冷水峠の足跡 -筑豊本線 筑前内野-筑前山家間カラー編 1971年4月2日(その1)-


この3回は、ブローニー版のネガカラーで撮影した筑豊本線のカットの特集でしたが、直方以北で撮影したカットは全部出しきってしまいました。さて次はどうしようかというところですが、やはり前回からの流れで筑豊本線で撮影したブローニーのネガカラーのカットを出しきってしまおうということにしました。ということで、今度は1971年4月の2度目の九州撮影旅行の際に冷水峠で撮影したカットです。この時の35oモノクロのカットはカメラの調子がおかしくなってしまったこともあり、ここでは未発表です。カラーの方もぶっつけ本番で撮り始めて二日目ということでマトモに撮れていないものばかりですが、中学生の思い出ということでご笑覧くださいな。



さてのっけから妙なカットですが、これはC5519号機が牽引する上り旅客列車の逆向後補機のD60を撮影したものです。長編成なので門司港行きでしょう。モノクロでは普通に撮影しているので、その後後補機だけを狙って撮影したものと思われます。この区間では逆向の補機は珍しいですが、運用の都合でこの向きにしているのでしょう。飯塚とか途中の駅から下り列車の補機に入るのでしょうか。さすがにこのカットでは機番の比定はできません。モノクロでも補機のアップのカットはないので、このカラーのカットは直接シャッターを切ったものと思われます。本務機の煙と重なって、何か見返り撮影のようにも見えます。まあ、それだとこの区間では下り坂なので煙は出ないのですが。


軽快に峠を下ってくる、若松機関区のD5142号機の牽引する原田行きの下り旅客列車。4輛編成なので、若松発でしょうか。この長さだと模型の編成のような感じで、妙に親しみが湧きます。絶気なのも模型っぽい感じを高めます。「撮り」専業の人は煙を吐きまくる力行にコダわりますが、模型も写真もやる「二刀流」の人は、絶気でも列車が景色の中に溶け込んでいれば、けっこうお気に入りのカットになる傾向が強いようです。そう思ってみると、地形も山あり川あり棚田ありというレイアウト向きの風景。カーブもエンドレスの一部でグルっと回っているような気さえしてきます。しかしこの時期にしては珍しく、トンネルから出ても前照灯を点けたままですね。それも模型的かも。


当時は衰退しつつあったとはいえ石炭産業も残っており、筑豊本線沿線にもそれなりの人口や経済力がありました。そのため特急「かもめ」や急行「天草」など、山陽筋の優等列車の中にも筑豊本線経由で走る列車がありました。その中でも京都-熊本間の夜行急行「天草」は、冷水峠越えの際にD60の後補機が付くことで人気がありました。モノクロの方では本務機のDD51から後補機のD60のアップまで一通り撮影していますが、カラーは変則的に編成と後補機のみでの撮影です。これでも一応フル編成が写っているので、指定席のスハフ43、スロ62、オロネ10、スハネ16かオハネ12が3輛と、夜行急行の主役が揃っているのがわかります。この時のカマは直方機関区のD6034号機ということがモノクロカットでわかっています。


直方機関区のD6046号機の牽引する上り旅客列車。4輛の客車は先程D5142号機が牽引していった帰りのようです。となると若松行きでしょうか。この列車は、ほぼ同じシャッターチャンスのカットをモノクロでも撮っていますから、フットスイッチで作動する自作のリモートレリーズでシャッターを切ったものと思われます。その分、引きのカットになっています。46号機は改造前のD50157の頃から北海道配属で、D60に改造後も池田で活躍しており九州入りしたのは1964年と比較的遅いカマです。そのせいか、化粧煙突をはじめ原型を多く残しており、1974年廃車と晩年まで長く使われたこともあって、けっこう人気の高いカマでした。





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