八高線-さよならSL号 -八高線無煙化記念列車 1970年9月27日-
10月4日の「八高号」、10月10日、11日、18日の「さよなら蒸気機関車号」と、SLブーム狂躁曲の幕開けを告げた、1970年秋の首都圏ですが、実はもう一発記念列車がありました。それは9月27日、八高線の高崎-高麗川間で運転された、高崎鉄道管理局の無煙化記念列車「さよならSL」号です。このコーナー企画自体が、寺田さんのBlogに載った「八高号」のカットから始まったので、順序が入れ替わってしまいましたが、本来の流れでいえば、狂乱のブームの幕を切って落としたのは、高崎第一機関区のD51631号機とC58309号機が重連で牽引した、この「さよならSL」号ということになります。それ以降の記念列車の走行日とは違い、まさに秋晴れといえるこの日、一体なにが起こったのでしょう。

この日は、終点の高麗川付近での撮影となりました。まずは上りの9222列車を狙います。が、もはやこの状況。「何をかいわんや」という感じ。これが、70年代の「撮り鉄」の実態です。あと200mもない状況ですが、堂々と線路のど真ん中でカメラを構えているヒトがいます。線路敷内にも、当たり前のように撮影者がいます。そのワリには、汽笛を鳴らしている気配さえありません。まあ、当時は田舎では第四種踏切が多く、速度の遅い蒸気牽引列車の場合は、このぐらいのタイミングでも渡ってしまうことが多かったのも事実ですが。

なにごともなかったように、列車がやってきます。前位はD51603号機。製造以来、ずっと関東地方で活躍したカマですが、晩年は、大宮-八王子-新小岩-高崎一と、無煙化とともに、一年毎に転属を繰り返していました。LP403主灯、LP405副灯、十字煙室扉ハンドルなど、関東のカマというか大宮工場出場車らしい装備ですが、クルクルパーを外しているのが、唯一「ハレの場の装い」という感じでしょうか。もうすぐ終点の高麗川ですが、石炭を焚いているのは、ファンサービスということでしょうか。ごらんのように、ぼくはちゃんと安全なところで構えていますよ。

高麗川駅では、転車台での方向転換と、給水・点検のハーフタイムショーが繰り広げられます。列車に乗車してきた方々も含め、ギャラリーはヒトであふれ返っています。まずはC58309号機が、先に方向転換。D51631号機と並びます。さすがに構内に乱入しているヒトはいませんが、線路ギリギリのところまで、みっちり撮影者が並んでいます。それはそれとして、変圧器の乗った電柱、二連の腕木式信号機など、蒸気時代の規模の大きなジャンクション駅ならではの小道具は、ジオラマ派モデラーにはグッとくるものがあります。

観客に見守られながら見得を切る千両役者、という感じでD51631号機が転車台の上でポーズを決めます。実はこの時、ファンサービスで一回転半転回しているんですよね。おかげで、公式側も非公式側も、バッチリ撮影できました。ということで、一応形式写真っぽく、公式側が見えているカットで。こうやって見ると、ロッドの位置もちゃんと下がってますね。まあ、これは偶然でしょうが。周りに集まっているファンを見ると、けっこう年齢層が低いことに気付きます。中高生中心で、小学生っぽいのもけっこういます。ぼくも中三ですから、大きいことはいえません。それから40年、今じゃみんな50代のオヤジです。

連結して重連になった機関車が、客車の待つホームへと機回りして行きます。今度はC58309号機が先頭です。先程の転車台上のD51のカットをよく見ていただくとわかりますが、ヘッドマークは、わざわざヘッドマークステイを取り付けた上での装着なんですね。バック運転という気安さがあるのでしょうか、見返りショットを撮るべく、撮影者が次々と線路上に飛び出してゆきます。が、線路の太さを見てもわかるように、こっちが本線ですよ。まあ、どう考えても時効ですが、もしこの「証拠写真」に写っている方がいらしたら、心の中で懺悔してくださいな。

いよいよ下り9221列車が、高麗川を発車し、高崎に向かいます。たわわに実った田んぼの稲と、秋晴れの空が、いかにも昭和時代を思い出させます。それにしても、そんなのどかな風景の中、どこを見ても撮影者でいっぱいになっています。一体、何人ぐらい集まったのでしょうか。コレを模型で再現しようとすると、人形だけでブラス製機関車一台分ぐらいのコストがかかりそうですね。とはいえ、この時が「狂乱月間」のスタートだっただけに、この日が一番警備がユルかったのも確かです。

なにせ、いままで「免疫」がなかったところに、この人出ですから、けっこう疲れた一日でした。とはいえ、本当の「ブーム」は、まだまだこれから始まるし、最後には「死人」も出るのです。ということで、最後はちょっと夢のあるのどかなカットで。とはいえ、こういうのを撮る中学生って、なんかマセてますね。いや、お恥ずかしい。ちなみに、D51631号機は、このまま高崎一区で廃車、C58309号機は、小牛田に転属し陸羽東線で活躍しますが、半年ほどで廃車になっています。
(c)2010 FUJII Yoshihiko
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