日本の広告会社とその将来像




この問題を論じるにあたって、まず最初に、日本の広告会社の組織構造上の特徴としてどんなものがあるかを見ていこう。筆者の立場と、最も代表的企業ということを加味して、電通を例として、そのポイントを検討していきたい。
電通は通信社として発足し、その事業拡大の一環として広告代理業に進出した関係上、当初におけるスタンスは、あくまでも「媒体の代理店」というものであった。これは、第二次大戦中に通信社・広告会社の大合併を行い、電通が広告専業となったのちも受け継がれていた。
1960年代に入り、高度成長とともに日本でもマスマーケットの成熟がはじまると、広告主企業の間からも、欧米式の「広告主に対するアカウントサービス」を求める声が現われはじめてきた。これに対応すべく、当時の吉田社長が取り入れたものが「総合連絡制」である。それまでの電通の業務形態が、欧米の用語を使えば「メディア・レップ」または「メディア・バイヤー」であったのに対し、ここではじめて「アドバタイジング・エージェンシー」としての要素が取り込まれたことになる。
「メディア・レップ」と「アドバタイジング・エージェンシー」とは、似て非なる業態である。経営として必要とされる経営資源も、特化すべき方向もまったく異なっている。これは、製造業でいうところの、製造と流通を併せ持つ「垂直統合」に近い形態である。それが、一つの会社として同じ屋根の下にとどまっているところに、なにより電通のそして日本の広告会社の組織構造の特徴がある。
の特異な組織構造は、その後の日本の高度成長に伴う電通の発展とともに、大きな矛盾を生じさせることになる。このような構造変化にも関わらず、電通の管理会計のシステムは、基本的には「媒体の代理店」時代と大きくは変わらなかった。すなわち「媒体局で設定(売上計上)」することにより、売上を管理するとともに、売上と利益はこの場合手数料率を係数としてリニアな関係にあることから、利益も一元的に管理しようとする会計システムである。
しかし、基本的にアドバタイジング・エージェンシーである、AE、CD、MD、(SPD)(アカウントエクゼクティブ、クリエーティブ・ディレクター、マーケティング・ディレクター、セールス・プロモーション・ディレクター)からなる営業チームと、基本的にメディア・レップである各媒体局とは、利益構造も、経営的モチベーションも、根本的に違うはずであり、これを一元的に管理することはできない。
事実、広告主が広告会社に対し、媒体枠の確保以外の能力をより重視し出したオイルショック以降、そのアイデンティティーは、「媒体の代理店」から、「広告主の広告会社」へと大きく変わっていった。電通においてこれを象徴するのが、連絡局から営業局への呼称の変更である。これ以降、「社の中心は、営業か、媒体か」という一元論に基づいた「綱引き」が、あらゆく局面で社内の問題となった。しかし、これはおかしな一元的管理会計システムに基づいた「誤解」であり、構造自体はに一元論ではありえないと考えるべきだ。
電通の場合、こういう体制ができ上がったのは、吉田元社長が 電通を近代広告会社に脱皮させる改革の途上において、志半ばにして亡くなられたことにこそ原因があるのではないだろうか。吉田元社長が欧米の広告業界を念頭に置き、社の改革を進めていた以上、その道の先には、旧来の電通を受け継ぐ「メディア・バイヤー」と、あらたな「総合連絡制」の延長上にある「アドバタイジング・エージェンシー」を有機的に結合した、「コングロマリット的な企業集団」を見通していたと考えるべきだろうか。


