九州の優等列車 -1971年4月-


この「記憶の中の鉄道風景」も、スタートから2年。はじめは余技的にやっていても、やっているうちに、段々と本格化してきてしまうというのは、この手の企画の常。色つきになるは、カット数も増えるは、ネタも狙ってくるは、という感じで、自己増殖の限り。おかげで、次のネタを引っ張ってくるのが、けっこう大変になる始末。ということで、2年目を期してまた新たなスタートを図るべく、2ヶ月合併号で大ネタを行きます(って、全然反省してない)。前回のブルートレインが、意外と評判よかったので、今回は1971年春、九州二度目の撮影旅行でとらえた、九州非電化区間の女王ともいえる特急、急行列車をカラーでお届けします。ところで、これは35年前に撮影したネガカラーですが、使用しているのがコダカラーのブローニーなので、退色もそれほどヒドくなく、充分色が残っています。さすがですね。このときは、モノクロ用に35mm二台に加えて、ブローニー用のミノルタ・オートコードを足踏みレリーズでシャッターを切る、という「重装備」でしたが、この手の優等列車は、モノクロではつまらない、とばかりにカラーだけで撮影しました。しかし、引伸ばす金がなかったので、そのままコンタクトプリントだけで眠っていました。そんなワケで、どんなカットかは、今回スキャンしてはじめて気付いた次第。まあ、これもこの企画の醍醐味といえましょうか。



まず始めは、筑豊本線の華、キハ82系の特急かもめです。撮影地は、筑前内野-筑前山家間の「冷水峠」。それもサミットの北側、筑前内野よりのポジションです。峠の筑前山家よりは、いわゆる「お立ち台」として知られ、撮影した写真もよく見ますが、内野側は比較的登場回数が少ないようです。一直線にサミットへ向うので、好みがわかれるところでしょうが、一直線に勾配を昇る姿が、筑豊の川筋を思わせる男気を感じさせて、ぼくは好きでした。特急かもめは、佐世保編成と長崎編成が小倉で分離し、そこから二つの列車として別々の経由になる独特の運用でした。その分、キロ1輌の6両編成という長さで、模型派としては妙に親しみが湧きますね。1971年4月2日の撮影です。


九州の撮影行となると、山陽夜行で九州入りしてその日は北九州で撮影、そのまま九州内の夜行で次の日は南九州というのが定番パターン。東京や関西から撮影に行ったヒトは、九州での1・2日目は、ほぼこのコースではないでしょうか。ということで、このときもご多分に漏れず、次の日は日豊本線です。撮影地は、いわずと知れた田野-門石(信)間、清武川の橋梁です。列車は、ディーゼル牽引時代の下り日南3号。日南3号といえば、蒸気牽引の期間は、その全ての日がカメラに収められているのは間違いありませんが、DF50牽引の写真は、余り見ませんね。まあ、みんな撮ってはいるとは思うのですが。それにしても、これまた7輌編成。模型でも容易に「フル編成」化できる長さですね。1971年4月3日の撮影です。


続いて、ブルートレインの登場です。ヘッドマークを凛々しくかがやかせた、下りの特急富士。これも、田野-門石(信)間の同じ撮影場所。今度は、築堤の北側からの撮影です。田んぼには、一面レンゲの花が咲きまくり、春らしい雰囲気を出しています。この頃の九州では、代掻きの前にレンゲを生やしておき、そのまま鋤き込んで肥料にしてしまう農法が広く行われていたようです。「春の九州」を狙ったレイアウトやジオラマなら、かかせないポイントでしょう。こうやって見ると、ファーラーとかノッホとか、ヨーロッパ製の地面材料のような感じがします。8輌編成と、運転会の組立式でないとちょっとつらくなってくる長さですが、全体の雰囲気は、こころなしかジオラマのような雰囲気。Nなら、ガーダー部分のスパンが1mちょっとなので、なんとか再現できるかな。


ディーゼル特急、客車急行、客車特急とくれば、お次はディーゼル急行。肥薩線山線は、大畑-矢岳間、これまたおなじみ大畑ループ線を行く、急行えびのです。先頭から、キハ58、キハ28、キハ58、キロ28、キハ65……と、冷房化されたこの時代のディーゼル急行らしいバラエティーが楽しめます。この時期の大畑の写真は多いので、皆さんよくご存知でしょうが、当時このあたりは植林したばかりの禿山でした。おかげで、長い編成でもよく見通せたのですが。今は、立派に育って、けっこう欝蒼としているようですね。でも、長い編成はこないので、アタマからお尻まで見通せるようですが。それにしても、ウッドランド・シーニックスのターフを敷き詰めて、ところどころ緑のフォーリッジをばら撒いたような地面。これをそのまま模型化して、TMSのレイアウトコンテストに応募したら、酷評されそうですが、「事実は小説より奇なり」ですね。1971年4月6日の撮影です。


さて、今回もオマケの蒸気機関車。最初の特急かもめと同じ、筑前内野-筑前山家間の「冷水峠」北側で撮影した、D60重連の貨物です。重連とはいっても、なんと現車3輌。トラ、トラ、ワフしか荷がありません。この時期になると、冷水峠を越す貨物は、筑豊地区発着で、熊本鹿児島方面か、長崎佐世保方面のものだけでしたから、けっこうこういう荷の少ない列車が多かったのも確かです。こんな状態なら、前補機さえ力行すれば、本務機はバルブオフでもなんら問題はないはずですが、2台ともちゃんと石炭を焚いて力行しています。マジメですね。しかし、これでは石炭を無駄に消費し過ぎではないのかなど、と余計な心配さえしてしまいますが。模型では、余りに短い編成は敬遠しがちですが、実物はこういうのもあり、ということですね。ということで、今回は2ヶ月分ということで、普段の5割増の情報量(同じドット数・圧縮率でもファイルがかなり大きい)でお送りいたしました。じっくりお楽しみください。


(c)2006 FUJII Yoshihiko


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