、全焼という事故。駆動軸の脱落による脱線が原因となった模様。幸いにして死者こそ出なかったものの、トンネル内火災は、久々の重大事故。北陸トンネル火災以降、トンネル火災は「止めない」のを原則としたはずだが、脱線とあっては仕方があるまい。それにしても、駆動軸の脱落による脱線って、MP駆動みたいなメカの多いヨーロッパではけっこうあるけど、日本ではDD54以来かな?

5月27日(金)

この数ヶ月通っていなかったが、久々に神田駅を通過すると、連絡線の工事がまた進んでいた。鋼製の橋脚は、神田駅の脇の部分はすでに立ち並び、残るは秋葉原方の3本のみ。コンクリートラーメン構造の橋脚もだいぶ出来上がってきて、取り付け勾配の様子が想像できるようになった。また、東京駅付近の上り線は、新たにスラブ道床が設置され、首都高をくぐるところまで、線路が敷かれている。地震とかあったが、それなりに工事は進んでいるということだなあ。

5月26日(木)

今週は、新橋駅前で恒例の古本市をやっている。とはいえ、時間がなかったり、雨が降っていたりと、中々行けなかったのだが、今日はちょっと時間があったので覗いてみる。古書店はいろいろ専門があり、得意分野は高めに、専門外は安めに値段をつけるので、たとえば鉄道の本なら、あまり鉄道の本がない店で出物を見つけると、意外に安かったりする。今回は、ヒギンズ本の「のりもの編」2巻を発見。複数の店にあったが、一番安いところは、2冊あわせても1冊の半分ぐらい。これは御買い得。お持ち帰りが大変だけど。ぺらぺらと覗いてみたが、日本橋のシーンには、「えりえい」が写ってるじゃないの。これは、車輛とは違った意味で面白そう。

5月25日(水)

RMライブラリ142号の、銚子電気鉄道(上)を買ってくる。さすがに地元出身の白土氏だけに、そのこだわりと希少な資料が、端々に光っている一冊。幻の「銚子遊覧鉄道」の写真(絵葉書)など、はじめて目にしたものだ。また、出てくる細かい地名やその解説も、30年以上沿線で育った氏ならではの世界。RMライブラリは、けっこう出来栄えにムラつきがあるのだが、これはかなり充実した内容。下巻が楽しみである。

5月24日(火)

天賞堂3階に窓が開いていたのが、いつの間にかまた塞がれて、棚に戻ってしまった。そこまでやらなくても大丈夫、ということなのかもしれないが、なんか手間とコストを掛けてやっただけに、なんかもったいない気も。いったいなんだったんでしょうね。あれはあれで、けっこう感じがよかったんだが。

5月23日(月)

復活したC6120号機の営業運転が、6月4日からと記者発表。7月からではないかといわれていただけに、こういう状況下で予想より早まるというのは、なかなか異例では。まあ、それだけ期待が大きいということなのだろう。しかし、牽引する旧型客車は、自動扉になって、戸締表示灯がついてるのね。安全対策ということなのだろうが、なんか変な感じ。そこまでしなくても、と思うのだが。

5月22日(日)

