名残の蝦夷梅雨 室蘭本線栗山-栗丘間 その2 -1975年7月14日-


先月からスタートした、75年夏に行った最後の北海道撮影旅行(鉄道写真の撮影が目的の旅行自体本当にこれが最後で、旅行のついでに復活蒸機を撮影することはあっても、撮影のための旅行はほぼ半世紀行っていない)から残りのカットをお届けするシリーズ。14日の室蘭本線栗山-栗丘間での撮影分は、前回だけで終わりかと思っていたので、14日と15日の夕張線の残りの二回構成で考えていたのだが、ついでにポジの整理をしているとまだ何カットか出てきたので、それを加えて三回構成に企画変更。今回は、栗山-栗丘間の残りのカットと、翌日の朝の追分でのカットをお届けすることとした。



この時はとにかく雨が激しく降り出してしまったので、ひとまず栗丘駅の方に退却しだしたのだが、列車自体はまだ来るので、天気の様子を見ながら撮れるところまで撮ろうという感じで肚をくくった感じであろうか。今ならばスマホでウェザーニュースの情報を見れば、今後の5分おきの天気の変化もたちどころにわかってしまうのだが、当時は運を天に任すしかなかったのだ。まあより強くなることはなさそうな感じだったので、もうちょっと引っ張ることを決めたのだろう。先程のカットと大体同じような、築堤から切通に周囲の地形が変わるあたりで次の列車を待つ。ここでも当時得意の「リアルタイムレンズ交換」のワザが出てしまった。まずはゼンザノン150oでの撮影。雨も結構激しいので、この写真からは上り列車は1次型D51の牽引する返空タンク車の編成ということしかわからない。



そしてレンズを交換して、同列車をギリギリまで引いたところに寄せてからシャッターを切る。牽引しているのは岩見沢第一機関区のD5160号機。このカマは、新製時から北海道配置(戦時中の一時貸し出しで、短期的に本州にいたこともあるようだが)。戦後は名寄一筋で長く活躍し、岩見沢第一ヘはこの年の1月に、全検期限が残っていた関係で転属になってきたもの。最末期は、使えるカマを全て最後の室蘭本線・夕張線系統に投入した格好になっているので、けっこう最後の時期だけここに登場した機番も多い。60号機もその一つ。ぼくもこの時はじめて出会ったことになる。もうこうなると「雨中撮影を楽しむ」という感じでもある。肩の力が抜けているとこうなるのか。



雨は段々上がってきたが、日は段々傾いてくる。まあ、この辺が締めのタイミングかなということで、この地点での最後のカット。もはや絞りを開けても機関車は止められないし、その割には撮影者はまだたくさんいるし、という条件の中からバックの山にフォーカスを合わせて、機関車はアウトフォーカスでブラしてしまえという、かなり開き直った構図を選んだ。まあ、この時期「やっと間に合って現役蒸気機関車の撮影ができた」という世代の方々には悪いのだが、この時は蒸気撮影に関してはもう半分ゾンビ状態で、完全に気合が入らなくなっていたからなあ。ということで、D51標準型ということ以外は、機番もわからないし比定も難しいカットです。でも室蘭本線って、一日の最後は大体こういう精神状態になったんだよね。飽きて遊びたくなっちゃう。それが贅沢でもあったんだけど。



ということで、このカットは15日の朝に撮影したものですが、3回構成にした関係から第2回の最後に入ってしまいました。追分駅での上り旅客列車の発車シーン。機関車は岩見沢第一機関区のC5738号機。38号機は渡道は比較的新しく1962年ですから、北海道での活躍は13年ほど。その割には全検期限の関係で現役蒸気最後まで活躍で来たラッキーなカマです。実はこの発車シーン、おびただしい数の撮影者の人垣ができている中での出発です。そのためのファンサービスもあってか、歌舞伎の見得よろしく、爆煙を上げての発車となりました。しかしその分黒煙が太陽の光をさえぎって機関車の周りだけ暗くなってしまっているのは、バックの貨車は露出があっていることからわかります。まあ、これも思い出としてはいいんじゃないですか。





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