無意味に望遠 その8 -1971年12月16日-


2014年に入ってもまだまだ続く「無意味に望遠」シリーズ。ということで、12月15日に筑豊本線系統を撮影したあと、日豊本線の夜行普通列車521レで宮崎地区に向かいます。12月16日の日豊本線です。東京から九州に撮影に行く場合は、この山陽夜行→筑豊地区撮影→521レで南九州へという「つかみ」は、定番中の定番です。ぼくも九州ツアーに関しては、最初と最後の撮影旅行を除く5回はこのパターンで入りました。しかし、三ヶ月かけてやっとツアー2日目。50代のヒトなら、あの「アストロ球団」を思い出す引っ張り方。ホントに無意味になってきましたが、まだまだご容赦を。



ということで、この日は高鍋の小丸川橋梁から撮影開始です。朝の時間は立て続けに3本下り列車がやってくるので、小丸川河口の南岸からの撮影です。コンクリート橋なのがちょっと寂しいところですが、河口ギリギリのところでかなりスパンが長く、南延岡-宮崎間ではワリと知られた撮影地でした。まずやってきたのは南延岡機関区のD51485号機の牽引する下り貨物列車。485号機は、小倉工場製の九州生え抜きガマで、ほぼ一貫して南延岡機関区で活躍した由緒ある機関車です。今でも、延岡市内に保存されています。しかしぼくなんかの世代だと、D51がそれなりの定数の貨物を牽引してくると、いかにも「非電化幹線」という気分になります。まあ、ギリギリその時代しか知らないことの裏返しでもありますが。


次にやって来たのは、宮崎機関区のC6124号機の牽引する、下り旅客列車。そう、この時はC61が宮崎で天地驚愕の復活を見せてから、一ヶ月ちょっと。C61を撮りたくで高鍋で構えていたのです。青森のC61は、宮崎区のC57を代替する目的で転属してきたのですが、2軸従台車の分だけ線路への横圧が大きく、急カーブが連続する都城-隼人間では線路への負担が大きすぎるとして入線不可となってしまい(よく勘違いされるが、軸重の問題ではない。軸重はC57よりC61の方が軽い)、南延岡-南宮崎間の限定運用となってしまったからです。24号機は、宮崎のC61の中では最初に、翌72年の夏前に廃車されてしまいましたから、走行中のシーンは貴重かもしれません。最後まで東北仕様のまま使われていました。


三つ目は、宮崎機関区のC5765号機の牽引する、下り貨物列車。コキフ、ホキ、タキが連なっているのが、ちょっとメジャーな感じを醸し出しています。しかし、こういうコキフの使い方もあったんですね。1輌だけでも使い道あるんですよ。さて65号機は、いにしえの「かもめ指定機」の1輌で、最初の試作品といわれる「関さんのK-5タイプ」のデフを装着している、晩年の宮崎区のC57の中では、比較的人気の高いカマでした。しかしぼくの場合、65号機とは相性が良すぎて、いつ行っても、毎回必ずやってくるんだよね。おまけ運用で行ったり来たり何度も現れるし。個人的には、もっと他の番号も来て欲しかったって印象があります。まあ、こういう「ご縁」ってあるようで、回数こなしていても、ヒトによって出会うカマはかなり片寄っているようです。


さて、朝のうちは高鍋の小丸川でしたが、お昼時は宮崎市内の大淀川に移動します。線路の脇のケーブル類の位置関係から、小丸川橋梁は東から、大淀川橋梁は西から撮影するのが常道。となると、日豊本線は南北に走っているので、必然的に、朝は小丸川、昼以降が大淀川ということになります。まずは小手調べという感じで、やってきた急行「えびの」号の宮崎編成を撮影します。この時代、こういうカットは本当に余技で撮ってる感じなんで、シャッターのタイミングもいいかげんで、電柱とカブってたりします。それでも、今となっては貴重なカットです。キハ65が2輌も入っているのが、冷房が必須だった九州の急行らしくてグッときます。


大淀川橋梁は、日豊本線を代表する撮影地の一つでした。宮崎市内で交通至便(なんせ、川沿いは旅館街)というだけでなく、運用の関係から、南延岡-南宮崎系統、宮崎-都城系統、日南線系統と三方面の列車がやってくるので、列車密度が高く、非常に効率がいいポイントです。そんな中で、日南線の上り貨物列車がやってきました。志布志機関区のC11145号機の牽引です。大淀川の堤防の内側、南宮崎方面を捉えたカットですが、工場の宿舎とおぼしき住宅や、軒をかすめるような、枯れ草の生い茂る築堤など、ジオラマ感覚満載で、地面派の模型師としては、かなり心ひかれるものがあります。というより、はっきりいえば、模型の写真みたいですね。


ということで、またまたやってきました。先程に続いて、C5765号機の牽引する下り貨物列車です。基本的に違う列車ではあるけれど、運用は続いているというヤツでしょう。しかし、ロングスパンのガーダー橋梁を、望遠で圧縮してしまうと、ほんとに同じ構図になってしまいます。「無意味に望遠」の真骨頂といえましょうか。でも、この時の望遠はズームなんで、焦点距離を変えて何カットか撮ってるんですよね。それでも、ほとんど違いがないし。やはり蒸気機関車が来ると、さっきのディーゼル急行とは違って、一応タイミングを見てシャッター切ってますね。今では多少ビルは増えたものの、橋自体は架線が張られた以外ほとんど変化がないようです。


今度は日南線の下り貨物列車。志布志機関区のC11185号機の牽引です。日南線は、下り正向、上り逆向での運用だったんですね。正向、逆向があることは覚えていましたが、どっちがどっちかはすっかり忘れてました。九州のC11というと、3次型、4次型が中心で、2次型は特定線区に集中していました。そんなこともあり、3次型、4次型のほうが、個人的には親しみがあります。日南線も、今では宮崎空港のアクセス路線になってしまいましたが、宮崎交通からの路線買収に始まる、国鉄としては比較的新しいローカル線でした。交通の不便なエリアを通る関係か、それなりに貨物の需要もあり、九州では最後まで蒸気機関車が活躍した路線の一つとなりました。



(c)2014 FUJII Yoshihiko


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