あと、もうひとつ気になるのが「三脚」。自分の存在を示して、場所取りのために使っているんだろうと思うのだが、実は鉄道写真で三脚を使うと、かなり機動性が失われる。昔、撮影旅行に行っていた頃、もちろん三脚は使っていたのだが、その利用は二点のみ。一つは、白黒メインの頃、ブローニーのカラー(この頃はネガ)をサブで押えるべく、自作の足踏み式のリモートレリーズを使い、手持ちの35mmと併用する場合。この時は、置きピン方式で、この枕木のところに排障器の頭がきたらシャッターを切る、という感じで撮っていた。このリモートレリーズは10mぐらい延長できたので、場合によっては、手持ちは俯瞰で、三脚は線路際で、など構図そのものを変えることもあった。この場合、けっこうタイミングを外してしまうこともあったのはご愛敬。もう一つは、長玉も使うとき。といっても、当時旅行に持っていったのは70-210のズームだが、望遠だけなら手持ちでも対応できる。しかし、少し離れたポイントを望遠で押さえ、近くに来たときは手持ちで撮影するとなると(こういう撮影ができるロケーションは、北海道の平地には多い)、望遠をつけたボディーは、三脚に載っけておく必要がある(当時、35mmは緊急時の予備も含め、メインボディーとサブボディー2台持っていった)。「一発入魂」になってからのカラーポジは、ブロニカS2で撮影していたが、これも手持ちである。話は違うが、ブロニカの手持ちは、形式写真とか撮るときには、立ったままでいい位置にポジションがくる。35mmの一眼レフだと、迫力ある構図にするには中腰にならなくてはならず、これはけっこう疲れる。これもけっこう、最近は立ち位置の視線からそのまま撮影したカットが多いのが気になったりする。まあ、オヤジのボヤキといえばそうなのだろうが。ということで、立ち位置でのブロニカ手持ちの構図をご参考まで。「記憶の中の鉄道風景」で使った、旭川機関区で出区準備するC5530号機のカット。


5月21日(土)

5月7日に書いた「一発入魂」の話、同様の話題を松・謙さんがとあるところでエッセイに書かれていた。そこで、連写から一発撮りに「心機一転」するきっかけが何かを考えてみたが、多分それは、写真展でも写真集でもなんでもいいが、「他人に見てもらうためにカットを選ぶ」経験をするかどうかにあるのではないか、という気がしてきた。たくさん撮ったところで、発表に使えるカットは一つしかない(まあ、「返り討ち」も決まった、ということはあるが、それは来るほうと行くほうで、別のロケーションと考えるべきで、それぞれ使えるカットは一つづつ)。そういう経験をすると、他のカットはフィルムの無駄、ということがわかるようになる。連写しないのなら、フィルムの消費量も減り、ブローニーのEPRも使える、という次第だ。個人的に言えば、70年から撮りはじめて、72年には高校の学園祭で同好の志と、蒸気の写真展をやったが、確かに72年からブローニーのカラーポジを撮りだし、73年にはそちらがメインでの一発撮りになっている。Blogに写真を載せるのは、個人用のアルバムを作るのと変わらないので、少なくとも若い「鉄ちゃん」のそれを見る限り、あまり「見られる感」を伴わないでカットを選ぶことが多いと思われる。おまけにデジカメなら何カット撮ってもコストが変わらず、さらにカメラにも速写連写機能がついているとなれば、なかなか悟りを啓くチャンスがないのもむべなるかな。最近、楽器の方では、デジタルのチューナーを使わず、耳だけで楽器のピッチを合わせると、若いヤツから「神」扱いされるが、それって楽器を扱う基本じゃないですか。それと同じで、シャッタータイミングを見切る技って、写真の基本だと思うんだけどね。シャッター押すだけなら、猿でもできるよ。構図そのものは、猿でもわかるらしいし。

5月20日(金)

昨日が趣味誌の店頭発売日だったと思われ、IMON店頭には何種類かは並んでいたが、天賞堂定休につき、銀座では本日が発売日。20日というのは、遅い方の記録か。昔、といっても数年前までは、木曜が店頭発売日の時は、中二階の渡り廊下のところで、趣味誌の販売だけは行っていたものだが。まあ、時代ですね。

5月19日(木)

Models IMON大井町店の階下、ラオックスの後に洋服の青山が開店。ちょうど品川あたりまで行く用があったので、ちょっと覗いてみる。内外装はそれなりに手は入れているものの、互い違いになったフロア等構造はそのままなので、なんか妙な感じ。それにしても、青山商事とは。言われてみればなるほどと思うが、一体どこが入ってくるのかなかなか興味があったところ。まあ男性ターゲットという意味では、家電よりはシナジーはあるかも。

5月18日(水)

