線路端で見かけた変なモノ その7 -ホームでお駄賃(北海道編)1972年7月-


今月も、またまた大暴走は停まりません。すでに、模型のジオラマやお立ち台を連想させる蒸気時代のカットですらなく、単にプラットホームや駅構内でのバッタ撮りの特集になってしまいましたね。そんなら、もうそれでいっちゃえということで、今回は「ホームでお駄賃」の二回目。北海道編です。最初に北海道に撮影旅行に行った、1972年7月に撮影したカットの中からお届けします。この時の写真は、歴然たる走行写真は別として、「その他大勢」的なコマは、けっこうここで使っていますが、探してみるとまだまだけっこうあるものです。でも、駅構内を見渡して納めたカットって、意外と少ないので、インターネット上に置いておけば、レイアウトやジオラマを作る方のお役に立つことでしょう。では、今回もスタート。



まず最初は、苫小牧駅の構内の様子から。1972年7月15日の撮影です。背中合わせで待機するD51が2輌、その先には苫小牧名物のDD13がいます。手前のD51は、岩見沢第一機関区所属のD51328号機。水戸区時代に、ストーカー装着に絡んで、D511068号機とテンダーを交換し、戦時型の船底テンダーになっています。ギースルエジェクタを装備していますが、ずっと岩見沢にいたカマです。次位のD51は、これまた岩見沢第一機関区所属のD51118号機。関東で保存されているので、番号だけはおなじみです。乗工社の北海道型もナンバーは118でしたが、あれは「なんちゃって」でしたね。苫小牧は、北海道では比較的温暖な地域なので、全体の雰囲気も、本州とそんなに変わりません。


白老駅で下り車扱貨物の入換を行なう、苗穂機関区のC58425号機。前々回も登場した、北海道でのC58ラストナンバーです。確か白老だと記憶していたのですが、グーグル地図の航空写真で調べると、なるほど白老です。貨物発着線こそなくなったものの、跨線橋とオープンエアの自由通路は、今もそのまま残っているようです。この列車の見ものは、次位に連結された無火回送の9600形式。どうみても、2種休車の苗穂への廃車回送のようです。ナンバーが読めないのですが、資料を当ると、この時期に鷲別で廃車になった9600形式は、7月19日付の49674号機。現役当時の写真と装備を照合すると、このカマは49674号機でほぼ間違いないようです。この時期は、廃車や検査、転属などで無火回送する機関車が、貨物列車によくぶるさがってました。


続けて、白老駅を出発する下り貨物列車。牽引するのは、追分機関区のギースルエジェクタ付きD51842号機。このカットでは、完全に逆光のシルエットになっていて読めませんが、この後、別のカメラで撮影したカットからは、ちゃんと番号がよみとれまます。ぼくにしては、非常に珍しい絵柄ですね。とにかく、次から次へとくるので、ちょっと凝ってみたくなったのでしょうか。この頃にしては珍しく、天気の関係で前照灯を点灯しているので、それをみて黒く潰してしまえと思ったのでしょう。結果として、煙の具合がくっきり捉えられ、ギースルエジェクタ装備機の煙の出方がよく見て取れます。正面から見た煙突の幅が小さい分、シルエットにすると一回り大きいカマに見えます。


さてここカットは、一日明けて7月16日です。この時は室蘭本線系統での撮影は、苫小牧にあった親戚の家をベースにしていましたので、毎朝、苫小牧から「ご出勤」でした。この日は、栗山-栗丘間に出撃です。まさに、その前の「お駄賃」。苫小牧駅に進入する、岩見沢第一機関区のD5113号機が牽引する、下り貨物列車です。D5113号機は、新製配属から廃車まで、ほぼ岩見沢一筋というカマです。最終貨物牽引で名高いD51241号機もそうですが、けっこう北海道にはそういうカマがいました。ワフに続いて、ホキ700が2輌連結されていますが、貨物列車があった頃は、バラスト用ホッパ車も、通常の貨物列車に連結されていたのでした。


続いてこれは、その16日の夕方。撮影から戻ってきた時に乗ってきた列車を、苫小牧駅に降り立ち撮影したものです。牽引機は岩見沢第一機関区のC57168号機。関東が長く、1960年代に北海道に渡ってからは、室蘭本線で活躍してきたカマです。そう言われてみれば、もちろん寒地装備はついているのですが、比較的、原型にちかいC57という感じで、個人的にはワリと気に入っていたカマです。もうちょっと後まで残っていれば、それなりに人気は出たんじゃないかと思いますが、この年の末には廃車になってしまいました。ちなみに、蒸気最末期には、宮崎からC57186号機が渡道してきます。番号が似ているので勘違いしがちですが、全然別のカマです。


一日おいて7月18日は、大沼付近の函館本線での撮影です。狙い目は、ここに残った最後のD52です。大沼駅で列車待ちをする、五稜郭機関区のD52138号機が牽引する、下り貨物列車。本州からの返送の、空荷の冷蔵車が目立ちます。D52138号機といえば、相模原市でD52235号機として保存されているというのは、有名ですね。各番線の有効長の長さが、幹線の主要駅という雰囲気を高めます。2輌編成のキハ22はナニですが、構内に佇むD52形式牽引の貨物列車を見る限りでは、東海道本線や山陽本線の、蒸気全盛時代を忍ばせます。D52形式は、線路規格の関係から道南でのみ使われたため、比較的オリジナルに近い装備で最後まで使われたのも、ノスタルジックなムードを高めます。


その日の夕刻、撮影を切り上げて函館へ向かうべく乗車した、長万部機関区のD51346号機が牽引する、上り旅客列車。マニ60が2輌もついているのが、函館本線の普通列車らしいといえばらしいでしょう。皮肉なことに、この一日、全く顔を見せなかった駒ケ岳の山頂が、この頃になってやっと顔を見せています。この撮影行は、梅雨前線が北海道に居座る、7月中〜下旬にかけて行なわれました。梅雨前線は、東北が梅雨明けした後北上し、北海道に1週間ぐらい居座ります。実は、これは梅雨です。北海道には梅雨がないのではなく、時期も形態も違うので梅雨と呼ばないだけで、梅雨前線の活動が盛んになる時期はあるのです。まあ、その分北海道らしからぬカットが撮れたかなと思ったのは、負け惜しみではなく、人と同じようなカットを撮りたくないという、ませた高校生だったからでしょう。



(c)2013 FUJII Yoshihiko


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