無意味に望遠 その9 -1973年4月・5月-


まだまだ引っ張る「無意味に望遠」シリーズですが、実は無意味なカットは、そこまで無意味にたくさんあるワケではありません。基本的に「満艦飾」での撮影を行なったのは、71年年末の九州ツアー、山陰ツアーと、72年夏の北海道ツアーだけなのです。それ以降の撮影旅行は、ブロニカS2でのブローニーカラーポジがメインになり、35mmモノクロは一眼レフ一台、それ自体がサブカメラという構成になってしまいます。71年年末の九州旅行でも、流石に日豊本線一日目までのフィルムの消費量が激しすぎ、これ以降は無意味な望遠撮影は控えます。実は、使いすぎでフィルムが足りなくなり、鹿児島かどこかでフジのネオパンか何か、国産フィルムを買い込んでお茶を濁したりしています。ということで、今回は一気に時間を進めて、1973年春の九州。場所だけは前回と同じく、日豊本線 宮崎-南宮崎間の大淀川橋梁です。



さて、この日は1973年4月6日。高校2年生から3年生になる春休み。3年になると受験もあるので、長期の撮影旅行はヤバいかも、というワケで、とるものもとりあえず、春休みに駆け込みで行なった、全部夜行泊の0泊ツアー。いつものパターンで、山陽夜行で前日北九州に入り、田川線で撮影したのち、この時はすでに「急行みやざき」となっていた日豊本線の夜行で宮崎入りした朝の撮影です。まずは、キハ17を先頭にした上りのディーゼルカーを小手調べに撮影。まさに、サブカメラの面目躍如。が、こりゃ意味のある望遠じゃ。このときは17歳ですが、1年ちょっと前よりは、それなりに上達が感じられます。が、マセたガキだなあ。確かこの作品、なんかの写真展に出したんだよね。よく覚えてないけど。


朝の大淀川ですから、当然、モロ逆光です。メインのカラーは、それなりに露出に工夫をしていますが、モノクロは、思い切りシルエットに振った絵作りを狙ってます。やってきたのは、日南線のC11。単機です。これは、機番の考証が難しいです。多分148号機ではないかと思うのですが、当日撮影した他のカット等も含めて考えないと、これだけでは厳しいものがあります。電化一年前ですが、架線柱が建って、架線がまだ張っていない状態ですね。しかし、向こう側の道路橋との対比的な構図は、完全に意図的ですね。ヤなガキ。まあ、その意気込みは感じたので、なるべくそれを生かすようなトーンに仕上げてみました。


同じC11の単行を、今度は見返りで押さえたカット。タンク機の逆行というのは、これはこれで味わいがあるものですが、逆行単機の見返りというのも、男のペーソスみたいな、なかなか深い趣がありますね。架線柱も、架線柱そのものと、落雷防止用のアース線しか張られていないので、そんなに違和感はありません。でも、こういうトーンのカットって、印画紙で焼くと大変なんだよね。思い通りに仕上げるのが、とても難しい。その点、レタッチソフトでの仕上げは、暗室作業のノウハウがある人間にとっては、とても楽。ましてやぼくが盛んに写真をやっていた1970年代では、カラーなんて、暗室作業はアマチュアにはほぼ無理だったからなあ。机上の暗室作業はいいよなあ。


今度は、上り旅客列車が、南宮崎側の築堤から橋にさしかかるところを押えたカット。これも、まだまだシルエットなので機番の考証が難しいのですね。でも、ちょっと光の当っているフロントのナンバープレートが妙に大きく、形式入りプレートと思われます。となると、この時代ここに来る可能性のある宮崎機関区・鹿児島機関区・吉松機関区のカマで、デフが関氏のK-7タイプの正面形式入りとなると、鹿児島機関区の72号機しかいません。多分そうなのでしょう。メインの橋上のカットは、カラーで撮っているので、そちらで後ほどチェックしたいと思います。まあ、なんとか陸地を入れて撮りたかった、という気持ちはよく伝わってきます。ここの大淀川は河口付近なので、とにかく川幅がスゴいんですよ。


次は、下り貨物列車の押えのカット。ほんとうに、押さえという感じになってますが、多分、メインをブロニカの手持ちで狙ったのち、持ち替えてお名残撮影という感じで、ちょっと別カットを狙ったものと思われます。こういうのは瞬間の思いつきだし、なんせ40年前ですよ。余程インパクトの強かったカットか、余程狙って撮ったカットしか、どうやって写したかなんて覚えてませんねえ。でも、自分でも傑作と思われるカットは、不思議と「その瞬間」が脳裏にやきついているものです。まあ、それを覚えていないと、作品としての「仕上げ」ができないんですよね。このシリーズでも、レタッチソフトで「引き伸ばし」て、はじめで最初のイメージを再現できた、なんてのもあるし。ちなみに、この機関車は低いK-デフなので、宮崎機関区のC57112号機ですね。


さてこの当時、朝の宮崎は、通勤通学の足として南宮崎行きの下り列車が多く設定されていました。下りは南宮崎発ですので、客車だけ留置して、機関車は宮崎機関区に回送します。そんな重連回送がやってきました。これは、シルエットだけで考証可能なコンビ。宮崎機関区のC57196号機とC5765号機の重連です。どちらも、関氏のK-9、K-5という、それぞれC57では唯一のデフをつけています。どちらも人気ガマでしたので、豪華な重連といえないコトもありません。しかし65号機は、前にも触れたように撮影旅行に行けば毎回必ず登場してくる、南九州では一番多く撮ったC57だったりするんですよね。とはいえ、「撮りたかった」って人も多かったと思いますから、あんまり贅沢いうとバチが当りますね。


最後は、その二ヵ月後。すでにこのコーナーでも何度か取り上げた、「鉄」な珍道中の修学旅行の最中、宮崎泊まりの朝に、旅館から抜け出して近くの大淀川に撮影に行ったカットです。大淀川つながりで載せてしまいましたが、こりゃ35mmレンズで撮ってますね。「無意味に広角」というところでしょうか。上り旅客列車を牽引するのは、宮崎機関区のC57192号機。この2カットの間に行なわれた、最後の蒸気機関車牽引お召し列車で、予備機に指定され、整備された残り香がまだ残っている状態です。修学旅行では写真委員兼務で、記念写真とかも撮らなくてはならず、35mmを標準装備にしていたので、ぼくにしては珍しい広角での走行写真になりました。慣れない分、ある意味、広角での列車撮影の手本みたいなカットになってますね。



(c)2014 FUJII Yoshihiko


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