今月の「記憶の中の鉄道風景」コンテンツ作成。先日予告の通り、地震の影響で発見された昭和40年代のネガから、新シリーズ「先史遺跡発掘」をスタート。まずは、1968年7月の総武線緩行車内から出合った鉄道風景の数々。写っている車輛もさておき、半世紀弱の間に、こんなに景色が変わってしまったことを実感していただければ幸いです。

5月17日(火)

最近のエバーグリーンでの外国形攻勢はとどまるところを知らない感じで、行ってみたら、ついに天賞堂製の日本型16番に使っていたショーケースまで占拠しだした。その分16番関係は、他社製とまとめて展示するようになっている。なんか、初期のBEMOとかも多いし。まあ、それだけ出物が多いということなのだろうが、外国形、特に欧州型は値段が安くないと足が遅いので、当分「水浸し」状態が続くのだろうか。

5月16日(月)

本日より、阿武隈急行線が全線運転再開。震災被害で不通になった第三セクター鉄道としては、最初の復旧なんだよね。これって。土木工事、建設工事は労働集約型なので、頭数を揃えれば短期間で完成させることも不可能ではないが、その分級数的にコストアップしてしまう。この辺が、財務基盤の弱い私鉄の辛いところだろう。いずれにしろ、また一歩、復興のあゆみが進んだことは間違いない。

5月15日(日)

JAM理事会のついでに、事務局に行く途中にあるカトーホビーセンターを覗く。直接お目当てのものがあるところではないが、時々、レイアウト用品の半端物処分とかあり、樹木とか地面用品とかが格安で出ていたりするので、チェックは欠かせない。2階に上がると、前から予告されていたが、ちょっとレイアウト変更があり、入り口から販売コーナーが見通せるようになった。が、こう言う感じで見えるようになると、ショールームとしても、販売スペースとしても中途半端なレイアウトであることが、一目瞭然、デッドスペースも多く、なんかもったいない。まあ、また模様替えの続きをするんだろうとは思うけど。

5月14日(土)

ちょっと時間があったので、前に発見された昭和40年代の古いネガのチェックをはじめる。こういうのは、「ちょっと」と思ってはじめても、興味をひくネタを発見してしまうと、どんどん深みにハマってしまうから危険。結局、一通りチェックしてしまった。まあ、昭和の小・中学生が、ハーフサイズカメラで撮った写真なので、写真としてはお話にならないが、記録としてはそれなりに貴重なものがある。ヴィンテージワインではないが、45年近い歳月というのは、単なる日常も貴重な記録にしてしまうということだろうか。質的にはお恥ずかしい限りだが、情報としては意味があるので、おいおい公開したい。

5月13日(金)

いよいよ、カシオペアと北斗星が運転再開。カシオペアは上野発5月20日、札幌発5月21日より。北斗星は、上野発札幌発とも5月20日から。これでやっと、東北本線方面も「蘇った感」がしてくるというもの。しかし、これで面白いのが、乗車券の発売日。5月20〜31日乗車分は、 5月17日(火)発売開始。6月1〜18日乗車分は、5月18日発売開始。これだけまとまって一気に発売となると、乗れる時間的余裕さえあるヒトには、手に入りにくい切符を入手できるチャンスが飛躍的に高くなるんじゃないの。まあ、その分マニアが殺到しそうだけど。

5月12日(木)

JR東日本が、東北復興支援という名目で、「やまびこ自由席片道きっぷ」を発売とのニュース。5 月14 日から一ヶ月のキャンペーン期間、仙台〜盛岡間の新幹線停車駅等から東京都区内までの「帰り」の片道のみ、約半額で「やまびこ」号の自由席に乗れるというもの。どうせ席が余っているのなら、ダンピングしてでも客を載せてしまえという発想は、便当たりのコストが明確な航空業界では常識だが、インフラコストの比率が高い鉄道業界では、けっこう珍しい企画。しかし、「帰りのみ」というところが、ちょっとセコくないかい。行きの分は、正規料金で取れるワケだし。

