子供のトラウマ





最近はライフステージがあがったせいか(要は歳取ったということ)、昔の仲間が子連れで遊びに来ることもよくある。そんな時、なぜか気になるのが母親の子供に対する態度だ。子供がコミュニケーションしたくて、必死にシグナルを送っているのに、母親の思い込みが強すぎるのか、知っても知らないフリを決め込んでいるのか、それを無視することが多いのだ。そしてあるがままの子どもを否定し、自分にとっての「良い子」という価値観を押しつけるがごとく振舞う。そんな時、ぼくは心を締めつけられるように切なくなってしまう。そして子供を連れ出し、そういう母親が目をしかめて怒りそうな(でも子供は心からハシャギそうな)「悪い遊び」に興じて、子供の心の傷をなぐさめずにはいられない。そう、ぼくのトラウマがうずくからだ。

ぼくは子供の頃、物質的にはとても恵まれて育てられていた。物質的環境は、時代背景を考えれば、上中下の上といってもいだろう。その点に関しては親に対して大いに感謝している。しかし、感謝しているのはそこまで。それは、子供は物質的環境だけで幸せになるモノではないからだ。もちろん物質的な幸せも大事だが、精神的な幸せとあいまって初めて、豊かな人格につながる。いや、精神的幸せがあって初めて、子供は心の豊かな人間に成長できる。実際ぼくは、精神面では幸せとは言い難い状況で育った。それは、親がぼくという人格をきちんと素直に受け止め、それを大事にしてくれることがなかったからだ。

子供をありのままに理解しない、できないというのは、精神的にはある種の虐待だ。特に感受性の強い子にとっては、耐え難いものがある。それは子供が「親から見捨てられた」ことを意味するからだ。だから体罰や子捨てといった、物理的な虐待はなく、一見幸せな暮らしを送っていても、子供は結果的に虐待されることになる。それでも平気で育ってしまう子供もいるのだろうが、ぼくの場合はそれが耐えられないほど辛いことだった。この「見捨てられ感」は、どうしようもなく深い心の傷になった。このトラウマが、ぼくの原体験として、色々な時によみがえってきてぼくを傷つける。必死に自分を発信しても受け止めてもらえない子供を見ると、いても立ってもいられなくなるのはその顕著な例だろう。

母親はぼくがどういう人間かわかってくれない。ぼくのありのままの姿を見てくれないし、見ようともしない。それは耐え難い仕打ちだった。いかに物質的に恵まれていたとしても、子供を理解するという「ほんとの愛情」がなくては、子供の心は豊かにはならない。だから常にぼくは子供ながらに、「ぼくを見て」「ぼくを理解して」というメッセージを必死に発信し、なんとか受け止めてもらおうとした。しかしそれでも母親は、自分の狭い視野の中でしかぼくのことを見ようとはせず、そんなメッセージを理解できないばかりか、受け止めようとさえしなかった。そして勝手な自分の思い込みを、「これが愛情だ」とばかりに、一方的に押しつけるだけだった。

そして小学生の頃だが、あるときからぼくは、母親から理解してもらおう、味方になってもらおうと願うことをヤメてしまった。自分は自分で守るしかない。本当の自分は大事に大事に守っておいて、親には「良い子」の仮面を見せていればいい。現実を乗りきる方策としては、確かに便利な選択ではあったが、ぼくにとっては苦渋の選択だった。そういう矛盾を心の中に秘め、心の傷を隠したまま大人になっていった。だから「危険な14歳」「子供のトラウマと多重人格」「良い子シンドローム」といった最近の報道や論説には、他人事とは思えないリアリティーや切実感を感じる。

もっともぼくのローティーンの頃は、別項で書いたように、偉大なる毛沢東主席の「文化大革命」、紅衛兵大躍進の時代だったし、ぼく自身も自立性や精神力の強い性格だったのでそれで救われてしまった。危険な思春期はどうやら乗り越えて、一応まっとうに社会生活は送っている。しかし世が世でもって、もうちょっと気が弱かったら、年間重大ニュースに入るような大事件を起こす犯罪者や、精神を病んだ患者になってしまってもおかしくはないだろう。そこまでいかなかったにしろ、今でもぼくの人格がある種歪んでいることも事実だ。

実際自分で考えても、ぼくは余りいい性格ではない。人を極端に信用しない傾向が強い。東京でもエレベーターに乗ると、ドアが開く度にオレを殺すヤツが飛び込んできても大事なようにと思って、戸袋の影に立ったりするくらいだ(まあ、海外に行ってトラブルに巻き込まれにくいというメリットはあるけど)。おまけにメチャクチャ冷酷な心と、異常にウェットな心が同居していて、二重人格に近い。「人は殺せても虫は殺せない心」とでも形容しようか。近しい人々には、これで色々迷惑もかけていると思う。そんなところもまた、トラウマの生んだ心の傷と考えると納得できる。

子供は一つの人格として、自分の考えやメッセージを(わかりにくい形ながら)発信している。それを受け止め解読し、道をつけてやることが、子供を保護する親にとっての大事な勤めではないだろうか。特に多感で個性のある子供にとっては、これが人間としてのアイデンティティーそのものを問う死活問題だからだ。ぼくは、それを受け止めてはもらえなかった。だからぼくは、親向けには「良い子」の仮面を着けると決心した時には、子供ながらに「いつまでもこの辛い悔しい気持ちを忘れずに、大人になっても子供の心がわかる、子供の味方になれる人で居続けたい」と誓ったモノだ。

いつも主張していることだが、これからはある一人の人間が、人間らしく自然にのびのびと生きているかどうかが、その人の価値を決める時代になる。そのためには、子供の頃に持っていたのびのびとした感受性やオリジナリティーを失わないまま大人になる必要がある。このためには、子供一人一人が発信している個性をあるがままに受け止め、それを伸ばしてゆく親の役割は今以上に大きい。親が引っ張って行くのではなく、オリンピック競技のカーリングのように、子供が自分で進んでゆくのを、いかに助けるかが大事になるからだ。少なくともぼくは、自分の子供ができた日には、そういう育て方をしたい。そして、世の中のすべての親が、そういう子供の側に立った子育てができるようになることを望みたい。

(98/01/09)



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