阿蘇でひと遊び その1 豊肥本線編 -1971年4月7日-


いつもお付き合いいただいている方ならもうお分かりかもしれませんが、山深いところはなんか息苦しくなってしまうので、個人的にはあまり好きではありません。阿蘇外輪山の中を走る豊肥本線・高森線は、風光明媚でお好きな方も多いと思いますが、ぼくは芸風ではありません。とはいえ、一度だけ訪ねています。二度目の撮影旅行の最後の日。けっこう疲れもたまっていたので、シャカリキに撮るというよりは、半分観光ムード。ワリと適当にのんびり過ごしながら、日がな一日立野の周辺で撮影しました。ということで、タイトルもおやじギャグ的なユルさにしました。撮った列車の本数も少ないのですが、列車の速度も超ゆるい区間ですから、同じ列車を別カットで撮れたりします。それも含めて、のんびりムードというよりは、疲れてけだるいムードが伝わってくればと思います。それでは、まずは豊肥本線での撮影からスタートです。



とにかく、この日は豊肥本線で撮影した列車のうち、山を登ってゆくのはこの下り列車のみ。スイッチバックだし、速度は遅いし、ということでレンズ交換しながらしつこく同じ場所から撮影しています。まずは、スイッチバック部分を逆行で登ってゆくシーンから。機関車は、熊本機関区の59670号機。実はこのカットとほぼ同時に撮影したカラーのカットは、南の庫から 番外編 阿蘇をめぐる鉄路'71・'73の1カット目に掲載しています。カラーのヤツの方がちょっとタイミングが後です。またレンズの関係から、こっちのほうが熊本から登ってくる線路がバッチリ写ってます。とはいえ、こうやって見る分には、どっちに走っているのかよくわかりませんね。


続いて、もう少し登って行ってからのカット。個人的には、このぐらい景色が入っているカットの方が好みです。というより、なんか鉄道模型のレイアウトっぽいですね。でも、本気でこンな景色をジオラマにしようとすると、どれだけ面積を喰ってしまうのでしょうか。この雰囲気を、なんとか六畳程度の部屋に押し込むところが、レイアウト・ビルダーのセンスの見せどころなのです。しかし、この線路、なんとも細い。37kg、もしかすると30kgかも知れません。太いレールを見慣れた現代人の目からは、なんだが軌間が広く感じます。16.5mmのフレキシブルトラック、というより枕木が長い分、Sn3-1/2というところでしょうか。昔、コード70の16.5mmのフレキを初めて見たとき、「広軌」に見えたことを思い出します。


さて、一旦引き上げ線で停止した後、おもむろに出発です。走り出してすぐ登りですから、それなりに力行しています。が、決して爆煙というワケではありません。普通の出発シーンっぽいレベルです。まあ、現車9輌、換算でも20輌行かない編成なので、9600の定数からすれば余裕があるのでしょう。しかし33.3‰だと思いますが、スイッチバックの連絡線も、その先の本線も、目で見てわかるぐらいのスゴい勾配ですね。それにしてもよく線路を敷いて鉄道を通したものです。かつては主要な輸送機関は鉄道しかなかったので、無理をしても鉄道を敷設したということなのでしょうが、これでは安定的大量輸送という鉄道のメリットが発揮できなくなってしまいます。この無理が、けっきょく日本での鉄道の可能性を狭めてしまったのでしょう。


外輪山の中腹の線路を東に向かう同列車。ちょうど見上げたあたりで、もう一度接近します。重貨物というよりは、高原列車とでもいうような、軽快な感じです。全部2軸車で、ツム×2、ワラ、トラ、ワラ×2、ワム8×2にワフという、模型の小型レイアウトでも充分楽しめる程度の長さ。ローカル線では、こんな編成も多かったです。しかし、もう加減弁を閉じて惰行に移ってます。写真を見る限り多少の登りにかかっているようですが、罐も焚いていません。ツムは空車でしょうし、トラも空車のようです。そういう意味では、荷もだいぶ軽いのでしょう。逆説的ですが、煙が出ていないのも、なんだか模型的で親しみが湧いてきます。


今度は、上りの貨物列車です。さっきの下り列車を牽引していた59670号機が、宮地から折り返して帰ってきました。前のカットで写っているあたりまで登って撮影しました。まあ、典型的なバッタ撮りというか。やる気のなさがひしひしと伝わってきます。バックにうっすら外輪山が写っていますが、阿蘇らしいか、豊肥本線らしいかといわれれば、「No」と言わざるを得ないでしょう。でも、日本のローカル線らしさは出ているとは思います。枯草とハエタタキは、ウルサい感じもしますが、中三のガキにしては、なかなか絶妙なバランス感。これをカットしちゃうと、ホントにつまらないバッタ撮りになってしまいます。ハエタタキのところの木は、まさにウッドランドシーニックス製ですね。


阿蘇から降りてきて一日も暮れる頃、おなじみの9600重連牽引の下り旅客列車が熊本駅を出発します。次位の本務機は、76年春の追分入換まで生き残り、日本最後の現役蒸気になった79602号機。これは一目でわかります。前補機は、ちょっと考証が必要ですが、9600形式は同じ装備のカマは二輌といないので、コツをつかめば考証は容易です。いい具合に、パイプ煙突、穴なし大型デフ、中中ランボードとかなり特徴的。この時期熊本機関区にいた9600形式の中で、この条件に合うのは69699号機しかいません。このカマも、その後北海道に渡り、岩見沢の入換で1975年まで活躍しました。ということは、この2輌はその後北海道で蒸気機関車再末期まで活躍したカマということになります。なかなか珍しい組み合わせですが、この時にはそんな末路を知る由もありません。


(c)2015 FUJII Yoshihiko


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