以上、電通を例としてみてきたが、日本の広告会社の組織構造は、このように一枚岩の企業としてではなく、欧米で言うアドバタイジング・エージェンシーとメディア・バイヤーという、異質な存在を一つの組織の元に統合することで、独立の企業間では無駄なエネルギーを費やす元になるコンフリクトを吸収するとともに、対広告主、対媒体双方へのスケールメリットを発揮させるところに特徴があることがわかった。
キャンペーン計画において、マス媒体に対する広告主のニーズは、将来的には純粋な「告知」機能に収斂すると考えられる(多チャンネル化が生み出す、オンラインイベント的な利用は「マス」ではないため除く)。これは一層の効率主義指向をもたらす。すなわち、媒体価値はテレビのGRPのような、効率指標のみで測られ、取り引きされるようになる。
一方で、テレビの個人視聴率に代表されるように、効率指標はより消費者の特性に密着したものとなる。こうなると、枠や面の違いといった、均質な「世帯視聴率的」時代の価値は意味がなくなる。それぞれの枠や面といった要素は、3,000GRPなら3,000GRPを獲得する案のポートフォリオを構成する、単なる一要因でしかない。
この時代におけるメディア・バイヤーの強みは、薄利多売でしかありえない。もちろん、付帯的なノウハウとして、独自のポートフォリオの組み合わせ(それは、単一媒体社内、単一媒体内、複合媒体間で、それぞれありうる)というものは考えられる。しかしこれも、スケールメリットを活かして「安く仕入れる」ことができてこそ可能になるものであることはいうまでもない。
このように将来のメディア・バイヤー機能は、証券・外為のディーラーに限りなく近づくであろう。これからもわかるように、メディア取引がコミッションベースであるという特性は、今後も変わらないだろう。しかし、その利益率は極限まで低下する。このためには、機械化による大胆な中間コストダウンが求められる。この場合、機械と人間の役割分担はどうなるのだろうか。
基本的にディーリング的な業務においては、単純な事務・労務的作業として行わなくてはいけない部分は、全てオンライン的に情報機器により処理可能である。最終的に人間がその「センス」によって判断しなくてはいけない部分は、「売り・買い」の判断だけである。したがって、情報化の進展は、媒体スペースディーリングに関わる人間を極限まで減らす方向に進むであろう。メディア・バイイングVANと、最低限のエリート的スペースディーラー。これが、情報化時代のメディア・バイヤー像である。

では、対広告主サービスを提供する、営業チームの将来像はどうなるだろうか。そのためには、現状の営業チームの本質を見極めてみる必要がある。まず最初に明確にしておくが、広告会社の営業チーム(AE、CD、MD、SPDの連合体)は、媒体の売り子ではない。10年以上前から機能的にはそうなっている。それが証拠に、かつてのように、「広告主に ニーズのない物件を、プッシュ力で押しつけ販売する」ことは、現状では望むべくもない(誰も望まないが)。もちろん、バイイングパワーをもっている営業チームもあるが、それはプッシュ力ではなく、広告主からバジェットとしてあずかっている金額のスケールメリットのもたらしたものだ。
基本的に広告会社の対広告主サービスとは、受注型であり、問題解決型なのである。基本的にクライアントが抱えている「課題」があり、その範囲で、提案するアイディアがクライアントの利益につながることでお金をもらえるという、提案型のビジネスである。したがって、利益構造としては、フィーベースである。フィーベースであるからして、業績評価は利益額で判断することが求められる。もちろん、営業チームがメディアレップの販売する媒体枠をセールスすることで、そこから利益を生み出すこともあるだろう。しかし、この利益の性質は、メディアレップの利益とは違う。メディアレップと直接取り引きしたのでは得られない、ユニークな媒体使用のアイディアを提案した場合に限られるだろう。
このように、営業チームとは、基本的にキャンペーンというものを全体としてプランニングする集団である。その提案の評価は、どれだけそのキャンペーンがクライアントに新たな利益を生み出したかにかかっている。将来的には、プロフィットシェアリング的な考え方も取り入れられよう。まさに「机上の空論をいうコンサルティング会社より、すぐに儲かるアイディアを出す広告会社」という比較がなされなくてはならない。この場合、営業チームの利益の源泉となっているのは、その知的生産力である。広告主にたいして売る「商品」は、基本的に個別の課題に対して「ワンオフ」の受注生産でしかない。すなわち、日々変わってゆくニーズに対して、いつもユニークで新鮮なアイディアを生み出し、それを企画化して提案できなくては、生き残れない。
このためには、基本的に属人的な能力の高い「理想のアドマン」と呼ぶべき人材をどれだけ抱えているかが問われることになる。この部分は、あくまでも人間のみに許される能力であり、直接的には機械によりサポートできる部分ではない。しかし、このような能力の高い人間が、よりその能力を発揮しやすくするためには、ルーティーンワークのシステム化や、共通に必要になる作業の規格化、集中対応といった部分で、情報システムの果たすべき役割は多い。情報化がアドバタイジング・エージェンシーの部分に対して起き得る影響は、このように間接的なものが中心となろう。



講演資料(95/03/03)



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