ある日の筑前垣生(その2) -1970年8月1日-


今回は、前回からの続き。1970年の7月から8月にかけて夏休みを利用して行った初めての撮影旅行から、筑豊本線の筑前垣生駅付近で撮影したカットの続きです。確かに「垣生公園」の脇を通っていますが、本当に何もないところで、初心者でもベテランでもほとんど同じような写真になってしまうという意味では、ハズレがないということは確かでしょうが、今となってはいわゆる「お立ち台」とは思えません。でも、そのワリには撮影地ガイドとかにも掲載されていたんですよね。撮影地という意味では、のちに行ってますが筑前垣生駅の逆側、中間-筑前垣生間にある遠賀川橋梁のほうが、よほどフォトジェニックではないかと思います。若松方面、黒崎方面、中間から複々線になってしまう列車がまとまってやってくるため、それでも列車本数だけは多かったので、撮影効率が異常にいいことは確かです。


件の「垣生公園」の脇から、鞍手駅方向を狙ったカットです。やってきたのは直方機関区のD51362号機の牽引する、上り貨物列車。のちの田川線とは違い、この時はまだ石炭列車も多数走っていました。この列車もその一つ。筑豊地区には小規模な炭鉱が多数あり、各炭鉱でそれぞれ積載された石炭車を組成して編成にし、港まで運行していました。1輌目、2輌目はトラとトキですが、ホッパーのない小規模炭鉱では、一般の無蓋車にベルトコンベアで石炭を積み込むという積載法をとっていたため、これも積荷は石炭です。3輌目はおなじみセラですが、4・5輌目は背が低いセムですね。6輌目以降と比べてみると、その違いがよくわかります。


同じ地点から、逆に筑前垣生駅方向を狙って撮影しています。やってきたのは、C55型式の牽く下り旅客列車。牽引機は若松機関区のC5557号機。言わずと知れた人気ガマで、九州の蒸気機関車の最末期まで活躍していたので、撮影した方も多いと思います。複線非電化区間で蒸気を撮影できたのは、ここと室蘭本線ぐらいですが、複線といえどもそれほど列車本数が多いわけではないので、こういう風に反対の線路越しに撮影してもカブる危険性はほとんどありません。というより、「すれ違い」を撮りたくても余程運が良くないと撮れないと言った方が正解でしょう。こうやってみると、日本の田舎らしいいい風景ですね。


同じ列車を続けてアップで撮影します。まあ14のガキだから仕方ないけど、この2カットの間がベストカットですね。アップなら、もうちょっと寄った方がいいし。それでもまあ、写ってるから大したもんですよ。意識して鉄道写真を撮り出してから、まだ1年経っていない頃ですから。リバーがオフではなく、ちょっとだけ入っているのが平坦線らしくていいですね。一応駅を発車してすぐなんで力行です、みたいな。それにしても57号機、ナンバーに色が入ってますよ。カラーで撮ってないのが惜しいけど。多分、宮崎区時代の青が磨いていて出てきてしまったのではないでしょうか。40年以上、全然気付きませんでした。


C55、それも人気の57号機が来たのがうれしいのか、しつこく追いかけて見返りショットまで撮っています。意外とこういうコマがあると、模型の資料とかには役にたったりします。1輌目はオハフ33。真夏ですので、窓は大きく開かれています。そう、昭和時代は、夏は窓が開いているものだったのです。これはけっこう季節感として重要な点で、植生を夏で作ったレイアウトなら、車輌も夏姿でないとおかしいのです。その点、エアコン付き嵌め殺し窓になった現代は楽ですね。乗っている若者は、姿格好からすると地元民ではなく、同業者ではないでしょうか。もしかして心当たりのある方、ご連絡ください。


これまた今回のターゲットの一つで、原田からずっと追っかけてきたD50が、またまたやってきました。若松機関区の205号機。この時は、、もはやD50型式は140号機と205号機しか残っていない絶滅危惧種でした。牽引している列車は、先程撮影した時とはことなり、セメントようホッパー車を連ねた専用貨物です。船尾から直方経由でやってきた列車の、直方からの牽引がD50型式になっているようです。日本セメントの私有ホッパー車と思われますが、ホキ3500でしょうか。もともと貨車はそれほど詳しくない上に、私有ホッパー車は、形式は同じでも所属によって形態が大きく違ってしまいますから。

これまた踏切のところで、どアップのカットを撮っています。写真としての良し悪しはさておき、子供心なりにD50に出会ったワクワク感が出ているとは思います。しかし、これだけアップだと、思わぬ発見もおおくあります。205号機はLP42のままだったんですね。LP403に換装しなかったのは、九州の大型機では珍しいです。パイプ煙突換装にもかかわらず、妙にクラシカルな味わいだったのはそのせいでしょうか。しかし、こうやってみるとD50のパイプ煙突っていうのは、C53のプロポーションを思わせるし、大正ではなく昭和製もあるという微妙な製作時期なりのモダンな感じも伝わってきて、けっこういいですね。




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