5月11日(水)

またぞろ、日車夢工房の「OJ置物」が出てるじゃないの。今度は8620。またまた、お値打ちなお値段。多分出所は同じだと思うのだが、これ手を出しちゃうと、けっこうクセになる。どうせ走らせる場所がなくて、置いておくだけなんだから、置物で充分という声も。こうなってくると、ジオラマというか、お立ち台を作りたくなってしまうが、Oナローやttる人の話を聞いても、Oスケールの「景色」はハンパなく大変だというからなあ。

5月10日(火)

大木茂氏の写真集、「汽罐車 よみがえる鉄路の記憶」を買ってくる。ぼくらからすると「鉄世代」としては二世代ぐらい上の方なのだが、蒸気機関車現役末期の、「なにかこの時代に生きている以上、撮らずにはいられない」という感じが活き活きとよみがえってくる。世代の違うもあるのか、惹かれる線区はけっこう違いがあるものの、シズル感あふれる作風は、その時代をリアルタイムで感じていた者には、すばらしく共感を呼ぶ。値段もかなり無理した低価格で、おすすめできます。

5月9日(月)

天賞堂で、偶然HOMP関係者が顔合わせ。まあ、あそこと原宿のModels IMONはいろいろな人と会うコトが多い場所なので、知り合いと会うのは珍しいことではないが、ちょうど用があっていいタイミングだったので、なんか得した感じ。確かに、行く価値のある模型店というのも、ずいぶん限られてきちゃったから、店頭で会う頻度は高まっているのかもしれないけど。

5月8日(日)

先日手に入れた、カツミ-日車夢工房のOJスケール「置物D51」を持ち出してきて撮影してみる。さすがにOJは、撮影一つにつけても、HOとは大違い。そもそもマクロレンズはいらないし、広角系じゃないと室内のフォトセッションにならない。まあ、機関区の中で撮影しているようなものか。ふと思って、稲見のC57と並べてみる。ある意味、どちらもルーツがいにしえのカツミ0番にあるだけあって、妙に共通するニュアンスもある。しかし、こうやって見ると稲見の製品は、O・OJ兼用で設計している分、微妙に16番的というか、断面方向がオーバースケールなのね。まあ、なんちゃって13mmみたいなモンですか。しかし、このデカいのが2台並ぶと、テーブルの上が土俵かリングかという感じ。その存在感が、大スケールの魅力ということなのだが。

5月7日(土)

鉄道写真の初心者は、列車がやってくると、とにかく連写しがちだ。しかし、場数を踏むうちに、たくさん撮っても、結局使えるコマは限られることや、連写することによって絶好のタイミングを外してしまうことが多いことなどに気付き、段々と「入魂一発」になってくる。いったんこの「悟り(笑)」を啓くと、無駄なシャッターは押さなくなる。これはデジカメでも同じだが、逆に、だからこそデジカメのシャッターラグが非常に気になるともいえる。ロッドの位置とか、デッキとナンバーのカブりとか、1/100単位の問題だからだ。しかし、この前のいすみ鉄道で気付いたのだが、デジカメ以降の「撮り鉄」の方は、連写モードを掛けて撮ってるのね。まあ、電車とかばっかり撮ってるから、それで済むんだろうけど、ホントはダメなのよ。鉄道写真は、スポーツ写真、ポートレートと並んで、シャッターのタイミングが命なんだから。

5月6日(金)

今週は平日が少ないので、ひとまず天4は覗いてみる。すると、なんかまた外国型が怒涛のように増えている。前と同じ出所の続きなのか、また別のところなのかはわからないが、外国形に関しては、米国型、欧州型とも、すでに需給のバランスを大きく崩してしまったような在庫量。日本型も、16番とかは一時に比べればそこそこタマもあるのだが、外国型の桁外れの物量に押しやられ、スペース的には半分以下。なんか、こういう方が中古店らしいといえないこともないが。

