花巻電鉄鉄道線 花巻温泉駅 -1970年5月19日-


今回は、思いっきり芸風を変えて、「ナローの路面電車」花巻電鉄の登場です。花巻電鉄には、馬面電車でおなじみの、鉛温泉に行く「軌道線」と、専用軌道をもった、花巻温泉に行く「鉄道線」とがありました。どちらも、「ニブロク」ナローの電化線でした。軌道線のほうが倍以上距離がある上に線路状態も悪く、鉄道線は約7.5kmを20分程度で走っていたのに対し、軌道線は約18.6kmを約1時間かかって走っていました。ご多分に漏れず、全国のナロー路線、路面路線が廃止される中、1969年には、まず軌道線が廃止され、1972年には鉄道線が廃止され、この時点で鉄道路線は全てなくなりました。それから35年経ちますが、会社そのものは、合併を繰り返しがら、バス会社の中に伝統を残しています。これは軌道線が廃止され、鉄道線だけが風前のともし火だった、1970年の花巻電鉄の記憶です。



鉄道線の終点、花巻温泉駅の風景です。花巻電鉄では、総括制御車輌こそなかったものの、電動車が付随車を牽引する、というカタチで「編成運転」されていました。したがって終着駅では、毎回律儀に機廻しを行い、電動車を進行方向先頭に付け替えていました。駅のホームに佇むのは、花巻電鉄の「最新鋭」1963年製のモハ28と、同形の付随車サハ105の編成です。留置線にはワ2、奥のホームにはサハ102の姿も見えます。この時、モハ28はまだ製造から7年、それから余命は2年でしたから、わずか9年で廃車になってしまったワケです。


さて、この時はなんで花巻温泉にいるか、というと、実は中学校の修学旅行の途中なのです。ご多分に漏れず、この日は中尊寺に行って花巻温泉に泊まる、というスケジュール。夕方の自由時間を使って、「鉄」仲間何人かで連れ立って、駅までやってきたのでした。習字のような筆跡が時代を感じさせる、花巻温泉駅の駅名票。70年前後にはつきものの、410ブルーバードと、130セドリックがチラリと写っています。お尻だけ写っているコンパクトカーは、ダイハツコンソルテでしょうか、二代目トヨタパブリカでしょうか。これは兄弟車なので、お尻だけでは判断しかねますが。


先程のモハ28も出発したので、ホームに停車中の、サハ102をアップで捉えます。このサハ102、けっこう年季が入っているように見えますが、実は1954年製。となると、この時車齢は16年。今や、国鉄民営化から20年ですから、16年前の車輌というと、決して古いワケではありません。でも、当時すでに、なにやらノスタルジックな風情を漂わせていたことも覚えています。まあ、高度成長期は、世の中の変化が早かった、ということでしょうか。ホームの向こう側に積み上げられた貨物のスキ間から、マツダのオート三輪の鼻面が、チラッと見えています。


電車が来るまでの間の時間で、花巻温泉駅の駅舎を撮影。大分ヘタレがきていますが、地鉄らしい、趣のある駅舎です。駅前に停車中のバスも、いかにもバスらしいバスですね。この時期は、すでに一眼レフを持ってはいましたが、なんせ学校の行事なので、もって行けるカメラが限られ、使ったのはハーフ判のキャノンデミ。ですから、ちょっと全体の描写が甘いのはお許しを。当時「鉄」指定席は、「アルバム委員」と「旅行委員」の二つがあり、「アルバム委員」だと、一眼レフを堂々と持って行けるのですが、この時は「旅行委員」。その職権を乱用して、このあと十和田湖に向かう途中で、花輪線の見えるところでダイヤに合わせてバスの休憩を取り、みんなで8620を撮影する、なんていう荒業を出したりしたのも懐かしい思い出です。


次にやってきたのは、単行のデハ56。先程のサハ102と同時期の、1954年製の車輌です。確かに、外板や屋根の状態を見ると、そんなに車齢の高い車輌ではないことが見て取れます。とはいえ、ナローの路面電車形車輌、というのは、希少ではかない存在だったことも事実。前年に軌道線が廃止になったこともあり、とても珍しいものを見れた、という気分でした。この年の夏には、蒸気機関車の撮影旅行に行き始めるワケですが、そっちのほうが先決で、いくら消え去る運命といっても、地鉄めぐりなど、金も時間もとれない中学生でしたから。


花巻温泉駅を出発し、花巻へ向かうデハ56。こうやって見ると、ノスタルジーにあふれてはいるものの、なんのかんの言っても、基本的には昭和40年代の風景ですね。ぼくなんかがレイアウトモジュールを作るとき、いかにレトロっぽくつくっても、随所に昭和40年代的な色が出てきてしまいますが、やはり、刷り込み体験というのは強烈なのでしょう。ハーフ判コンパクトカメラを自然に握った位置そのままで、広角・タテ位置の構図になっていますが、ことナローについては、らしさが強調されます。これがあの「馬面電車」なら、もっと強烈なのでしょうが。


先程のモハ28が、花巻まで行って帰ってきました。こちらもこれにて撮影は打ち止め。朝顔カプラー極端に左右に引き伸ばしたような、独特の連結器が目を引きます。カプラー自体はクビを振らず、リンクの左右動だけでカーブに対応するのでしょうが、ちょっと面白いですね。前のカットに表面が写っていますが、場内信号は、ちゃんと進行を現示しています。当たり前ですが。その下の側線側の場内でしょうか、角材でバッテンをつけて用途廃止している、というのものどかな感じです。ところで、なんで「モハ」28型に対して、「デハ」56型なんでしょうか。花巻電鉄の謎、ですね。

(c)2007 FUJII Yoshihiko


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