南国のハドソン -1970年7月31日・8月2日--


前回の「兵どもが夢のあと」。悲しい姿だけをお見せするのも忍びないので、そこにいたハドソンたちが、鹿児島本線で現役だったときの写真をお届けしましょう。とはいっても、撮影したのはその半年前の夏。老兵は、気がつくと消え去ってしまう。これが、無煙化の進む、現役蒸気末期の掟なのです。それだけに、何かに背中を押されるような感じで、「今この時代に生きている以上、ワンカットでも多く、今までに撮られていない蒸気機関車が活躍するシーンを撮影しなくてはいけない」という使命感に取り付かれてしまったのでした。この時の撮影旅行は、最初の蒸気機関車の撮影旅行。その時のカットは、すでにこのコーナーで公開したものもありますが、今回は別カットでお届けします。



ますは、動態保存復活で人気上昇中のC61。鹿児島本線の上り普通列車を牽引し、球磨川橋梁を渡る、鹿児島機関区のC6112号機です。この時は中学3年生でしたが、ガキのワリというか、ガキならではというか、妙に凝ったのか、何も考えなかったのか、よくわからない構図です。そもそも地図だけを頼りに、球磨川沿いなら、肥薩線の川線と、鹿児島本線と両方を狙える、と思って来てしまったポイントです。対岸から川線というのは、なかなかアタりだったのですが、この位置から鹿児島本線を撮るのは、ちょっとキビしかったですね。8月2日の撮影です。


続いて、上り普通列車を牽引して八代駅に進入する、C6114号機。この列車については、駅に停車してからの撮影した、ハーフ判カラーのカットを、「南の庫から 八代駅・八代機関支区 -1970年8月2日-」で取り上げています。こちらは、一応走行中で、シャープなカットでお届けします。この日はメチャクチャ暑い日で、当時販売されていた、コカコーラのホームサイズ(500mlのガラス瓶)を何本も飲み干したことを覚えています。でも500mlって、今の中学生なら普通に飲んじゃいますよね。それだけ、生活が欧米化したということでしょうか。


12号機、14号機とくれば、切取除煙板を装着した、13号機にも登場してもらいたいモノ。この時は、運良く13号機も撮影できました。13号機を撮影することが、この時の撮影旅行の目的の一つでしたから、ラッキーだったといえるでしょう。あと一月ちょっとの余命ですが、きちんとキレイに手入れされているのが目に付きます。九州の機関車は手入れがいい、というのが定評で、「糠で磨く」という伝説もありますが、この頃はまだ本当に整備に手をかけていました。このカットのみ、7月31日の撮影です。


下りの荷物列車を牽引し、八代駅に進入する、鹿児島機関区のC6037号機。37号機は、その前身のC595号機の頃から九州で活躍したカマで、そういう意味ではC60形式としては生え抜きで、鹿児島機関区一筋で活躍しました。この頃はまだ撮りはじめたばかりの頃なので、その後はほとんどやらなくなく「アップの駅撮り」をけっこうやっています。でも、こうやって見ると、当時の列車用の低いプラットホームだと、充分足回りまで写ってますね。


最後は、下りの普通列車を牽引して、八代駅に侵入する、熊本機関区のC6017号機。17号機は、予備機的な扱いで、鹿児島機関区、熊本機関区の両区を行ったりきたりしていましたが、この時は熊本機関区所属だったと思います。この列車も、停車中の姿を、ハーフ判カラーのカットで取り上げています。このカマは、43・10のダイヤ改正で、盛岡から転属してきたのですが、この時でもそれから2年経っていない状況。煙突脇のサブデフこそ撤去されたものの、デフのバイパス弁点検穴がないなど、九州のカマとしてはけっこう異彩を放っていました。


(c)2011 FUJII Yoshihiko


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