5月5日(祝・木)

とはいえ、庭の手入れや、毛虫除けの農薬撒きなど、やらなくてはいけないことは、淡々と済まさなくてはならない。火曜日には雨が降ったり、今日は風が強かったりと、若干の積み残しはあるのだが、一通りは予定をこなす。しかし、キハ52の「活況」は、いろいろ鉄道趣味的にも考えるべきポイントが多い。まずは、鉄道博物館開館の頃から個人的には主張していたのだが、世の中的には、鉄道が「昭和レトロ最大のコンテンツ」になってしまったという点だろう、一般の人に鉄道が「ブーム」なのは、あくまでもこの文脈の中でである。これをふまえないとスベってしまうし、これをウマく押えれば、何倍にも盛り上がる。しかし、鉄道趣味界の人は、概してこの点に気付かなかったり、ウマく取り込んだりするのが苦手なようだ。鉄道書が売れていても、趣味誌が危機なのも同じ理由。しかし、今回のイベントは、割り切って考えれば、接点は容易に生まれてくるということを示したのではないだろうか。次は、地元の人とのかかわり。駅や街頭で撮影している人をよく見ると、観光客だけではなく、携帯で撮影している地元の人もけっこういる。イベントに出展した屋台は当然としても、地元の店も、時ならぬ観光ブームの余韻はかなり伝わっているはずだ(実際、昼飯を喰った寿司屋でも話題は出ていた)。これは、鳥塚社長が日ごろから発言されていた点でもあるが、実はこちらのほうが難しいことでもある。ナパバレーのワイントレインではないが、大原の地酒「木戸泉」号とか、試飲会をやりながら走らせたりとか、地元の底上げがあれば、いろいろ仕掛は作りやすくなることは間違いない。草の根的に、その一歩にはなったのではないかと思われる。

5月4日(祝・水)

連休の中日、みどりの日は、いよいよ今回のメイン企画。いすみ鉄道に登場した、キハ52に乗りに行く。大原は、クルマで30分そこそこで行けるので、これは行かない手はない、と思っていたのだ。狙い目は14時30分発の「4号」ということにし、昼過ぎに家を出て、大原市内のなじみの寿司屋で地魚の寿司を喰い、駅へ向かうことに。どのくらい乗客がいるかわからないので、切符だけは、寿司を食っている途中で、発売と同時に入手。その時でも、10人以上並んでいたが、発車時間が近づくと、駅構内には、これなら列車はほぼ満員になるのでは、というぐらいのお客さんがいる。さて、折り返しの「3号」は、14時23分着の予定。これは、上りのわかしお18号の大原駅出発時刻と同時。3号がちょっと遅れれば、並びを撮れるのだが、案の定、ちょっと遅れ気味にキハ52がやってくる。というワケで、見事両者が並ぶシーンを撮影。何人か「撮り」の方がホームにいますが、先のほうの位置からじゃ、並びは撮れませんよ。やはり、チャンスはあえて狙わないと。
しかし、驚くべきは「3号」の乗車人員。東京から列車でくると、「2号・3号」での大多喜往復が、一番メインの旅程といえるが、乗ってるは、乗ってるは。座席の数より明らかに多い乗客数。乗る人、降りる人が交錯し、いすみ鉄道の大原駅が、こんなに人であふれることってなかったんじゃないの、と思わせる混雑。さて、変わって「4号」は、ちょうど座席定員ピッタリという程度の乗車率。ということで、出発前の車内のカット。半分くらいは「鉄」な方々だが、連休らしい親子連れ、最近のこの手のイベントではおなじみの熟年カップルもけっこう多い。そんな中で、鳥塚社長自らカレチを勤め、沿線観光ガイドも含めたアナウンス。
それにしても沿線で目立ったのは、「撮り鉄」の皆さん。いわゆる「お立ち台」は、例によって三脚の砲列。それ以外のスポットでも、昔とった杵柄で、経験的に「ここにはいるだろうな」と思ったあたりには、けっこう誰かいる(もっとも、ここから狙えば絶好と思った数箇所を極めていたヒトはいなかったが、それはぼくが好む撮影ポイントは、車輛よりも景色中心だからかもしれない)。この「撮られるほうから、撮るほうを見る」という体験は、なんとも珍妙な感じで愉快。4日・5日は、国吉駅周辺で「昭和再現イベント」をやっており、その一環で、ボンネットバス試乗会も行われている。「撮り」の皆さんのタメに、キハ52との併走があり、これは、そのシーンをキハ側から撮ったもの。でもほんと、踏み切り毎に、こんな感じでカメラが並んでいるんだよね。すれ違った列車も、帰りの列車も、どれも満員状態。大多喜駅周辺も、人がごった返していた。鳥塚社長ともお話しできたが、初モノということもあるが、動員という面では、かなりの手ごたえがあったのではないだろうか。

