無意味に望遠 その4 -1972年7月15日〜16日-


もうこうなったらこのシリーズ、徹底的にサブボディーの望遠ズームで撮ったコマを追って行きましょう。中には、意図的に望遠で構図を作って撮ったカットもあり、それはちゃんと引き伸ばして使っていたりしますが、サブボディーのほとんどのコマは単なるオサエで、メインカットは別のカメラで撮っています。まあ、だからこそそっちを見れば、機番とか容易にわかるワケなんです。さすがにこんなことをやっていたのは1972年までで、それ以降はブローニーカラーポジがメインで、35mm自体がオサエになってしまいますから、こういう死蔵され、忘れられたカットはありません。とにかく、せっかく撮影に行ったので、一コマでも多く撮りたいということなんでしょうが、使わないカット撮ってもねぇ。とはいえ、だからこそ40年たってネタに使えるというハナシもあるんですが。



まず最初は、前回の続きkら。7月15日の、室蘭本線白老での撮影です。岩見沢第一機関区のC5744号機の牽引する、下り旅客列車。もう夕方になって陽が傾いてきたので、客車の側面の「ギラり」を狙ったんでしょう。まあ、さすがに一日撮っていると飽きてくるんで、こういうトライもしたくなります。人間は、こうやって大人になって行くのです(笑)。おかげで機関車は逆光で潰れていますが、ディテールが見えない分、一見しただけでは北海道のカマとはわかりません。副灯がついているので、関東圏のC57という感じもします。未電化複線というところを除けば、景色も北海道という感じではないので、これはこれで面白い写真かもしれません。


明けて7月16日は、今度は室蘭本線の栗山-栗丘間に撮影に行きました。ここは岩見沢方面から来るとサミットになっているので、上り列車は力行します。景色的にも、あまり北海道北海道していない、ワリと「日本の田舎」的な風情があります。この区間は、夕張から来る運炭列車がこない分、列車本数は減りますが、室蘭本線の中では、個人的に好きな場所です。さて、そのサミットのトンネルに向かって力行する、岩見沢第一機関区のD5115号機が牽引する上り貨物列車。こういう「望遠での顔アップ」は、最近の若い人はよく撮りますが、ぼくはほとんど撮らないので珍しいです。ちなみにこのD5115号機にとっては、1953年にちょうどこの辺りで事故を起こし、その復旧の際に煙室の角が角型になったという因縁の地でもあります。


D5115号機牽引の上り貨物列車には、なんと重連の後補機がついていました。とはいえ、本務機の力行に比べると、明らかに手抜き走行ですので、勾配区間の補機というよりは回送運用のカマでしょう。補機の一輌目は、岩見沢第一機関区所属のD5198号機。これは別カットでナンバーが読めますので、容易に判読可能です。問題は次位の補機です。標準型、キャブ改造なしということはわかりますが、これでは特徴になりません。よく目を凝らすと、ナンバーの一桁目は「4」のようです。回送ならこれも岩見沢第一機関区のカマだろうということで、配置表を調べると、この時期岩見沢にいた400番台のD51は、432号機、439号機、467号機の3輌。このうち標準キャブなのは467号機しかいないので、467号機と比定しました。。


前にこのコーナーで、「一瞬の邂逅 -カメラが捉えた離合の瞬間-」という、すれ違いを捉えたカットの特集をしましたが、その時にチェック漏れだったカット。D51の牽引する上り貨物列車と、キハ22の3輌編成の下り列車がすれ違う瞬間です。並行する国道234号線にも、けっこうな交通量があります。残念ながら、標準型・密閉キャブということはわかるのですが、いかんせん特徴がなさ過ぎます。さらに、冷蔵車が連なっていることから、函館本線から直通で入ってきた貨物列車ということがわかりますので、滝川とか小樽築港とか、所属にもいろいろな可能性があり、このカマは機番の比定しようがありません。しかしこの区間、今は上り線だけを使った単線になってるんですね。


下り線のトンネルから今や出ようとする、滝川機関区のD511086号機が牽引する貨物列車。ほら、いろんなところのカマがやってくるんですよ。この路線は。少なくとも、道南と札幌地区を除く、全北海道地区の対本土貨物がここを通っていたんですから。単なる顔のアップはあんまり撮りませんが、トンネルを出る瞬間は、意外と撮っていたりします。まあ、模型っぽいカットといわれれば、実際そうなんですが。でもこれよく見ると、古いレンガ造りのトンネルを拡幅し、コンクリートで巻きなおしているんですね。とはいえ、単線化により下り線は廃線になってしまいましたので、その意味でも貴重な記録かもしれません。


つづいてC5744号機の牽引する、上り旅客列車。またもや、北海道らしからぬ雰囲気。C5744号機自体は、1950年代に渡道しているので北海道のC57形式としては、それなりになじんでいるはずなんですが、どうなんでしょうか。でも、ライト・パシフィックが4〜5両の客車を牽引する姿って、ぼくは好きですね。というより、実際に撮影したのが、そんな感じのばっかりだったから、見慣れてしまっているんでしょう。10輌近い編成も例はありますが、逆になんか親しみが湧きませんね。よくみると、かなり離れた下り線の築堤の方から撮影中の同業者が写ってますね。もうSLブームも過熱しだした時期です。


最後は、岩見沢第一機関区のD51915号機の牽引する、下り貨物列車です。915号機というと、室蘭本線の蒸気の最末期まで活躍していましたから、おなじみのカマだとおもいますが、実はこの時は、名寄から転属してすぐという状況。まだまだ新参者でした。牽引する列車には、セキも4輌混じっていますが、主力は石炭を満載したトラ。大規模な積み出し設備を持たない中小炭鉱では、こういう一般の無蓋車を利用した石炭輸送も広く行なわれていました。模型的に言えば、これだけ無蓋車が続いても、けっこうバリエーションは作れるところに注目ですね。貨物の編成は、ここが面白いんですよ。



(c)2013 FUJII Yoshihiko


「記憶の中の鉄道風景」にもどる

はじめにもどる