雨の加太越え その2 -1971年3月31日-


前回は加太の駅に到着して、線路際をトコトコ中在家の方に歩いてゆき、おなじみの築堤に到着するまでに撮影したカットをお届けしました。ということで今回は、築堤周辺での撮影になります。前回もお話したように、この加太での撮影は。もともとウォーミングアップだったので、築堤までのおよその道のりこそ検討しましたが、事前の撮影可能ポイントの顕彰もなし。もっというと激しい雨天だったので、ロケハンもなしという、本当に行き当たりバッタリの撮影でした。まあ、まだそれが許されるぐらい、蒸気牽引列車の密度が高かったということもできるのですが。では、第二回参りましょう。



前回は上り勾配で力行となる下り列車が続々とやってきましたが、入れ替わりに今回は上り列車が中心です。先ほどの列車と中在家で交換したのでしょうか、上り貨物列車がやってきました。雨の降り方は一段と激しくなったようで、近くまでやってきた列車も、今ひとつモヤっています。まあ、これはこれで1930年代の芸術写真みたいなもので、ある種の風情は感じられます。雨の強さに機転を利かせて、ソフトフォーカス的に撮るというのは、中学生のガキにしては上出来でしょう。個人的には、このぐらいの短めの貨物が、絶気で下ってくる感じはけっこう好きです。カマはなんと竜華機関区のD51452号機。こんなところまで遠征する運用があったんですね。それだから集煙装置がついてるんでしょうが。


続けてやってくる上り貨物を、同じ位置で迎え撃ちます。こっちは柘植で交換したのでしょうか。カマは、亀山機関区のD51145号機。雨は小降りになってきて、こちらは一応通常の撮影が可能な状態になっています。しかし、先ほどの452号機では前照灯は減光しているのに、こちらは雨が小降りになったにもかかわらず点灯したままですね。まあ、そのくらい点減光は適当だったというとこでしょう。ただ、今と違って日中は減光が標準でしたから、最近のNゲージのように常時点灯してしまう模型車輌には、かなり違和感があります。しかしよくみると、2コハッチの妙なタンク車を連結していますね。タキ9200とか、アスファルト輸送用のヤツでしょうか。


今度は下り貨物列車が、力行しながら加太トンネルへの道を登ってゆきます。小降りとはいえまだ雨はけっこう降っているので、続けて安易に「お立ち台」からの撮影でお茶を濁します。今度の列車は後補機付きながら、ちょっと短めの編成。風も強いので、構図の狙い方によってはちょっとメリハリがつけられそうです。速度が遅いことを活かして複数カット狙った中から、まずはちょっと引きのカット。力行とはいえ、すでに蒸気は充分上っていて煙はほとんどなく排気の蒸気だけですが、小雨の中で白く絡みつき独特の雰囲気を醸し出しています。晴れではこうはいきませんね。築堤の下の道を行く3人の小学生でしょうか、子供たちがいいアクセントとなっています。


接近してきた同列車を、アップで狙います。本務機は、亀山機関区のD51718号機。強い風で、煙は全部北側に流れ、列車には被っていません。その分画角を左に降って、煙(蒸気)を全て写し込む大胆な構図で狙ったようです。これもなんかイヤなガキ(笑)。まあ、その意思を活かすべく、ノートリミングの3:2フレーミングのままでお届けします。前のカットと比較すると、心なしか黒煙が増えているように見えます。この日は土曜日で、お立ち台には何人か撮影者がいましたので、サービスで重油を焚いて煙を出してくれたものと思われます。このくらいの定数の編成で補機付きというのは、模型でもやりやすいですね。事実は小説より奇なり。ホンモノはけっこういろいろあるんですよ。


同列車の後補機、奈良機関区のD51934号機。小雨の中、本務機、後補機の吐いた蒸気が列車にまとわりつき、幻想的な雰囲気を醸し出しています。934号機は、新製以来近畿一筋、特に戦後は亀山・奈良と関西本線で活躍してきたカマです。ちなみに、本務機の718号機は、東北地方での活躍が長かったカマで、43・10で関西地区に移動してきました。釜石線で活躍していた当時は郡山工場仕様の「東北型重装備」だったものが、関西地区への移動とともに鷹取工場仕様の「関西型重装備」へと徹底的に改装されたものです。43・10の頃はまだ、転属車に仕様変更の改造を行なうする余裕があったということでしょう。デフの点検穴だけは、関西に珍しい「東北タイプ」のままですが。


雨も少し落ち着いてきたようで、線路際を離れて築堤を仰ぎ見る国道のところまで降りてきました。そこにやってきたのは、珍しく上りの客車列車。当時、貨物列車は全て蒸気機関車の牽引でしたが、旅客列車は全てディーゼルカーになっていました。蒸気牽引の旅客列車は、臨時列車に限られていました。団体臨でしょうか、臨時急行でしょうか。当時の関西本線は、線路容量に余裕があるのと、西日本の人々にとっての主要観光地、伊勢志摩の入口に当たるので、けっこう臨時列車が多い線区でした。しかし車窓に人影が見えないので、臨時列車の回送のようです。ところで、模型をやる人にとっては、こういう写真グッとくるんですよね。ぼくはけっこう気に入ってます。


(c)2015 FUJII Yoshihiko


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