5月3日(祝・火)

連休の真ん中、狭義のゴールデンウィークたる祝日三重連は、千葉に行って過ごす。とはいえ、例によってやらなきゃイケない家事も多いのだが、3連休ということで、いろいろやりたいネタもある。さて、ゴールデンウィークの千葉の道路事情は最悪なので、こちらも自衛しなくてはならない。まあ、もう30年以上通っているので、そこはそこ。もっともリスクの少ない経路は、おのずとわかるというもの。ということで混まないだろうと選んだのは、もう10年以上通っていない道。そこを久々に走っていると、なにやら「ロングウッドステーション」なる看板が。かつての長柄アウトレットパークの跡地のようだが、ふとひらめくものがあったので、ちょっと寄ってみる。ほとんど人気のない建物の中を覗くと……。
そう、舞浜のイクスピアリにあった、オメガセントラルではないの。風のウワサに、千葉の山の中にあるショッピングセンターの廃屋に収容された、ということを小耳に挟んでいたので、看板を見たとき、「もしやこれではないかな?」とふんだら、見事これが大アタりという次第。しかし、不思議なのはそれだけではない。このブースの入り口は、何と……。
モロ、天賞堂のロゴ、看板が出ているではないですか。これだけ公然と社名が出ているのだから、密かに持ち込んだとか、誰かが買い取ったというのではなく、オフィシャルなものなんだろう。しかし、公式な場ではほとんど語られていない。一つ謎が解けたが、また謎が広がった感じ。続報を待て。

5月2日(月)

天賞堂の3階を通ると、なんか妙に明るい。と思って見ると、本の在庫を入れる棚が整理され、窓が開いて外光が入っているじゃないの。節電で照明を落とした分、太陽光で明るくしようということらしい。そういえば窓のあたりで、先週ぐらいからなにやら工事していたのを思い出した。しかし、天賞堂の模型部で窓から明かりが差し込むのって、今のビルになる前、木造二階建てだった1960年代とか以来じゃないの?確かにあの頃は、オメガセントラルの反対側、晴海通り側の窓から陽が射し込んでいたのを、子供心に覚えているが。もっとも、80年代末から90年代始めのバブルからバブル崩壊に至る時期は、鉄分極小だったのでよくわからないけど、多分今のビルになってからは窓はなかったんじゃ。

5月1日(日)

さすがに5月に入り、ゴールデンウィークもまっただ中となると、段々平常状態に戻ってくるようだ。しかし、いろいろ話を聞くと、いろんな意味で人生観を変えた人が多いということも確かだ。模型でいえば、これを機会にヤメちゃったというヒトもいる反面、人生先が見えないんだから、好きなことができるうちに思いっきり金を使おうとばかりに、猛烈に物欲を発揮しているヒトも多いようだ。まあ、惰性の日常をリセットするという意味では、長い目で見れば「災い転じて福となす」という効果もけっこうあるのかもしれない。



(c)2011 FUJII Yoshihiko


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