野球が見れるのは誰のおかげ?






近鉄球団の経営破綻に始まったプロ野球のゴタゴタは、すっかり泥仕合化し、場外の「試合」の方が大きくスポーツ紙に報道される始末。ここまでズルズル行ってしまうのも、そもそも当事者達の中に、「日本のプロ野球」という業態自体が成り立たなくなっている、という認識がかけているからだ。彼らの主張している結論はさておき、堤オーナーとか、渡辺元オーナーとか、一連の問題を提起した方々は、少なくとも感覚的にこの「行き詰まり」を認識していることは確かだ。だがその他の当事者、周囲を取り巻く人々の間では、全く理解されていない。

現状の構造を温存したままで、プロ野球球団に金を注ぎ込むことは、「タニマチの道楽」でしかない。別項プロ野球というビジネスで述べたように、ビジネスとしてのメリットは何もない以上、経費と考えても、投資と考えても、アカウンタビリティーはたたない。そして、今の球団経営は、そういう「あぶく銭」をばら撒く人がいなくては成り立たない。いや、日本のプロ野球自体が、そういう「あぶく銭」をばら撒く「タニマチ」の存在を前提にしか存在し得ない構造なのだ。

ファンの気持を大事にしろ、とか、パの火を消すな、とか、いう人が多い。しかし、そういう人たちは、いちばん根源的なことを忘れている。そもそもプロ野球はプロと呼ばれる以上「ビジネス」であって、ファンを楽しませるための慈善事業でも、好きな人たちが趣味でやっているアマチュアスポーツでもはないのだ。ではファンが、キチンと受益者負担で、事業としての「球団経営」を成り立たせるだけの支出をするつもりがあるのか。それは、いたって疑わしい。現在のプロ野球は、球団側の好意で「見させてもらっている」状態にあることを忘れてはならない。

ビジネスとして成り立つからこそ、ゴーイング・コンサーンと言うか、永続性が担保される。受益者が、応分の負担をしなくては、そこからのメリットは得られない、というのが、資本主義社会の大原則だ。一般の生活者にとっては、必需品か、あるいはものスゴくコダわりのあるものを除くと、タダで使えるなら喜んで使うが、金を払ってまでは欲しくはない、というのが、一般的な感情だろう。プロ野球なんてモノは、私設応援団みたいな一部の熱心なマニアを除く多くの人にとっては、そういう「あればうれしいけど、自分がその金を負担するのはイヤ」という、最たるものだろう。

また、ファンがいるから、一般の企業や商品と違う、としたり顔で言う評論家もおられるようだが、ブランド論の立場から言えば全く見当外れだ。企業や事業をM&Aする裏には、強いところをより強く、という「選択と集中」の思想がある。当然、企業ブランドや商品ブランドは、スクラップ・アンド・ビルドされる。消えてしまったブランドにも、当然ユーザーはいたワケで、それなりの愛着を持ったファンがいたはずだ。贔屓の球団名が消えてしまうというのと、自分のコダわりのあったブランドが消えてしまうというのと、どこが違うのだろうか。

たとえば、80年代初期にUNIXといえば必ず語られた、VAXシリーズで知られていたDEC。当然ソフト業界にはDECファンと言うのがいたわけだが、コンパックとの合併でそのブランドは消えてしまった。さらに、コンパックというブランド自体も、HPとの合併により消えてしまった。90年代から、自動車会社の世界的再編が続いた。吸収・合併が起るたびに、当然ラインナップの見なおしが行われる。その中で、製造が中止されてしまった車種も数多い。フォード傘下に入ったマツダなど、完全にラインナップの変更が行われ、乗用車については80年代から続いているブランドは一つもない。

もっと言うなら、ツブれてしまってもブランドは消える。同じように、合併がなかったとしても、球団が倒産してしまえば、同じように贔屓の球団はなくなってしまう。しかし、これでは、その球団の伝統は、全て立ち切れて消え去るだけだ。選手も路頭に迷うことになる。これが、球団の経営破綻を考える場合に、ベースとなる状態である。このほうが余程始末に悪い。この状態を頭に浮べて、そことの比較で「次善の策」を考えられないようでは、「現実離れした発想」しかできないと言われても仕方ないだろう。

選手会も、基本的な認識が間違っている。90年代以降、「一軍のプロ」レベルに達しない選手をベンチ入りさせないと、「12球団制」が維持できない状況にあることは、紛れもない事実だ。これを前提に考えると、選手会が「12球団制の維持」を主張することは、「水増しされた一軍選手の座」をいかに守るかという、既得権の死守以外の何物でもない。まさに、ダム建設、道路建設と言った公共事業の見直しに対し、抵抗勢力、守旧派が必死になっているのと同じだ。

野球ビジネスに流れ込むマクロ的な金額は、現状の連関構造を前提に考えると、12球団でも10球団でも、8球団でもそうは変らない。8球団だから2/3ということにはならない。流石に4球団とかなれば目に見えて減るだろうが、それでも半減ぐらいだろう。ということは、一流選手からすれば、球団数を減らし、一球団あたりの「分け前」を増やしたほうが、自分の待遇が良くなる可能性は高い。それを、いくら数が多いからと言って、取るに足らない二流選手の既得権を守る方で結束するのは理に合わない。

一流選手の側から考えるなら、大リーグでも充分優勝争いに残れるような「強いチーム」だけを一軍とし、その中でプロ野球の新リーグを作るほうが余程メリットがあるはずだ。4球団なら間違いなくできるし、ウマく選手配分をすれば、6球団ぐらいまでは作れるだろう。6球団できれば、間違いなく国内リーグでやっていけるし、4球団なら、大リーグの西海岸のチームと合わせて、アメリカ大リーグの「太平洋地区」を作ったっていい。

スポーツが、コンテンツとして魅力を持ち、興行としての集客力や、放送番組としてのパワーを持つ原点は、「強くてハイレベル」なところにある。日本人大リーガーがいくらいても、それが二流選手では今のような人気はでない。大リーグでも一流選手として、記録を塗り替えるような活躍をしたからこそ、人気が出てきたのだ。そして、今のプロ野球の低迷も、そもそもレベルの低下という、コンテンツとしての構造的問題が大本にあることを忘れてはならない。

球団経営が成り立たないというようなビジネスモデル的な問題は、原因ではなく、どちらかと言うと結果論である。オーナーや親会社からすれば、ビジネスとしての問題のほうが深刻だが、選手やファンから問題を提起するなら、それは、この「レベルの低下」にどう終止符を打ち、面白くてスリリングで、コンテンツとして魅力のあるプロ野球を、どうやって作り出すかという視点を持たなくてはいけないのだ。


(04/09/24)

(c)2004 FUJII Yoshihiko


「Essay & Diary」にもどる


「Contents Index」にもどる


はじめにもどる