無意味に望遠 その3 -1972年7月15日-


さあ、予告通りシリーズ化してしまった、この「無意味に望遠」。やり出せば、それなりにネタはあります。あくまでもこの望遠で撮っているのはサブボディーなので、同じ列車を、ブローニーカラーポジとメインの35mmでも撮っているだけに、いままで一度も引き伸ばしたことのないコマがほとんど。おまけにフィルムも、メインの35mmがトライXなのに、国産フィルムだったリするし。まあ、そういうあまり思い入れの濃くないカットなので、とにかく片っ端からご紹介します。これも、全コマスキャンした賜物ですね。つまらなくでも、当たり前でも、記録は記録。同じ一日は、二度とないのです。



この時は、最初の3日間は、親戚がいた苫小牧をベースにして撮影していました。初日は、前回、前々回の「あそこの立体交差」。二日目は、午前中は、その親戚関係の用事があったので、昼からの出撃。どこに行こうかと思いましたが、意味なく白老-社台間にやってきました。当時、白老-沼ノ端間28.7kmは国鉄最長直線区間として知られていました。沼ノ端に行ったので、今度はその反対側から撮ってみようという、恐ろしく安易な発想です。まあ、この辺りの室蘭本線は、どこで撮ってもほとんど同じなんですが。まずは、その直線が始まるカーブのところで。岩見沢第一機関区のD51467号機の牽引する、上り貨物列車。札幌をはじめ北海道各地と本州を結ぶ、ほとんどの貨物がここを通過していた時代です。


同じ地点で、反対側を振り返って撮影したのがこのカット。こちら側も、ここから虎杖浜まで約18kmの直線区間が続きます。やってきたのは、岩見沢第一機関区のおなじみC57135号機が牽引する、下り旅客列車。最後の旅客列車牽引機関車になるまでは、まだ3年半弱。そんな栄誉を担うとは誰も想像だにしない、踏段改造も、テンダ振替も行なわれていない頃の135号機です。ところで、この2カットは、上り線、下り線の間隔が広がっていることを利用して、その間の空間から撮影していますが、当時はこのぐらい何も言われることはありませんでした。少なくとも、犬走りより外側なら、何もお咎めなしで撮り放題というのが、この時代のオキテです。ま、同業者がいる場合は「どけ」とか言われましたが。


さて、問題の最長直線区間の起点(終点)です。直線区間から、いまやカーブにさしかかろうというのは、岩見沢第一機関区のD511037号機。これ、このあと、メインのカメラで撮ったカットを見ると、上りの単機回送なんですよね。そのワリには、けっこう気合入れて力行してます。1037号機は、ギースル・エジェクター装備なので、独特の排気の上りかたが手に取るようにわかります。再末期のように、ギースルというと追分、と、バカの一つ覚えのように思っていらっしゃる方も多いようですが、鷲別とか岩見沢とか、この周辺の機関区にはけっこういたのです。ところで、1037というと、鳥栖、吉松などで活躍したK-7デフの1038号機を思い出されます。実際、1035〜38の僚機とともに九州初期配置で、1960年代まで九州で活躍したカマでした。


3カット目と同じ地点から、今度は室蘭方を見渡した構図がこれです。追分機関区のギースルエジェクタ装着のD51509号機が牽引する、下り返空石炭列車。煙がうっすらと立ち昇っていることから、惰行ながら、石炭をくべてカマを作りはじめている最中のようです。積車だと2400tのセキは、空車を望遠で圧縮してもやはり長い。さすがに最長直線区間にはよく似合います。509号機は大宮工場製で、この番台の僚機と同様、関東地区で長らく活躍しましたあと、昭和40年代になってから北海道に渡った、比較的渡道歴の短いカマです。北海道では、室蘭本線中心に使われていましたので、助手側に旋回窓がついていなかったり、相対的に軽装備のカマといえるでしょう。そのワリにギースルが装着されているのが、面白いところです。


再び、最長直線区間に挑戦。という程のモノでもないですし、単に望遠での切り取り方の違いだけなのですが。岩見沢第一機関区のD51915号機の牽引する、上り車扱貨物列車。このカットが、テレコンでの超望遠、かつ引きで撮っているだけに、一番「直線区間」らしいカットになっています。メインボディーでの別カットから、機番を検証できました。そのカットを見ると、トラ90000が繋がっていますから、東室蘭までの区間貨物列車でしょう。かなりの力行、かつカマも焚いています。先ほどの、ほぼ同じ場所で捉えたギースル付きの1037号機と比べると、煙の立ち昇りかたの違いがよくわかります。915号機は再末期まで現役でしたので、撮影された方も多いと思います。


このあたり、ほぼ同じポジションから、焦点距離とシャッタータイミングだけの違いでお送りします。まあ、最長直線区間を狙うわけですから、その延長上のポジションは、カーブの外側に一ヶ所しかありません。そこに陣取って、淡々と数をこなしている勘定です。こんどは、岩見沢第一機関区のC57144号機の牽引する、上り旅客列車がやってきました。いいですね、ファインスケール。じゃなかった、ホンモノを真正面から見ると、こういうバランスなんですよ。走行中の機関車を、完全に正面から狙えるポジションは、そうあるワケではありません。おまけに望遠で圧縮してますので、ほぼ正面図のような感じで、車輌全体のシルエットも捉えられます。ファインです(違うって)。


連発撮影最後は、岩見沢第一機関区のD5198号機が牽引する、下り運炭列車。運炭列車であることも、別カットからの検証です。前のカットとは、全く同じ場所、焦点距離で、シャッターを切るタイミングだけの違いです。前の単行の1037号機、車扱の915号機がまがりなりにも力行していたのに対し、こいつは完全に惰行です。積車のセキは、引き出しさえすればあとは走ってくれる、といわれましたが、なるほど室蘭行きは自然に走るんだと、改めて実感します。夏らしい陽光の元、この98号機は比較的手入れがよく行き届いており、北海道のカマにしては輝いて見えます。この構図だと、踏段改造なのかどうなのか、全然目立ちませんね。


最後は、白老駅を出発する、岩見沢第一機関区のD51872号機牽引の、下り石油専用列車。これまた逆光で機番が判読できないので、別カットから検証しました。ごく最近まで、室蘭の製油所から、北海道内陸部への石油類の輸送は、タンク車が大きく活躍してきました。鉄道はまだ蒸気機関車が活躍していでも、それなりにモータリゼーションが進んでいたのもこの時代でした。この踏切は、今アイヌ民族博物館の方へ向かう道ですが、コロナでしょうか、小型自動車が踏切待ちをしています。また、警報機も鐘ではなく電子式になっています。想像や記憶とは、また違うのが現実です。1972年という時代背景を考えてみるには、やはりその時代の空気を記録した写真は欠かせません。



(c)2013 FUJII Yoshihiko


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